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嘘と約束

 皆さんは、嘘をつくことと、約束を破ることでは、どちらが罪が重い行為だと思いますか?
 もしかしたら、嘘をつく方がずっと悪くて、約束を破ることは仕方のない場合もある、と思っていらっしゃるのではないでしょうか?
 現実的に、嘘をつかれると、嘘をついた側の予想を遥かに超えて相手は傷つきますが、約束が破られたときは、そういった種類の傷つき方ではなく、どこかに不可抗力というか、諦めに似た感情があるように思います。よって、嘘の方が罪が思いと感じるのだと思います。
 「子供のための哲学対話」(永井均著 講談社)に、以下のようなやりとりが掲載されていました。少し長いですが、引用してみます。

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ぼく:うそをついたり約束をやぶったりすることは、やっぱりいけないことだよね?

ペネトレ:いいや、うそと約束はちがうよ。ぼくらは、概して人はうそをつかないって前提のもとで幕らしているけど、自分からすすんで「わたしはうそをつきません」って約束した人なんかいない。それに対して、約束をした人は、その約束をわざわざ自分でしたんだ。しないこともできたのにだよ。だから、うそをつくことが約束をやぶることとおなじことになるのは、法廷で音一誓したような場合だけなんだ。

ぼく:でも、約束だってやぶらなくちゃならないことがあるだろ? もっと急を要する重大なことが起こったりして。

ペネトレ:そりゃあ、もちろんさ。でもね、いったんした約束にはね、約束をした時点にはなかったような重大さがつけ加わってくるんだよ。たとえば、A君とBさんが三時半に駅の改札口で会う約束をしたとするよ。約束した時点では、時刻は四時でもかまわなかったし、場所は駅のホームでもよかったんだ。会う理由自体も、たいしたものじゃなかった。でも、その約束をしたあとでは、A君とBさんはその約束があることを前提としてすべての予定を立てなくてはならなくなるんだ。だから、どんなにくだらない用件だったとしても、すでにしてしまった約束というのは、そのことで重みを持ってくるんだよ。もし自分ひとりなら、もっと重要な用事ができたら、すぐに予定を変えればいいんだけど、人との約束がある場合はそうはいかなくなるんだ。相手のほうはもうすでに、自分のもっとだいじな用件よりもその約束のほうを優先してくれているかもしれないんだからね。

ぼく:じゃあ、よほどのことがないかぎり、約束をやぶってはいけないんだね?

ペネトレ:約束をやぶること自体が目的の場合は別だけどね。ぼくらはいろんなことについて自分から約束をするけど、約束は守るという約束なんて、自分からすすんでは、したことがないからね。そこまでくると、うその場合とおなじになるね。

ぼく:???
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 知らず知らずのうちに、人間は相手に対して、多くの「こうあるべきだ」というのを押し付けあっているように思います。
 友達だったらこうしてくれるはずだ、とか、家族なのだからこうしてくれるのは当たり前だ、とか、相手の了承もなく、それを求めるし、それを相手が叶えてくれないと、「ひどい!」となってしまう。
 だけれども、基本的に、相手が約束してくれたこと以外は、何も期待するべきではないと僕は思います。
 自分は自分のために生きるし、相手は相手のために生きる。利害が一致すれば、一緒に何かすることもあるかもしれませんし、一致しないのであれば、我慢する必要はない。
 冷たく響くかもしれませんが、これが人間関係の大原則で、それを理解している人同士の間にしか、心地よい人間関係は生まれないと思います。
 約束というのは、利害が一致した上でのことですから、それを破ってしまうと、相手に与えるがっかり感は、取り返しのつかないものになると思います。

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