老いと若さ

 今は学校で、鎌倉幕府は1192年ではなく、1185年から始まったと教えるそうです。
 「いい国つくろう、鎌倉幕府」ではなく、「いい箱つくろう、鎌倉幕府」って語呂合わせするのかな?
 冥王星が惑星ではなくなったときにも思いましたが、こんな風に、常識だと思っていたものが覆されると、長い間、間違いを真実だと信じていたという事実に、何とも言えない居心地の悪さを感じます。
 勘違いとか、勉強不足が原因で間違いに気づくのならば構わないのですが、「やっぱりあれナシ。こっちにして!」みたいな訂正のされ方をされると、大げさな言い方をすれば、人生の一部分を奪われたような、そんな気持ちになるのです。
 頭では、「自分の信じているものが間違っている可能性はいくらでもあるのだ」と認めつつも、同時に「間違っているわけがない」と思っているからこそ信じているわけで、間違いが訂正されたときに、その間違いに固執せずに受け入れることって、案外難しい。
 鎌倉幕府や冥王星ならば、自分の人生にそれほど影響があるわけではないので、受け入れることは容易いのですが、その知識の上に人生を築き上げてきた場合、専門化の研究によって、それらが全部出鱈目だったことが証明されたとしても、簡単に認めることなんてできません。
 結局、老いとは「間違いを認められないこと」だし、若さとは「間違いを認められる柔軟性を持っていること」なのだと思います。

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