カラオケ映像の世界

 本日、某カラオケオフ会に参加しました。
 僕は普段はほとんどカラオケに行かないので、カラオケに行くと、他では感じることのない、特殊な気持ちになることがあります。
 楽しいのだけれど、切ないような、取り残されたような、それでいて温かいような……。
 今まで、なんでそんな気持ちになるのか、深く理由を考えたことはなかったのですが、今日、その理由が判りました。
 それはあの、カラオケ映像のせいです。
 歌詞の裏で延々と繰り広げられているカラオケ映像を、気がつくと僕は食い入るように観ていることがあって、その映像の世界に入ってしまうのだと思います。
 カラオケ映像は、大抵は低予算で、安直で、間に合わせで、役者さんもスタッフも、誰もがやっつけ仕事という、シワ寄せの結晶のようなシロモノです。良いものを作っても評価されるわけではないし、おそらく良いものを求められているわけでもないので、当然といえば当然かもしれません。
 それでもカラオケ映像の世界には、妙な魅力があるのです。

 カラオケ映像の世界では、誰もが基本的に美男美女です。しかし、良い感じに(?)等身大でもあります。テレビドラマのような、「手の届かない人たちの作り物の日常」ではなく、それこそ、隣の部屋を開けたらこの人たちがマイクを持って歌っているのではないかと思わせるような、そんなリアリティがあります。
 そして彼らはみんな一生懸命です。一生懸命バイトをしたり、夢を追いかけたり、恋をしたりしています。失敗して怒られても決してへこたれませんし、事実、彼らはしょっちゅう失敗します。
 カラオケ映像の世界では、頻繁に男女がぶつかって、物が落とされます。今日みていただけでも、リンゴ、オレンジ、種(!)、手帳、教科書が落とされました。
 ぶつかると、彼らは簡単に恋に落ちます。ひとりで部屋にいるときなど、回想シーンでぶつかったところが何度も映し出されます。再会を夢みて同じ場所に行って、結局は会えずに肩を落としたりもします。
 そしてもちろん、思いがけないところで2人は再会します。再会すると、2人の仲は急接近。めでたしめでたし、なのです。
 カラオケ映像の世界では、頻繁に三角関係に陥ります。
 彼が他の人といるところを目撃して悩む女の子もいれば、2人の男の子からチヤホヤされて、その2人の男の子も「良いライバル」みたいな感じで、3人で非常に仲良く青春を謳歌しちゃう場合もあります。
 カラオケ映像の世界では、電子メールよりも手紙をしたためることをよしとする傾向があります。
 カラオケ映像の世界では、法に触れるか触れないかのスレスレのところで、誰もが待ち伏せをします。
 カラオケ映像の世界では、あり得ないことも起こります。
 地下室に女の子が拉致され、ロープで縛られているところを、ピストルを持った男の子が助けに行くこともあります。
 女の子が待ち伏せをしていて、突然現れたかと思うと男の子の腕に手錠をかけ、手錠の反対側を自分の腕にかけて、鍵は彼の見ている前で飲み込んでしまい、そのまま彼をデートにつれ回したりもします。
 ものすごくかわいい女子高校生が、勇気を出して同級生の男の子に手紙を渡すと、その男の子(大した男ではありません)はそれを読みもせず、その場に捨てて過ぎ去るという、「何やってんだよ、おい」ということも起こります。

 ラジオ(特にラジオドラマ)を聞くと、映像がない分、頭の中で映像を補完して「現実」を作りますので、余計にリアルに感じることがありますが、カラオケ映像はセリフがない分、同じように、どんな会話が行なわれているのか、頭の中で補完していきます。解釈は人それぞれ。そのプロセスが、テレビドラマでは感じる事のできない没入感を生み出しているのかもしれません。
 5分前後の中に、ちゃんとストーリーがあって、まるで短編映画を観ているような気にもなるし、「え? 終わっちゃうの? 続きは??」という気分にさえなります。

 カラオケ映像の世界には、いくら安直でも、ご都合主義的でも、そこには確かに、青春があるのです。
 誰もが経験する可能性があった青春……。
 こんなにも、カラオケ映像の世界にはまってしまったのは、そんな青春を、僕は決して経験することができなかったのだと感じるからだと思います。
 冷静に考えると、あり得ない映像のオンパレードなのですが、カラオケ映像には、「こういうの、みんな経験してますけど」的な説得力がどこかにあるのです。

 今日みた映像の中で、一番きゅんときたのは、中学生くらいの男女の映像です。
 男の子は、好きな女の子にラブレターを書くのですが、なかなか渡すことができません。
 何度も待ち伏せしてチャンスをうかがうのですが、いざ渡そうとすると、勇気が出なくて渡せない。
 しかし、これじゃあいけないと、男の子は意を決して、彼女に手紙を渡しに行きます。
 すると、道の影から突然、相手の女の子が現れます。そして、「これ読んでください」という感じで頭を下げながら両手を差し出して、なんと彼女の方から彼に手紙を渡したのです。女の子は手紙を渡すと、恥ずかしさのあまり走っていなくなってしまいます。
 突然のことに、しばし呆然とする男の子。
 彼女からもらった手紙と、自分の書いた手紙を見比べています。
 そして彼は走って彼女を追いかけます。追いつくと、自分の手紙を彼女に渡し、「実は僕も手紙を渡しに行く所だったんだよ」的な表情を浮かべます。
 幸せそうに見つめあう二人。
 次のシーンで、2人は初めてのデートで海沿いの岩の上に座っています。
 男の子は女の子の手を握りたいのだけれど、手紙を渡せなかったときと同じように、握ろうとしては躊躇しています。
 だけど勇気を振り絞って、彼女の手に自分の手を重ねます。
 彼女は彼の方を向いて、優しく微笑みます。
 そして最後のシーンでは、2人はしっかり手を繋いで海岸沿いを歩くのです。
 おわり。
 あぁ、こんな幸せなことってあるでしょうか? まるで夢のよう。
 こういう青春を、一度でいいから経験してみたかったです。

 カラオケボックスで感じる「あの」気持ちは、そんな、失われた青春に焦がれる気持ちなのかもしれません。
 自分の中で、確かにひとつの時代が終わってしまったのだという現実を、まざまざと見せつけられた気がします。

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