ひとりごと
2003年 5〜8月

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<2003-8-31>
 友人と、ウッドデッキを作ろう、ということで近所のホームセンターへ行きました。木材やペンキを探していると、電動式のドライバーが 2,980円で売っているのを発見しました。
 先日、通販で収納棚を買ったのですが、そのとき、組み立てに3時間もかかり、完成したときには手が真っ赤になって痛くなるほどたくさんネジを締めなくてはなりませんでした。そのつらい経験がよみがえり、10分ほど悩みましたが、思い切ってその電動式ドライバーを購入しました。
 早速ウッドデッキ作成の際に使ったのですが、なぜ今までこれに気がつかなかったのだろうと思うほど、めちゃくちゃ便利。
 ネジをあっという間に締めることができ、大感動。目から鱗。パラダイムシフトと呼んでも過言ではありません。
 途中で充電池が切れて、再充電の間しばらく使えなかったのですが、もう普通のドライバーには戻れませんでした。
 疲れるし、遅いし……。
 買うときは「こんなの必要ないかもな」と思っても、買ってしまうともうそれがない世界には戻れない商品ってときどきありますね。
 僕は携帯電話なんてなくても今まで生活できたのだからと、結構最近まで携帯電話を持っていませんでした。
 だけど一度持ってしまうと、ない生活はちょっと考えられない。
 車を買ったとき、オプションの中に「オートエアコン」というのがあって、そのときは「別に自分で調節すればいいしなぁ」と思いましたが、オプション○○円分プレゼント、みたいなキャンペーン中だったので、なんとなく選んでみました。
 車が来た後も、「オートエアコンだけはいらなかったかなぁ」とずっと思っていたのですが、いざ、エアコンを使う季節になると、もう便利で仕方がありません。
 もちろん逆もあります。
 わ、これ便利だろうなぁ、と思って買ったはいいけど全然使っていないもの。
 我が家で言えば、エスプレッソマシンかな。
 「もうそれがないと生きてはいけない感覚」を感じられる瞬間って、何だかとっても幸せです。 

<2003-8-30>
 沢田研二の「カサブランカダンディ」。
 改めて聴くと、あまりの内容に、ちょっとヒキます。
 「カサブランカダンディ」だけでなく、沢田研二そのものが、今ではあり得ない気がする。
 当時の子供たちが、このような歌を意味も判らず喜んで歌っていたかと思うと恐ろしいです。
 もちろん中にはいい歌もあります。「ヤマトより愛を込めて」なんて思い出すだけで鳥肌が立つほどの名曲です。
 でもそういうのは例外で、頬がポッと赤くなるような、ストレートすぎる歌が圧倒的に多い。
 「OH! ギャル」しかり、「ダーリング」しかり、「憎みきれないろくでなし」しかり。
 そもそも彼は、なぜにジュリー? 
 水前寺清子でチーターもよく判らないけれど、沢田研二でジュリーはもっとよく判りません。
 「ボギー、ボギー、あんたの時代は良かった」
 本当にそう思います。 

<2003-8-28>
 意味はよく判らないけれど、一度使ってみたい言葉。
 「へのつっぱりはいらんですよ」

<2003-8-25>
 オフコースの「I LOVE YOU」というアルバムの最後に、「I LOVE YOU」という曲が入っています。
 この曲の間奏で、英語が流れる部分があるのですが、実はこの英語、ジョンレノンが死んだことを伝えるニュース放送を収録したものなのです。
 はじめて聴いたときはまだ中学生だったので、何を言っているのか理解できなかったのですが、先日改めて聴きなおし、オフコースのコーラスとニュースの内容に、何とも言えない震えを感じました。
 ちなみにシングル盤の「I LOVE YOU」の間奏は、この英語が違います。

<2003-8-24>
 パズルをやりながら実感したのですが、これ、箱に絵が印刷されていなくて、完成図を知らなかったら数倍難しいでしょうね。
 人生って、もしかしたら完成図を知らずにパズルを組み立てるようなものなのかもしれません。

<2003-8-23>
 「バベルの塔」を始めたのですが、絵が細かくて予想以上に簡単です。
 何だかすぐに終わりそう。
 リハビリにはちょうどいいのかもしれませんが、今度はもう少し難しそうなのをやろうと思います。
 うー、今回のパズル熱はどれくらい続くのだろうか……。

