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小栗旬 と 加藤あい な世界

 僕は猫を自分で飼うようになるまで、猫はみんな同じ顔をしていると思っていました。
 もちろん、柄の違いはありますし、丸顔だったり三角だったりという違いもありますが、それらは人間で言えば、洋服の違いや、太っているか痩せているかくらいの違いにすぎず、「顔が違う」というほどのものとは思っていませんでした。
 猫だけでなく、僕は長い間、「何で人間は顔がひとりひとり全然違うのに、動物はみんな同じ顔で生まれてくるのだろう?」というのが不思議でなりませんでした。人間の顔は、本当にバラエティに富んでいて、テレビに綺麗な女優さんや格好いい俳優さんが出てくると、同じ人間とは思えないくらいです。しかし、キャットショーで優勝するような猫と、街で見かける野良猫が、そこまで違うとは思えません。
 猫好きにそんな話をすると、「えー! 全然違うのに。。。」と、笑われたり怒られたりします。猫の顔の違いに気がつけないのは観察力が足りないからだ、と言わんばかりです。
 そんなときは、僕はスズメの話をします。「じゃあ、スズメも見分けることできる?」
 すると大抵の人は、言葉に詰まります。猫は見分けることができるけれど、スズメは見分けることはできないようです。
 でも、おそらくスズメを飼っている人がいたとしたら、顔の違いに気がつくはずです。猫好きが、「でもスズメなんてみんな同じ顔でしょ?」と言ったら、やっぱり笑われたり怒られたりするのかもしれない。
 そんなスズメを見分けられる人も、おそらく昆虫は無理でしょう。このセミはかわいいとか、このセミは目が離れすぎているとか、そんな顔の違いに気がつくことは難しいだろうし、例え気がつけたとしても、人間の顔が与える印象の差に比べれば、その違いは、ほとんど識別のためにしか意味をなさないと思うのです。
 猫を飼い始めて、「動物はみんな同じ顔だ」というのは間違いだったことにようやく気がつきました。やっぱり、驚くほどかわいい顔の猫もいれば、そうでもない猫もいます。でもこれは、猫を好きになったから気がついたことで、相変わらず、スズメは同じ顔に見えます。
 結局、その対象に関心を持っていると、違いに気がつくようになる、ということなのでしょう。猫に関心がある人は猫の顔は全然違って見えるけれど、スズメは同じ顔に見える。スズメに関心がある人は、スズメの違いには気がつけるけれど、猫は全部同じ顔に見える。
 もし人間が、本当に全員同じ顔だとしたら……、例えば、男性はみんな 小栗旬 みたいな顔をしていて、女性はみんな 加藤あい みたいな顔をしていたら、恋愛はもっとずっと楽になるのでしょうか? 外見にはまったくとらわれないで、100%内面だけで人を判断できるようになるのでしょうか?
 それとも、もっと細かいところをみて(日焼け具合とか、細いとか太いとか、肌や髪のお手入れ具合などで)、やっぱり「綺麗」だとか「不細工」だとか言うようになるのでしょうか? その小さな差で、恋に落ちたり、「あの人は私のタイプじゃない」とか言ったりするのでしょうか?
 人間が外見に左右されるのは、あまりにも外見の見方に洗練されてしまったためではないかと、猫に対する見方が変わったことを通して、思うようになりました。昔は猫はみんな同じだと思っていました。どの猫も、かわいさは同じでした。しかし、猫に関心を持っている今となっては、すごくかわいいと思う猫もいれば、そうでもない猫もいます。
 どちらの見方が正しいとか間違っているとかではありませんが、全部同じ顔に見えたほうが、僕は幸せな気がします。猫に、かわいい顔もかわいくない顔もなくて、猫は猫。全部同じ。全部同じようにかわいい。
 人間も同じで、綺麗も、格好いいもなくて、全部ただの人間。同じように愛しい存在。
 その方が、みんな幸せだと思うし、もしかしたら本当に、そんな差なんて元々ないのかもしれない。差のないものを、差があると思い込まされて生きてきたのではないだろうか。
 もし宇宙人がやってきたら、人間は全部同じ顔に見えるのかもしれません。そして、宇宙人からみれば本当に些細な差で、ある人間は大勢から憧れられていて、ある人間は自分の外見に自信を持てないまま生きていることを、不思議に思うのかもしれません。
 いや、でもやっぱり、それとも違うのかな。
 本当に、関心のない人から見れば、猫の顔は大して違わないけれど、人間の顔の違いは、宇宙人から見ても、明らかなほどに違うのでしょうか?
 この年になっても、わからないことはたくさんあります。 

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