【ケータイ版】はこちら

JANUARY

 受験を控えた中3のお正月、友達と青春18切符で、長野まで雪を見にでかけたことがあります。
 その頃、僕はまだまだ、雪が降ると単純にテンションのあがる子供でした。
 東京の雪しか知らなかったので、雪国に対する憧れは昔から強く、カマクラ作り放題、雪だるま作り放題、雪合戦し放題、といったイメージで雪国をとらえていました。
 大雪が降ると窓から出入りするとか、道の両脇に雪の壁が出来るとか、公衆電話に階段があるとか、そういったエピソードもたまらなく好きでした。
 それでその冬、本物の雪を体験したいと、友達が調べた「日本有数の豪雪地帯」(どこの駅かは忘れてしまいました)を目指しました。
 駅に着くと、普通に除雪してあり、除雪されていないところも、東京の大雪の何割り増し、といった感じ。
 「あれ? 二階から出入りは? 雪の壁は?」と一気に拍子抜け。
 レンタカーを借りるわけでもなく、タクシーでどこかを目指すわけでもなく、駅の周りをあてもなく歩き、気がつけば帰りの電車の時間になっていました。
 その日帰り旅行(正確に言うと、行きは午前0時1分の電車で出発したので一泊二日の旅行でした)、今となっては断片的にしか覚えていないのですが、今でも唯一はっきり覚えているのが、帰りの電車の中で、ウォークマンで聴いた大江千里の「JANUARY」という曲です。
 それまで、この曲は特に好きだったわけではないし、「ガムシュ」とか「チャイ」とか、知らない言葉がたくさん出てきて、共感と言うよりはむしろ、疎外感みたいなものを感じていたのですが、それでも、ヒヤッとした電車の中の空気を吸い込みながら、「あぁ、これが今年の空気なんだ」と感じたり、好きだった女の子に出した、平凡すぎる年賀状を思い出したり、世界中の幸せより、彼女が僕だけに笑いかけてくれたらどんなに素敵だろう、などと想像したりしながら窓の外のどんよりとした風景を眺めていると、強烈に切ない気持ちがして、その気持ちはしっかりと僕の胸に焼き付いてしまったのでした。
 今でもこの曲を聞くと、僕の心はすぐに、中3の、寒くて切ない電車の中に戻っていきます。
 あれから20年も経ちますが、雪が降ることが少しだけ面倒くさくなっただけで、僕はちっとも成長していないように思います。

催眠療法で癒しを体験してみる部屋