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心の汚れ

 確か小学生の頃のことだと思うのですが、家庭科のテストで、このような設問がありました。

「お皿を洗うときは、裏が汚れていなければ表だけ洗えばよい」

 これは○×問題です。
 裏が汚れていなければ、というのが子供心にもあからさまで、僕は「汚れてないなら洗わなくていいじゃん」と言うのが本心でしたが、「そうは言っても洗うべきなんだよね」と、×をつけました。もちろん正解でした。
 でも今思えば、この問題は本当にくだらない問題です。
 これ、○でも×でもどちらでも正解ですよね。
 仮に、「どうして汚れていないのに裏も洗わなければいけないのですか?」と先生に質問したところで、決して先生は合理的な答えを返せないでしょう。

生徒 「どうして汚れていないのに裏も洗わなければいけないのですか?」
先生 「だって、汚れていないように見えても、実際には見えないばい菌がついているかもしれないでしょ? だから表だけでなく、裏も洗わなくてはいけないのよ」
生徒 「でも先生、だったら『裏が汚れていなければ』というのはどういう意味ですか? 実際、裏は汚れていないのですか? それとも見えないばい菌で汚れているのですか?」
先生 「……」

 僕は今でも、お皿を洗っていると時々、このテスト問題を思い出し、「汚れていないのなら本当は洗う必要なんてないんだ。僕はテストで点を取るために自分の心に嘘をついたのだ」と思います。
 そして心が汚れてしまった感覚に悩まされます。

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