人の為

 誰々の為、と平気で言ってしまう人は、偽善の匂いがプンプンします。僕はそういう人を信じません。
 「人の為」と書いて「偽」と読むのは、「信者」と書いて「儲かる」と読むのと同じくらい、深いなぁと思います。
 もちろん、結果的に人の為になることは素晴らしいことですが、そのときに「人の為にやっているんだ」という意識が少しでもあるのであれば、やめてしまえ、と思う。
 「情けは人の為ならず」という言葉を、「情けは人の為にならない」と誤解している人がいますが、なんとも押し付けがましい誤解です。この言葉には、本来、「情けは人の為ではなく、いずれは巡って自分に返ってくるのであるから、誰にでも親切にしておいた方が良い」という意味があります。「すべては自分の為なんだ」、という認識こそ必要なんですね。
 したいからそれをしている……。幸せに生きるために必要なことは、それ以上でもそれ以下でもありません。
 自分が何かを選択し、実行していて、何故それをしているのかと問われたときに、「自分がしたいからだ」といつも答えられる人は幸せです。
 「本当はしたくないけれど、自分がしないと○○さんが困るから……」などと言っている人は、「人の為」という言葉を使って自分の人生から逃げているだけです。
 自分の為に生きられない人は、いつまでたっても幸せになれません。
 「あなたのために○○したのに……」なんて言われたら、言われた方も重いです。頼んでないです。責任なんてとれません。
 「喜ぶ顔がみたい……」という理由で淡い期待をする程度がちょうどいい。間違っても「喜ぶ顔」を強要してはいけない。
 こんなことを書いていると、ずいぶん偏狭だと思われるかもしれませんし、全人類が「自分の為」だけに生きたら、大変なことになるのではないかと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、それでも、「人の為」という考え方は、「○○しなければならない」という考え方と並ぶ、二大悪のひとつだと思います。
 自分の為だけに生きる、ということは、決して利己的に生きなさい、という意味ではありません。
 自分のした選択に、すべて責任を負う、という意味です。「人の為」という言葉で逃げずに、自分の人生と向き合う、ということです。
 誰もが自分の為だけに生きるようになったら、もしかしたら、今よりもずっと生きにくい世の中になるかもしれません。
 けれども、それから20年くらい経ったころには、今よりも何倍も生きやすい世界に変わっているのではないかと、僕は思っています。

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