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大風呂敷を広げる催眠関係者

 催眠の入門書に「自信を持って誘導しましょう」というようなことが書いてあります。
 例えば、相手の腕を暗示で固めたい場合、誘導する側が「固まるのかな?」と不安な表情で、自信なく誘導すると、その空気が伝わって、固まるものも固まらなくなってしまいます。
 まずは誘導する側が、「絶対固まるんだ!」と信じることが、成功させる重要なファクターなのです。
 また、「権威暗示」という言葉もあります。
 相手が自分の尊敬する人だったり、その道の達人だったり、有名人だったりすると、それだけで、その人の言っていることは何でも正しいのだ、と錯覚してしまい、言った通りになる、というような状態、また、その「権威」を利用してする誘導や暗示を「権威暗示」と呼ぶようです。
 見ず知らずで年下のパッとしない人に「腕が固まる」と言われても、「は?」という感じかもしれないけれど、自分より人生経験があって、テレビにもたくさん出ている有名な催眠術師が、しかと目を見つめて、「腕が固まる!」とやった方が、当然、圧倒的に成功するであろうことは、想像に難しくありません。
 でもね、僕はこの、「固まると信じて誘導しなさい」というのや、権威暗示を利用するために、躍起になって大風呂敷を広げたりするのは、何だか違うんじゃないかと最近思うんです。
 僕のページにも、もしかしたらそういう空気があるのかもしれないけれど、ネット上の数々の催眠関連のページを読むと、それこそ、催眠は魔法のように、何にでも効果があるように書かれているし、実際に相手の話も聞く前に「恐怖症はだいたい2−3回で改善します」と断言してしまうところもあります。
 そして困ったことに(?)、それを本気で信じて、期待すればするほど、実際にそういう風に良くなる可能性が高くなるわけですから、「あなたはここで良くなるのだ!」という空気を作って、その気持ちを煽ることは、もしかしたら、間違っていないのかもしれません。……が、それでも、できないかもしれないことをできると言い切っちゃうのはどうなんだろう?
 経験上、決して人間は誰でも、腕が固まるだけの被暗示性を持っているわけではなく、それこそミルトンエリクソンが誘導したところで、固まらない人は固まらないわけです。
 それが分かっていながら「絶対固まる!!!」と無根拠に信じるのって、自己矛盾というか、精神衛生上よくないというか、ちょっと恥ずかしい行為というか、……うーん、何て表現すればいいんだろう、とにかく居心地が悪い。
 もちろん、信じた方が成功率は格段に上がります。これは事実です。自信がないときは失敗するし、自信があるときは成功するんです。でもこれも、ニワトリと卵の関係と同じで、直感的に「この人は固まる」と感じたから信じられたのかもしれませんし、直感的に「この人はダメだろう」と思っているのに無理に「いや、大丈夫だ」と思いこんだところで、やっぱりそれは自信がない裏返しだから、失敗するのかもしれない。
 最近は年をとったせいか、セミナーなどで腕固めに失敗しても、「あぁ、この人の無意識は、腕なんて固めて欲しくないんだなぁ」と思ってしまうので、誘導するときも、「望んでいればうまくいくし、望んでいなければうまくいかないんだよねー」という気持ちになります。
 催眠誘導する際、「絶対に成功するんですよ」という空気を出すことはとても大切です。事前にお話しする際に「まぁ、これも半分の人は失敗するんですけどね」なんて話をすると失敗する確率は高くなりますし、「失敗なんてあり得ない」という感じの話をすると、成功する確率が高くなります。
 結局、誘導する側もされる側も、心からそれが成功することを信じることが大切で、そのための「自信過剰」だし、「空気作り」だし、「権威暗示」だし、「大風呂敷」なのだと思う。
 なんだか何度も話がループしていますが、それでも、そういう計らいって、最近はどこか不純な気がして、そういう誘導からは卒業して、もっとお互いに楽な誘導を探していこうと、そんなことを考えています。
 相手が催眠による解決を求めている場合、お互いに信じるとか信じないとか、そんなの関係なしに成功することが、一番自然だし、お互いに負担のないやり方であるのは、間違いないのですから。
 マギー司郎みたいな催眠使いになりたいですね。
 「あれ、これ山梨ではもっとうまく行ったんだけどね」とかボソボソ言いながら、最後は大団円で終わる、みたいな、そんな風になりたいです。

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