青春のリグレット

 「青春のリグレット」という松任谷由実の書いた曲があります。
 元々は、麗美のためにユーミンが書いた曲ですが、後にユーミン自身も歌っています。
 (僕は松任谷由実バージョンよりも、麗美バージョンの方が、歌もアレンジも圧倒的に好き)
 こんな歌詞です。

  笑って話せるね
  そのうちにって 握手した
  彼のシャツの色が まぎれた人混み
  バスは煙残し
  小さく咳きこんだら
  目の前がにじんだ黄昏

  あなたが本気で見た夢を
  はぐらかしたのが苦しいの
  
  私を許さないで 憎んでも覚えてて
  今では痛みだけが 真心のシルエット

  ほんの三月前は 指絡めた交差点
  今も横を歩く気がする   
  
  夏のバカンスを胸に秘め
  普通に結婚してゆくの
  
  私を許さないで 憎んでも覚えてて
  今でもあなただけが 青春のリグレット

  私を許さないで 憎んでも覚えてて
  今では痛みだけが 真心のシルエット

  笑って話せるの それはなんて哀しい
  だってせいいっぱい愛した あなたを愛した

 この曲の凄みは、何と言っても、「私を許さないで 憎んでも覚えてて」でしょう。
 僕の義理の兄はアメリカ人なのですが、この歌詞を聴いたとき、「憎んでいても覚えていて欲しい、という感覚は全く理解できない。日本人ならではの発想なのではないか?」と言っていました。
 当時、僕は高校生だったのですが、そこまで意味を深く考えて聴いていませんでしたので、彼の言っている意味がピンと来ませんでした。でも今になって改めて聴くと、僕にもこの発想は理解できません。
 日本人ならではの発想というより、女性ならではの発想なのかな?

 この歌詞を良く読むと、どうも悪いのは、断然、彼女の方ですね。
 勝手な推測ですが、彼女は結婚が決まっているにも関わらず、この「あなた」を愛して、夏の間に「バカンス」を楽しみ、彼が彼女との未来を「夢」見はじめても、自分は結婚が決まっているのでその夢を「はぐらかし」、結局は彼とは別れるのです。

 「笑って話せるね」
 「そのうちに……」

 という会話を残して。
 そして彼女は、おそらく「せいいっぱい愛した」わけでもない相手と、「普通に」結婚していくのです。
 別れて3ヶ月くらいのときは、彼と「指」を「絡めた交差点」で彼を思い出し、切ない気持ちになったりもしました。
 しかし時が流れ、いつか、約束の「そのうち」がやってくるのかもしれない。
 彼と「笑って」話すことができるまでの関係になっている自分。
 自分のことを許さないで欲しい。憎んでいてもいいから、覚えておいて欲しいとまで思った彼と、笑って話している。
 「それは」憎まれているよりも、「なんて哀しい」。何故なら、「せいいっぱい愛し」ていたのだから。

 これだけ短い文章の中に、しっかりとドラマを描くことができるユーミンの才能に脱帽ですが、それよりなにより、このドラマには救いがないですね。
 決して運命に逆らおうとしないで「せいいっぱい愛した」と哀しさに浸るだけの彼女と、そんな彼女を「笑って話せるね」と大人の対応で手放す彼、そして彼女の「夏のバカンス」のことなど何も知らないで結婚生活を送る彼女の夫。
 誰も救われない。
 でも、こういった「誰も救われない」曲が、人を共感させるのかもしれません。

 最後になりましたが、女性の皆様、この「私を許さないで 憎んでも覚えてて」という気持ち、理解できますか?

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