<2003-8-22>
 数日前からパズル熱が再発し、とうとう我慢できずに おもちゃ屋へ車を走らせました。
 そして気がつくと、1000 ピースの「バベルの塔」が、車の後部座席に無造作に乗っていました。
 本当に久しぶりのパズルです。
 何だかひどい別れ方をした昔の恋人に、ひょんな理由で再会するような気分です。

<2003-8-21>
 ドン・キホーテに行ったら、よくテレビ通販で宣伝しているスチームクリーナーが、なんと 1,980 円で売っていたので、迷わずに購入しました。
 テレビで観ていたときから「欲しいなぁ、でも高いなぁ」と思っていたので、値札に一瞬、目を疑いました。(値札には、「やけくそ価格」と書いてありました)
 実際に使ってみたのですが、やはりテレビの宣伝のように、何でもかんでもきれいになるわけではありませんでした。
 しかしレンジ周りなどの油汚れには効果覿面で、浮いてきた油をささっとこするだけでかなりきれいになりました。

<2003-8-20>
 チアリーディングの大会というのがありますが、その応援をするチアリーダーとかいたら鬱陶しいだろうな。

<2003-8-19>
 ハンガリー語で、塩味の足りないことを「シオタラン」と言うそうです。(「トリビアの泉」情報)
 日本語っぽいことは確かにびっくりなのですが、それよりもハンガリー語には「塩味が足りない状態」を表す単語があるということの方が、僕にはびっくりでした。
 もちろん、「シオタラン」を「塩味が足りない」と翻訳することは可能かもしれませんが、「シオタラン」という一個の概念と「塩味が足りない」という説明文では、100%同じ意味ではないのではないかと思うのです。
 概念って不思議です。
 その国にしかない概念ってあると思うし、便宜的に翻訳したところで、結局は本質を表してはいないように思う。
 例えば日本には「気」という概念があります。
 気が合う、気が散る、気を遣う……。
 英語に「気」っていう概念はないですよね。(あるのかな?)
 だから翻訳すると、全部が全然関係のない言葉になってしまう。
 それで意味は通じたとしても、合ったり、散ったり、遣ったりという、気を中心とした感触というのは、おそらくアメリカ人には理解できないのではないでしょうか。
 ところで、「概念」という概念をはじめに思いついた人は偉大ですよね。
 「概念」という概念をもたない国の人に、「概念」という概念を説明するのはひどく骨の折れる作業だろうな。

<2003-8-18>
 メロンパンナの得意技は、「どんなあいてでも、メロメロの、へなへなにしてしまうメロメロパンチ」だそうです。
 一度そのパンチで、メロメロのへなへなにして欲しいものです。

<2003-8-17>
 横浜ベイスターズのホッシー君、激しく間違っている気がします。

<2003-8-16>
 今週はうまく行かないことや嫌なことがいくつかあり、ちょっと疲れてしまいました。
 人生にリセットボタンがあれば押してたなぁって、182回目くらいに思いました。

<2003-8-15>
 気がつくと心の中で、「ご、ご、ごーまるご!」と歌っている自分がいます。

<2003-8-14>
 高校生のころ、近所のとあるブロック塀に、「4/3πr参上!」という落書きがされているのを見たことがあります。
 センスのある落書きだなぁと思いました。
 (ちなみに 4/3πr3 は、球の体積を求める公式です)  

<2003-8-12>
 フロイトの精神分析学入門という本に、印象深いたとえ話があります。
 ある人が暗い夜道をひとりで歩いていたところ、強盗に時計と財布を盗られてしまいました。
 犯人の顔ははっきり見えなかったので、この人は近くの交番へ行き、「暗い夜道を一人で歩いていたら金目のものを盗られました」と訴えました。
 すると警官がこう言います。「あなたの見解は機械論的過ぎる。夜道を一人で歩いていたら盗られたのではない。暗くて一人なのをいいことに、強盗が貴重品を盗ったのだ」
 僕はこの話をはじめて読んだとき、前者と後者の見解がどう違うのか、よく解りませんでした。結局は同じことではないか、と。
 しかし前者と後者では、単純に視点が違います。前者は被害者の視点、後者は強盗の視点です。
 また、前者からは偶然性を、後者からは必然性を感じます。
 僕はよく、ついてない、と思うことがありますが、視点を変えると、もしかしたらそれら全ては何かの必然なのかもしれない、と思いました。
 フロイトは決してそういうことを言いたくてこの話をしているのではないのかもしれませんが、とても教訓的な話しだと思う。
 それにしてもこの警官、すごくドイツ的ですね。
 いや、ドイツの何を知っているわけではないんですけどね。(^^;;

