「夢の中で頬をつねる」ことについて

 信じられないことや嬉しいことがあると、「夢じゃないよね?」と、頬をつねるシーンをテレビなどで観ることがありますが、「夢の中で頬をつねる」ことが、子供の頃の僕の望みでした。
 というのも、子供の頃、アニメなどでそういったシーンを観るたびに、自分もやってみたいのと同時に、「これにはどういう意味があるんだろう?」と思っていたからです。
 起きているときに、「これは夢なのではないか?」と思ったことなど、一度もありません。
 「これは決して夢ではなく、現実である」と、ハッキリと判ります。
 それでは、夢の中ではどうかというと、夢を見ているときも、「ははーん、これは夢だな」なんて思うことはあまりなくて、大抵は現実だと思っています。(ちなみに、夢の中で「これは夢だ」と気付く夢を、「明晰夢」と呼びます。比較したわけではないけれど、僕は「夢の中で頬をつねりたい願望」が強かったせいか、人より明晰夢をよく見ている方だと思います)
 つまり、現実でも、夢の中でも、どちらも僕は「現実だ」と思っているわけです。
 ということは、「本当に」今こうやって文章を打っているのが現実だと言えるのかどうか……。
 夢の中だって、「これが現実だ」と思っているわけですから、どんなに「でもこっちの方がずっとリアルに感じる!」と言った所で、まったく説得力がありません。夢の中で、「でもこれが夢のはずがない!」と思う可能性だってありますし、実際、僕は夢の中で、「これが夢だったら良かったのに……」と思ったことが何度もあります。
 しかし、例えそうだとしても、やはり、今こうやって文章を打っているのは現実です。夢ではありません。
 それは何故か? 何で、そんなにハッキリと言えるのか?
 何故なら、記憶が連続しているからです。
 昨日と今日は連続している。昨日だけじゃなくて、1週間前、1ヶ月前、1年前、10年前からこの人生は連続していて、その結果として今日があることを、認識できるからです。
 夢の世界はそうではありません。
 夢の世界は、ただ、「現在」があるだけです。
 何だかよく解らないけれど、自分が試験を受けなければならない学生だったりして、どうしてその学校を選んだのかなど、全く理由も知らないし、準備だって全くできたいないのに、圧倒的な現実感だけがあって、試験から逃れることができなかったりします。冷静に考えればそんなことはあり得ないのに、夢の中では、いきなりそのシーンに放り込まれても、大抵は疑問も持たずに受け入れてしまうのです。

 子供の頃、どうして「夢の中で頬をつねりたい願望」があったのかというと、頬をつねる目的が、子供心に、よく解らなかったからです。

1.夢の中だと、頬をつねっても痛くないはずだから、痛ければ現実、痛くなければ夢、という意味で頬をつねるのか。
2.それとも、頬をつねって痛いと目が覚めるので、目が覚めなければ現実、目が覚めれば夢、という意味でつねるのか。

 夢というのはリアルなので、「痛みを感じない以外は、現実と区別ができない」という前提があるのであれば、1.が正解でしょう。
 そして、「痛みが夢から脱出するためのトリガーとなる」のでしたら、2.が正解になります。
 子供の頃、それこそ毎晩のように、「今日こそ夢の中で頬をつねってやろう」と思って寝ていました。
 だけれど、それに成功したことは一度もありませんでした。
 どうしてそこまで熱心に、夢の中で頬をつねることを求めていたのか、自分でもよく判りませんが、夢の中で頬をつねることができてはじめて、テレビに出てくる、「夢じゃないかしら?」と頬をつねるシーンはリアリティを持つし、自分だって、信じられないことが起こったときに、堂々と頬をつねっても良いような気がしたのだと思います。
 これには複線があります。
 子供の頃、同じくテレビなどで、自然の中で「空気が美味しい!」と言っている人をみて、「自然の中ではこういう風に言うんだな」って思ったことがあります。そこで、旅行で山へ連れて行ってもらったときに、「空気が美味しい!」と大きな声で言ったことがあるんです。
 すると、周りで聞いていた大人たちは大爆笑。
 僕はすごく恥ずかしくなって、「間違ったことを言ってしまったのだ」と思いました。
 笑っている大人たちは、「お前に空気の何が解るのだ」と言う目をしていましたし、実際に空気が美味しい感覚など、僕は全く感じていませんでした。僕はただ、テレビで聞いたそのセリフを言ってみたくて、そのチャンスを淡々とねらっていただけなのです。
 完全にそれを見透かされた気がしました。
 その経験があったので、軽々しく、信じられないことが起こったときに、「夢じゃないかしら?」と頬をつねるわけにはいかない。頬をつねることが本当に有効なのだということを確認してから実践したい、と思っていたのです。

