うみたてたまご
どこどこの何々がおいしい、という話をよく聞きます。
一日限定何個しか作らないとか、何分も並ばないと買えないとか。
時々そういうのを貰うことがありますが、正直、苦手です。
なんかね、食べるときに緊張して落ち着かないんです。
その一口に、何分も並んだ苦労とか、一日何個の貴重さとかを感じてしまってリラックスできない。
さらに、そういう理由がちょっと押し付けがましい。
本当においしいのか、めったに食べられない気持ちがおいしく感じさせているのか判らなくなってしまう。
僕はあまり食べるものに執着ってないんですよ。
昔ダウンタウンの松ちゃんが、何かの番組で、「もし明日、世界が終わるとしたら、最後の食事はぺヤングソース焼きそばがいい」って言っていたのですが、その気持ち、よく判る。
そういうのと全く同じ理由で、旅行とかディズニーランドとかも、僕、ダメなんです。
「楽しまなくては……」って気負ってしまって全然リラックスできない。
大してきれいじゃない景色でも、「きれいだなぁ」って思わなくては来た意味がなくなってしまうように思う。それで「きれいだなぁ」なんて実際に言うと、周りからは「そう? 思ったよりしょぼくない?」なんて言われたりして。「この人、あまり見る目ないみたい」なんて思われたりして……。
大して乗りたくもない、「カリブの海賊」に並んでいる自分も切ないですね。
なんかディズニーランドのアトラクション乗ると、天井見ちゃうんですよ。どこも天井だけはあまり作りこまれていなくて、学園祭みたいな雰囲気があるんです。ディズニーランド、必死だな、というか……。
何でこんな文章を書いているかというと、先日たまたま辿り着いたホームページを読んでいたら、「最近どこどこの何々にはまっている」、というようなことが書いてあったんです。でね、その文面から、実際にはその人はそれにはまっているわけでもなんでもなく、必死でそのような「こだわり」を持とうとがんばっているだけなんだろうなぁって思っちゃったんです。
「あぁ、多分この人、そのお店でそれ食べながら、そういうこだわりを持った自分に酔っているんだろうなぁ。わ、何かキモっ!」って。
だってさぁ、まるでグルメ雑誌の紹介記事をそのままぱくったみたいな書き方で、全然その人の思いが伝わってこないんですよ。店長がひとつひとつ仕上げているから一日何個しか作れないとか、契約農家から産みたて卵を毎朝送ってもらっているとか、だから何?って思う。
僕、おいしければ工場で大量生産でも近所のスーパーで買ってきた特売の卵でも全く関係ないですけどね。
結局この人にとっては「味」が問題なのではなく、そのプロセスやこだわり、ウンチクが大切なのかなぁ、と。もちろん味というのは主観的なものなので、そのような事前情報によって「おいしく」感じるというのはあると思いますが、その文章では肝心な味については「とにかくおいしい」という一言で片付けてしまっているところを見ると、やはり味は問題ではなかったのでしょう。
こだわりを持った人って、なんか苦手。真っ赤な顔で怒られそう。
「これじゃなきゃダメだ」という考え方は、自分の人生を自分で狭くしていることになるし、そういう雰囲気をして「自分は本物を知っている」とうそぶいている姿は、とても薄っぺらく感じます。肩をポンポンと叩いて、もっと気楽にやりなよ、って言ってあげたくなる。(すみません、お節介です)
カシオペアのギタリスト、野呂一生はレコーディングでアメリカへ行ったとき、ふらっと入った楽器屋さんに置いてあった一番安いギターを買って、それでレコーディングしたそうです。
本物って、そういうことじゃないかな。
関係ないけど、さっき「うみたてたまご」で変換したら、「産みたてた孫」って第一候補で出てきました。(^^;;
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