<2003-8-11>
 昨日のPRIDEですが、残念なことに(?)、勝敗予想が全部当たってしまいました。
 勝って嬉しかったのはリデルぐらいで、ジャクソンの勝ちは微妙な判定ですっきりしないし、他の試合は負けると予想していた選手を応援していたので、いい意味での裏切りがなく、期待の割にはがっかりな興行でした。
 プロレスって、だいたいどっちが勝つか判るんですよ。基本は年功序列ですから。
 昨今の格闘技ブームは、そんなプロレスへのアンチテーゼとして日本では盛り上がりを見せているのだと思っています。真剣勝負は何が起こるか判りません。無名の選手が圧倒的な強さで勝つこともないことではありません。(プロレスではまず、あり得ません)
 でも最近のPRIDEは、結構事前の勝敗予想が当たってしまう。
 逆に言うと、そういった実力の差のはっきりとしているカードしか組んでいないような気がするのです。
 あと、予想のときも書きましたが、胴着で絞めるのは反則にした方がいいんじゃないかな。
 なんかあれで勝たれてもすっきりしないんですよね。

<2003-8-9>
 電車に乗ると、「携帯電話のご使用は周りのお客様のご迷惑になりますので、ご遠慮ください」とアナウンスが流れることがあります。駅や車内のポスターでも、携帯電話の使用はマナー違反のように啓蒙されています。
 もちろん、優先席付近で、ペースメーカーを使用している人のための配慮で電源を切ることはやぶさかではありませんが、ペースメーカーの誤作動以外の理由は、正直よく判りません。もしそれだけの理由で携帯電話禁止ならば、PHSで話すのはOK、ということになりますよね? (PHSは携帯と違い、機器に影響を与えないそうです。いや、厳密に言えば与えているのだろうけれど、携帯に比べると格段とその影響力は低いそうです。これは以前にどこかでちらっと読んだ話なので、もしかしたら大嘘かもしれませんが、確かに携帯が着信する際にはパソコンのスピーカーが異音を立てますが、PHSが着信するときにはそういった音は聞こえません) また、携帯で話している人は白い目で見られますが、メールをしている人はマナー違反と思われていないみたいだし、本人も悪いこととは思っていないようです。そもそも車内のアナウンスも、「携帯電話のご使用はご遠慮ください。また、優先席付近では電源をお切りください」と言っています。つまり、使用さえしなければ、優先席付近でなければ電源を切らなくてもよい、ということになりますね。
 こう考えると、結局のところ、ペースメーカーの誤作動は理由の一つに過ぎず、むしろ車内で大きな声をだして携帯で話しているのがけしからん、ということだと思うのです。
 確かに隣の人が携帯で長電話して、さらにそれがどうでもよい内容だとなんだかこっちが恥ずかしくなるし、イライラすることもあります。でもそれは、何も携帯電話に限ったことではありません。満員電車の中で隣の学生の集団が大きな声で話していると同じようにイライラしますし、「電車内で携帯で話すのはマナー違反」ということであれば、僕は電車内での会話すべてがマナー違反だと思うのです。せっかく本を読んでいても、隣で会話が始まるとまったく集中できないし、聞きたくなくても内容が頭に入ってきて、その人たちの私生活にも一言いいたくなります。(これはもちろんお節介です。すみません。。。)
 さすがに、電車内で会話をするな、とは言えないし、それが本当にマナー違反になるのかは、人によって考えが違うでしょう。でも、だったら「車内での携帯の使用はマナー違反」というのも根拠が薄弱だと思うのです。何がどうしてマナー違反なのか、是非とも理由を知りたいものです。
 ちなみに、僕は「電車の中で携帯電話を使ってもいいじゃないか」と思ってこの文章を書いているわけではなく、むしろ逆で、「携帯電話の登場で、やっと車内で会話をすると周りが不快な場合があることが認知されはじめた。この勢いで車内で会話すること自体がマナー違反になればいいのに」と思っています。
 何事も節度ですよね。空いた電車で、静かな声で会話している分には全然よいのです。でも、満員電車で、耳元でどうでもいい話をされると、何だかイライラしてしまいます。
 レストランなどでも、控えめな声で会話を楽しんでいる人は全然気になりませんが、動物園のサルのように大声で盛り上がっている人たちがたまたま隣にいると、なんかついてないなぁと思う。
 そうそう、レストランでも携帯禁止のマークがついているところ、ありますよね。
 携帯だけを悪者にするのは的外れな気がします。  