 余談ですが、高校の頃、友達が「夢は白黒だ」というのを聞いて、びっくりしたことがあります。
 そんなことは考えたこともなかったし、当たり前のように、現実がカラーなのと同じように、夢もカラーだと僕は思い込んでいました。
 しかしそう言われると、全く確信が持てませんでした。
 「じゃあ、夢の中で何色の何を見たことがある?」と聞かれても、僕は答えることができなかったのです。
 そこで、その日からしばらく、夢は白黒かどうかを検証しようと意識して寝るようにしました。
 なかなか結果は出ませんでしたが、ある日、夢の中に、当時流行していたMA-1というジャケットの裏地のオレンジ色がくっきりと出てきました。
 そして僕は、「僕の夢はカラーなのだ」と確信したのです。
 話を元に戻します。
 夢の中で頬をつねることは中々できませんでしたが、次第にいくつかのことに気がつくようになりました。
 それは、「夢の中では痛みを感じる」ということ、そして、「痛みを感じても目が覚めるわけではない」、ということです。
 そして、先ほど書きましたとおり、僕は時々、夢の中で「これは夢だな」と気付くようにもなりました。
 気付けたのだから、そのまま頬をつねれば良いのだけれど、そこまでは何故か気が回りません。
 さらに、「これは夢だな」と気がつくと、何故かすぐに目が覚めてしまうのです。
 「目覚める直前だからこそ、それが夢だと気付くことができた」のか、それとも、「夢だと気付くことが、夢から脱出するトリガーになっていた」のか、それさえ僕には解りませんでした。

 さて、長々と書いてきましたが、実は昨日、ものすごくリアルに、「夢の中で頬をつねる」という経験をすることができました。(何年越しなんだろう。笑)
 昨日、少し嫌な夢を見ていて、あまりの理不尽さに、「あぁ、これは夢だな」と気がついたんです。
 いつもだと、その状態は長く続かないのですが、昨日は珍しく、いつまでたっても目覚めず、一生懸命自分で起きようともしたのですが、起きることができませんでした。非常にリアルで、非常に夢の状態が安定している感じがして、どうすれば夢の世界から逃げることができるのだろうと、だんだんと焦ってきました。
 映画「マトリックス」で、それが仮想現実だと解っていても、自由にこちらの世界に戻れないのと同じような、そんな感覚でした。
 そんな中、痛ければ起きられるのではないかと思い、頬を叩いたり、つねったりしてみたのです。
 そして、頬にははっきりと痛みを感じたけれど、起きることはできませんでした。
 「夢の中で頬をつねると痛いし、起きることもできないんだな。この方法は、全くの無意味なんだな」と、夢の中で思ったのを覚えています。
 で、何故だか解らないのですが、「自分が寝ているはずの部屋やベッドを思い出すことができれば起きられる」ということが解ったのです。(夢の中では、そういうことは、ただ、「解る」のです)
 そこで、「昨日はどこで寝たっけ?」と考えるのですが、それが思い出せない。自分がどんな家に住んでいて、どんな部屋で寝ているのか、全く出てこない。
 何度も「こんな感じの部屋かな?」と想像して、その部屋のベッドからガバッと起きるところを想像するのです。そう想像すると、実際にその想像した部屋で起きることができるのだけれど、起きたところもまだ夢の中。「違う、この部屋じゃない」となるのです。
 最終的に、昔住んでいたアパートの部屋をハッキリと思い出すことができて(自分は昨日、その部屋で寝たのだと思っていました)、その部屋で起きるところを想像したところ、目が覚めました。
 目が覚めて、自分の部屋をみて、「あぁ、間違った部屋を想像してたんだ」と思いました。間違ったけれど、起きられてよかった、と。

 夢と解っていながら、ここまで目覚めることができなかったのは、はじめての経験です。
 もし、毎晩眠ると、昨日の夢の続きを見るとしたら、これが現実か夢かなど、大した問題ではなくなるのだろうなぁと、目が覚めてから思いました。
 これだけリアルな夢や、目覚められない夢を見るのであれば、今後、「夢の連作」を見る可能性も十分にあるし、そんなことを考えると、ちょっとだけ怖くなりました。

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