遅刻する人の心理

 「お盆を頭の上に載せたまま、上を向くことはできない」という言葉が僕は大好きです。
 以前、約束を破ることについて考えていたとき、「教えて!goo」に投稿された「遅刻する人の心理は一体??」という質問を読みました。
 質問者は、「しょっちゅう遅刻する人の心理を教えて欲しい」と質問していました。
 様々な回答が寄せられる中、僕はある回答者の回答に驚愕しました。

 「会社の用事の時は待ち合わせの一時間以上前に着くように行動します、だって仕事だもん。……友人と遊ぶ時は別です。……遊びに行くのにそんな時間にキッチリしようだなんて思わないですし、キチキチにしてたら肩こりますし、休日くらいゆったり過ごしたいから。……私の友人は既に諦めてる感じです。プラス1時間は平気に待ってくれます。気長な友人で私は大好きです」

 何という自己中心! もう、理屈が無茶苦茶です。
 しかし、これを読んだ次の瞬間、「いや、この回答者の考え方は間違っていないのかも」と思い直しました。
 この回答を自己中心だと感じるのは、僕が時間は守るという生き方を選んでいるからに過ぎません。おそらく、日常的に遅刻をして、それを大して悪いことだと思っていない人は、この回答を読んでも「あー、わかるわかる!」と共感するだけで、決して無茶苦茶だとは思わないことでしょう。
 この回答者に論理的に間違いを認めさせることはおそらく不可能です。なぜなら、これは生き方の問題であり、善悪の問題ではないからです。この回答者は間違ってはいないのです。
 「休日くらいゆっくりしたいから遅刻しても良い」というのは論理が破綻しているように見えますが、「プラス1時間は平気に待ってくれる気長な友人」の登場で、論破する術が失われてしまいました。
 そしてこの回答者は、自己中心ですらないのかもしれません。もしかしたら、1時間は平気で待ってくれる気長な友人が、事情があって2時間遅れて、結果的に回答者が1時間待つことになったとしても、この回答者はまったく怒らないかもしれないからです。
 もし質問者が、遅刻する人の心理を知ることで、友人の遅刻を解決できるのではないかと考えていたとしたら、残念ながら諦めるしかなさそうです。
 質問者にできることは、友人の遅刻を毎回許してあげるか、自分も「休日くらいゆったり過ごし」て、待ち合わせ場所で待ったり、待たせたりという付き合いをするか、遅刻を許せないのならばその友人との関係を終わらせるかのいずれかだと思います。
 お盆を頭の上に載せたまま、上を向くことができないのと同じで、自分は変わらないまま、友人との関係を維持することはできないと思います。
 自分が変わるか、関係を終わらせるか、好きな方を選ぶしかありません。
 友人が時間を守ってくれれば一番いいですが、それは相手が勝手にやってくれることであり、こちらから強制することはできません。

 これ、遅刻がテーマですから、遅刻を許せない人も、遅刻してしまう人も両方います。遅刻を許せない人は許せない人同士で自然と仲良くなれば平和だし、遅刻する人は遅刻する人同士、のんびり生きていけば平和です。
 先ほども書きましたが、これは正しい、正しくないの問題ではなく、生き方の問題です。同じ生き方の人と仲良くすればそれで良いと思います。
 ちょっと怖いなぁと思ったのが、テーマが遅刻ではなく、他の何かで、同様にそれが生き方の問題で、さらに自分と同じ生き方をしている人がひとりもいなかった場合です。自分を変えない限り、誰とも仲良くすることができないとしたらこれは辛いだろうし、誰も自分の生き方を認めてくれないのも辛いだろうし、生き方の問題だと理解されずに間違っていると糾弾されたらやはり辛いだろうなぁと思います。
 ひとりぼっちで生きていく事を選ぶのか、我慢して生き方を変えて周りに合わせるのか……。
 僕はひとりぼっちで生きていくだろうと今は思いますが、もしかしたら淋しさには勝てないのかもしれません。

<< エッセイ
<< HOME  ↑TOP↑  ご予約 >>

Copyright © Naoya Sakurai.
All Rights Reserved.