<2003-8-8>
 昨日、夢の話を書きましたが、実はこの夢には続きがあります。
 おばあちゃんの後、おじいちゃんが電話に出ました。(どうでもいいことですが、おばあちゃんは母方のおばあちゃん、おじいちゃんは何故か、父方のおじいちゃんでした)
 おじいちゃんは、僕が生まれたときには既に亡くなっていたので、写真でしか会ったことがありません。
 電話口で僕は何を話せば良いのか判らず、思わず「はじめまして」と言いました。
 我ながら、かなり間抜けな一言だな、と夢の中で思いました。 

<2003-8-7>
 死んだおばあちゃんから携帯電話に電話がかかってくる夢を見ました。
 「天国はどう?」と聞いたら、「もう最高!」という返事が返ってきました。

<2003-8-6>
 昨夜、寝る前に突然オフコースが聴きたくなって、「ワインの匂い」のA面(そう、もちろんMDではなく、カセットテープです)だけ聴きました。
 「雨の降る日に」の、雨の中を車が通り過ぎていく前奏を聴いただけで、僕の心はいっぺんに十代に戻ってしまいました。楽しいわけでも、悲しいわけでも、寂しいわけでもない。もちろん、ただ懐かしいだけでもありません。
 なんだろう? この感じ……。
 頭の中で言葉をさがし、「あぁ、切ないんだな」って思いました。
 今までの人生の中で、「切ない」という言葉を何度も使ったけれど、本物の切なさって、すごく強い感情なんですね。
 催眠療法のセッションをするとき、誘導をしてから、退行催眠をすることがあるのですが、わざわざ誘導なんてしなくても、鍵さえ見つかれば、こうも簡単に心は昔にかえっていくのだなぁと、今更ながら実感しました。
 当時の自分の部屋、使っていたラジカセ、曲を聴きながら思っていたこと、中学の校庭、晩秋の夕暮れの空気感……。
 「あの雨の日、傘の中で、大きく僕がついた、ため息はあの人に、聴こえたかしら……」

<2003-8-5>
 今回のPRIDE、良いカードが目白押しなので、勝敗予想、ならびにどちらを応援するかを書いてみようと思います。
 ちなみに地上波では、10日(日)の22時30分よりフジテレビ系列より放映されます。
 第1試合 エメリヤーエンコ・ヒョードル VS ゲーリー・グッドリッジ
 ヒョードルがKO勝ちすると思います。応援するのは、久々登場のグッドリッジですね。これでグッドリッジが勝ってしまったら、いきなりPRIDEのトップに君臨ですが、難しいかな。
 第2試合 チャック・リデル VS アリスター・オーフレイム
 リデルだと思います。応援するのもリデル。
 第3試合 ヒカルド・アローナ VS クイントン・“ランペイジ”・ジャクソン
 ジャクソンのKO勝ちですね。応援するのもジャクソン。ジャクソンの試合はサップと同じで、見ていて面白い試合が多いので、是非勝ち進んで欲しいです。
 第4試合 アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ VS リコ・ロドリゲス
 ノゲイラだと思います。応援するのはリコですね。リコはUFC王者になったらしいので、良い勝負になるのではないでしょうか。(もしかしたら膠着だらけの凡戦かも?)
 第5試合 ミルコ・クロコップ VS イゴール・ボブチャンチン
 普通にやればクロコップだと思います。ただミルコは、未だに総合格闘技の怖さを知らないと思うんですよね。最近苦渋をなめ続けているボブチャンチンも昔はミルコのような快進撃をしていたことを思うと、きっかけがあればボブが勝つと思うのです。応援するのはボブ。是非久々のPRIDEで返り咲いて欲しい。第1試合のグッドリッジとあわせてボブが勝てば、狂喜乱舞してしまいそうです。
 第6試合 田村潔司 VS 吉田秀彦
 この試合も、普通にやれば吉田のような気もしますが、吉田も未だに総合格闘技の怖さを知らないと思う。 ホイスとの試合はホイスの主張どおり、落ちていなかったと思うし、ドンフライはヤオを飲みかねないのでどうも片ヤオだったのではないかと未だに思っています。総合格闘技で生きることを決めたのに胴着を着ているのも中途半端ですし、胴着で絞めるのがOKというルールも納得できません。……ということで、応援するのは当然田村です。赤いパンツの頑固者がどこまでやってくれるのか非常に楽しみです。
 第7試合 桜庭和志 VS ヴァンダレイ・シウバ
 これはシウバでしょう。桜庭はもう駄目だと思う。応援するのはかろうじて桜庭ですが、今の桜庭は口先ばかりで、ホイスを倒したときに感じた「桜庭熱」は、僕の中ではすでに冷めてしまいました。アグレッシブじゃないのに勝ってしまうところが桜庭の魅力だとは思いますが、いつもふたことめには体重差のことを持ち出す桜庭は、なんか男らしくないです。シウバ戦もあまりやりたくない感じだし。桜庭、ちょっと高く売りすぎですね。
  ということで、日曜日が楽しみです!
 PRIDEをご存じない、という方も、一度見てみてください。K−1もいいけど、PRIDEもいいですよー。

