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思考のブーメラン現象

 はじめ、Aだと思っていたことが、だんだん、いや、やはりBだ、と思い始め、うん、やっぱりBだよって思って生きていくのですが、いろんなことを経験して、あぁ、やっぱりAなのかもしれないなぁ、って思うことがあります。(うーん、我ながら、解りにくい文章ですね)
 例えば、子供の頃、お金があれば何でも買えるから、お金が一番大切、と思ったとします。(A)
 しかし思春期になり、いや、お金で買えないものもある。お金がすべてじゃない、と理想に目覚め、考え方が変わります。(B)
 そのまま理想まっしぐらに行けば良いのですが、年を重ね、夢と愛だけではどうにもならない状況を経験するうちに、お金が全てじゃないなんて簡単に言えないな、と思い直します。(A')
 このような現象を、「思考のブーメラン現象」と呼びます。(勝手に名づけちゃった!)
 人は長い人生の中、頻繁にこれを繰り返しているのではないでしょうか。
 仲が良かった人と何かがきっかけで疎遠になり、だけどどこかでばったり会って、再び前以上に仲良くなったり、好きだった音楽を次第に「こんなのもう古い」と聴かなくなるのだけれど、何年かたって、ラジオから流れてきたその曲を聴いて、昔は気がつかなかった良さに気づき、もっと好きになったり、戦争はいけないと教育された子供が、大人になると正義を守るための戦争を容認し、やがて戦争の不条理性、残酷性を知ることで心から戦争に反対するようになったり……。
 思考のブーメラン現象のポイントはふたつあり、

1.はじめのAと、終わりのA'は、同じAでも質が違うということ。(当然、A'の方は、経験に裏付けられており、本物です)
2.第一印象や直感というのは、その人にとってみれば正しいことが多い。

ということです。
 一度考えがBに行くのは、Aであることのを確認作業なのかもしれませんし、老人になって童心に返るのも、人がときどきデジャヴを経験するのも、思考のブーメラン現象と関係があるのかもしれません。
 AとBという対立概念があり、自分はBだと思っているとき、それをAだと言っている人がいると、若いなぁとか、子供だなぁと感じます。しかし、もしかしたらその人は、すでにA'の域に達しているのかもしれない。
 また、自分と同じ意見の人がいたところで、それは自分が未だに人生経験が浅いが故に<たまたま>意見が合っているだけなのかもしれない。
 そう考えると、人と接するときに必要なのは、意見が合うかどうかでは全然なくて、立ち位置を確認することなのかもしれません。
 今は意見が合わなくても、ブーメランはやがて返ってくるのかもしれないのですから。

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