<2003-8-3>
 ZERO-ONEの火祭り03、大谷優勝じゃなくて良かったけれど、小島ってのもどうなんでしょう。
 僕は小島も大谷も田中も、なんだか好きになれないんですよねぇ。
 素直に耕平か横井の優勝でよかったんじゃないかな。
 来週はいよいよ、PRIDEミドル級グランプリです。
 田村には吉田を倒してほしいです。

<2003-8-2>
 X−ファイルのスカリー捜査官は、第4シーズンが一番きれいです。
 第1シーズンはまだ垢抜けない感じだし、第7シーズンあたりから急に老け込んだ感じがします。
 それにしても、スカリーとモルダーって、顔、甘すぎ。

<2003-8-1>
 歯医者って、結局治してませんよね。

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<2003-7-31>
 昼に近所の定食屋さんに行きました。
 食事をしていると、後から来たお客さんが隣に座り、肉だんご定食を注文しました。
 に、肉だんご定食?
 僕はその言葉の響きに首を傾げました。(もちろん、比喩的に、です)
 なぜ彼は、肉だんご定食を選んだのだろう?
 から揚げ定食でもなく、ハンバーグ定食でもなく、何故に肉だんご?
 肉だんごというのは、どこかしら、いい年をした大人が注文するべき定食ではないような気がしてきました。
 肉だんごって、付けあわせじゃないの?
 メインのおかずが肉だんごって、ちょっと無理があるのでは?
 別に肉だんごに嫌な思い出があるわけではありませんが、「この人は無性に肉だんごが食べたかったんだな。激しく肉だんごを求めているんだな」と思うと、何故かとてもおかしな気持ちになっていきました。
 肉だんご。
 肉だんご。
 肉だんご。
 頭の中でこの言葉を繰り返すと、言葉が変な力を持ち始めます。
 (みなさんもご一緒に……)
 肉だんご。
 肉だんご。
 肉だんご。
 おそらく、問題は「だんご」の方なのでしょう。
 普段、「肉」という言葉を聞いてこんなに反応してしまうことはないのですから。
 だんご……。
 「ごぼう」にも言葉の勢いを感じますが、「だんご」だって「ごぼう」に負けずとも劣らぬ勢いを感じます。(関係ないけど、「どじょう」にも同じ語の勢いを感じます)
 さらにこの「だんご」に、生命維持には欠かせない「肉」という接頭語(なのかな?)がつくのですから、パワーも倍増です。
 お好み焼き定食の存在を知ったときも驚きはしましたが、心のどこかで、大阪人ならばやりかねない、という冷めた思いがありました。あずきトーストをありがたがって食べている名古屋人も大目に見ましょう。
 でも、「肉だんごで定食を」、という発想には、人間の根源を揺るがされる思いがしました。
 現に僕は帰り道、横断歩道の前で信号が変わるのを待っていた女の子をみて、何故か、人生が解らなくなって死んでしまった人の責任は誰が取るのだろう?、と訳の判らないことを考えていました。
 きっと誰にも理解されず、疑問を抱えたまま、ひっそりと死んでいくのだろうな。
 ……こういうのはみんな、肉だんごのせいなのです。

<2003-7-30>
 夜中テレビでやっていた「シザーハンズ」をビデオにとって観ました。
 今まで、何人もの人から「シザーハンズは名作!」と言われてきたので、いつかは観ようと思っており、やっとという感じです。
 で、感想なのですが、この映画は発想の勝利というか、「手がハサミだったら?」という思い付きからすべてがはじまり、この映画に結実したように思います。
 僕はこの映画のように、悲しい話はあまり好きではないんです。
 感動する話と、悲しい話ってまったく別物だと思うのだけれど、世の中では「感動する映画=泣ける映画」みたいな図式ができてしまっているのではないかな。
 この映画は間違いなく、ただの悲しい話。そしてただのひどい話。
 教訓もなければ感動とも違うように思いました。
 やっぱり映画って、基本はハッピーエンドじゃないと……。後味悪い映画は、見終わった後、「僕は何で、お金を払って、時間を使ってまでしてこんな嫌な気持ちになっているんだろう?」と純粋に頭を傾げてしまいます。(今回はお金払ってないですけどね)
 そもそも、ペグが彼を下界に連れて行ったことが悪かったと思うし、人間の手をつけてもらう直前に発明家が死んでしまうのも、あとちょっとあのおじいちゃんが生きていてくれれば……、と悔やまれます。もちろん、彼が普通の手をつけてもらったり、ペグが彼を下界に連れていかなかったら映画にならないんですけどね。なんというか、こういう悔いのようなものがあると、ずっと引きずって観てしまうんです。
 観終わった後のこのモヤモヤした感じ、何かに似ているなぁと思ったら、A.I.を観終わった後の気分とそっくりでした。 

<2003-7-27>
 「エンタの神様」で毎週のようにマリックが手品をしていますが、最近の手品ってすごいなぁと思います。
 タネが全然わからない。
 従来の手品は、ハンカチを上にかけたり、人が箱の中に入ったりと、見えないところで不思議なことが起こります。そして、そこにタネがあるのはだいたい予想がつきます。(それでもすごいですが)
 でも最近の手品は、見たまんま。
 ちょっと手品でも勉強してみようかと思う、今日この頃です。 

<2003-7-25>
 甲州街道をドライブしていたら、ラジオからチューリップの曲が流れてきました。
 「我侭は男の罪、それを許さないのは女の罪」
 聴きながら思ったのですが、これ逆ですよね。
 我侭は女の罪で、それを許さないのは男の罪なんじゃないかな。
 それとも、女の我侭は罪でもなんでもなく、男が我侭だからこそ罪なのだろうか……。

<2003-7-24>
 家のドライヤーが駄目になったので、マイナスイオンを放出するドライヤーというのを買ってみました。
 マイナスイオンの効果は良くわかりませんが、少しだけ髪にいいことをしている気がして、とても良いです。

<2003-7-23>
 ジャニーズの滝沢君と僕は同じ人間だけれど、生きている人生はだいぶ違うものなのだろうな、と思いました。

<2003-7-22>
 NHK教育テレビの「ピタゴラスイッチ」を本当に久しぶりに観たのですが、「アルゴリズム体操」が「アルゴリズム行進」に変わっていました。
 「行進」は「体操」以上によく考えられていて、是非マスターしたいと思いました。
 菊池の無表情が最高です。

<2003-7-21>
 いつもここから、暴走族ネタより。
「手作り風ミルクパン買ってきてんじゃねーぞ、馬鹿野郎この野郎めー」
「この野郎めー、手作り風ってことは結局手作りじゃねーんじゃねーか、馬鹿野郎この野郎めー」
「手作り風ミルクパン買ってきてんじゃねーぞ、馬鹿野郎この野郎めー」
「この野郎めー、流れ作業丸出しじゃねーか、馬鹿野郎この野郎めー」
 ぶんぶんぶーん……。

<2003-7-19>
 うちの近くで盆踊りをやっていたので、散歩がてら見に行きました。
 もうすぐ学生は夏休みなんですね。
 浴衣の子供たちを見ながら、子供の頃を思い出して、ちょっと切ない気持ちになってしまいました。
 やっぱり夏は寂しい季節だなぁ。

<2003-7-18>
 なんで亭主は関白で、冬は将軍で、鍋は奉行なんでしょうか?
 鍋よりは冬の方が偉いけれど、実際に影で操っているのは亭主、ということなのかな。
 ……などと、どうでも良いことを考えてしまいました。

<2003-7-15>
 ドラえもんの1巻を読んだことはありますか?
 そもそも何故、ドラえもんは野比家にやって来ることになったのか、そこからドラえもんの物語は始まります。
 未来の のび太 の子孫は、のび太 の残した借金のせいで大変苦しい生活を送っていました。(お年玉がたったの50円!、という子供にとっては切実な状況です)
 セワシ君(のび太 のひ孫)は、のび太 が立派な人間になって、未来の自分たちの生活が少しでも変わるよう、ドラえもんを のび太 のもとに送る決心をし、それでドラえもんは野比家にやって来たのです。
 さて、ここで気になるのは、のび太 の作った借金です。
 ドラえもん1巻によると、のび太 は就職が出来なかったので、自分で会社を始めて社長になります。そして社長室で花火をしていたのが原因で会社が火事になり、会社は倒産してしまいます。それから野比家の借金生活は始まるのです。
 ちょっと話は横道にそれますが、この時の のび太 の奥さんはジャイアンの妹の、ジャイ子です。
 ジャイ子はドラえもんの中であまり登場する機会はありませんが、実は登場人物の中で一番成功した人物なのです。
 彼女はマンガを描くのがとても好きです。ギャグ漫画のアイデアを得ようと のび太 の尾行調査をしたり、何度も雑誌に投稿したりと、夢を目指して一直線。当初は「こんなへたくそみたことない」(のび太 談)というようなレベルだったのですが、雑誌の編集長からじきじきに返事をもらえるまでになり、「クリスチーネ剛田」の名前でやがて売れっ子漫画家にまで成長するのです。
 のび太 が社長としてある程度成功できたのは、陰で のび太 を支えてきたジャイ子の影響が少なからずあるのかもしれません。
 話を元に戻しますが、僕は子供のころは、「ダメな のび太」ということで、就職できなくて社長になったり、社長室で花火をして会社が火事になってしまったり、というくだりを笑いながら読み飛ばしていたのですが、今になって思うと、のび太 はなかなかのやり手と言わざるを得ません。
 社長と言っても、自称社長というわけではなく、結構大きな会社の社長になったようです。少なくとも社長室があり、花火をして遊んでいても会社が回っているのですから、従業員も多くいたことでしょう。マンガに出てくる会社の絵も、結構立派だったように思います。
 僕は今までの人生で、アルバイトや派遣社員も含め、何回か会社をかわってきました。いろいろな会社の就職試験も受けました。働きたい、と強く思える会社もなく、独立を考えた時期もありました。働きたい会社に就職することはとても難しかったですが、独立するのはそれとは別の種類の難しさがありました。
 しかし のび太 は、それをやってのけた。
 しかもドラえもんの力を一切借りずに、やってのけたのです。
 ドラえもん登場以後の、何でもドラえもんの道具に頼る のび太 は、もしかしたら本来の のび太 よりも、さらにダメな人間になってしまったのではないかと、ふと、新宿の地下道を歩きながら思いました。

<2003-7-14>
 結局壊れたスカパーチューナーは修理してもらうことにしました。
 保証期間は過ぎていたのですが、一度修理してもらっていることや、同じ型のチューナーを使っている人で同様の故障を経験している人がネット上にたくさんいることから、この製品自体に何か問題があるのではないか、ということをサービスセンターに伝えたところ、無償で修理に来てくれることになりました。
 今度はいつ壊れるのか、今からちょっと心配です。

<2003-7-13>
 昨日突然、スカパーのチューナーが死んでしまいました。
 このチューナー、購入して半年も経たないうちに受信できないようになり、基盤ごと交換してもらったのですが、また故障。。。
 今回のチューナーの故障は、気候が暑くなって、放熱が十分でなくなったのが原因だと思われます。
 ここ数日は、固まってはリセットの繰り返しでした。
 どうも最近の家電ってやわですね。至る所にコンピュータを使っているからしょうがないのかもしれませんが、家電がハングアップするのって許せません。ハングアップはパソコンだけで十分。
 これからどんどん家電にコンピュータが入って、何でもかんでもハングアップする世の中になるかと思うと、ちょっと憂鬱です。
 ハングアップする掃除機、ハングアップするコーヒーメーカー、ハングアップする洗濯機……。
 僕の子供のころって、家電は「鉄でできたカバ」のように頑丈でした。作りがしっかりしていて、保証書なんてただの飾りのようなものでした。平気で10年くらい使えた。「はやく壊れれば新しいのを買う決断もできるのにー」って、思いさえしました。
 だけどここ数年は、焦って保証書を探すことが多くなったように思う。
 シンプルって素敵。スイッチがひとつしかないような、牧歌的な(?)家電が増えて欲しいものです。

<2003-7-12>
 新宿の京王線のホームで、浜崎あゆみ と 上戸彩 をちょうど足して2で割ったような女の子を見ました。
 これだけ流行っているふたりを足しているにもかかわらず、哀しいくらい平凡な顔立ちでした。
 ブレンドって難しいなと思いました。

<2003-7-11>
 先日の「松本紳助」で、最高の卵かけご飯を食べよう、というのをやっていました。
 最高のお米で炊いた最高のご飯に、最高の卵、最高の醤油をかきまぜ、それをかけて二人が食べていました。
 ただの卵かけご飯なのですが、すごーく美味しそうでした。
 「こういう贅沢ってあるんやなぁ」と紳助。
 その日以来、なんとなく卵かけご飯が気になっていて、本日、思い切って夕食は卵かけご飯にしてみました。(う、質素……)
 普通のご飯に普通の卵、普通の醤油で作った普通の卵かけご飯でしたが、めちゃくちゃ美味しかったです。
 こういうのって、旅館の朝食でしか食べないけれど、改めて夕食で食べてみると、シンプルな素材の味わいみたいなものがたまりませんでした。
 夕飯のメニューに迷ったら、是非試してみてください。
 家族からは非難ゴーゴーかもしれませんが。

<2003-7-10>
 フジテレビで水曜日の夜9時から放送している「トリビアの泉」。
 無駄な知識を延々と教えてくれるのですが、とても面白いです。
 昨日一番「へぇ」と思ったトリビア : 「納豆の糸は12.6m伸びる」
 信じられます? 番組で検証していたのですが、本当に鎌倉の大仏より伸びるんですよ。
 タモリが水曜日にやる番組って、昔から面白いですね。
 30分番組時代のボキャブラも面白かったし、すぐに終わっちゃったけれどネタの番組も好きでした。
 「『豚に真珠』はキリストが言った言葉である」、っていうトリビアもありました。
 補足トリビアとして、「目から鱗」もキリストが言ったという説がある、と言っていましたが、それは間違いです。
 「目から鱗」はキリストの言葉ではなく、キリストの弟子のパウロが、改心する際、目から鱗のようなものが落ちた、という逸話からきています。

<2003-7-9>
 手作りチョコレートって、溶かしているだけですよね?

<2003-7-8>
 保坂尚輝&高岡早紀夫妻のCM見ると、ちょっとだけ引いてしまいます。
 幸せそうなのが全然羨ましくない、不思議なふたりです。

<2003-7-7>
 僕は誘導の際、ZIPPOライターを使うのですが、いつもなかなか火がつきません。(^^;;
 お客様がいらっしゃる前に、オイルを補充して、ちゃんと火がつくかを確認しています。
 この段階ではばっちり火がつきます。
 しかし、いざ誘導、という段になると、何度まわしても火花がむなしく飛び散るだけ……。
 大抵は、何度かやるうちに火がつくのですが、ときどき本当に火がつかなくて焦ることもあります。
 実際にZIPPOでタバコに火をつけている人は、苛立ちを覚えたりしないのでしょうか?
 それとも、やはり僕の持っているZIPPOがおかしいのでしょうか? (ちなみに近所の三和で298円で買った安物です)
 あるいは、ちゃんと火をつけるには、何かテクニックのようなものが必要なのでしょうか?
 謎は深まるばかりです。(……ってほどの事でもないですけど・笑)

<2003-7-6>
 長井秀和のネタより。
 「徳川埋蔵金はそこじゃない!」

<2003-7-5>
 夏って寂しい季節ですよね。
 何故か夏のコマーシャルを見ると、とても寂しい気持ちになります。
 「金鳥の夏、日本の夏(バチバチバチ←花火)」とかも寂しいし、カルピスやアイスコーヒーの、グラスで氷がチリチリと音を立てているコマーシャルも寂しい。アップテンポの音楽にあわせて水着姿の若者たちが海辺ではしゃいでいるコマーシャルなんか見ると、とっても取り残された気分になる。
 それに比べると、冬のコマーシャルって楽しいです。田中邦衛の「食べる前に飲む!」もそうだし、アルペンのコマーシャルもとても元気。少なくとも寂しい気持ちにはなりません。かろうじて寂しいのは、「北風小僧がささやいた〜。今夜は〜、今夜は〜、ハウスシチュー」くらいかなぁ。(古くてすみません) でもこのコマーシャルで感じる寂しさは、夏のコマーシャルで感じる寂しさとは根源的に違います。寂しい中にも、「こっち来いよ」みたいな空気がある。けど、夏のコマーシャルにはそれがありません。ただただひとりぼっち。風鈴の音でも聴こえようものなら、叫びだしてしまうだろうな。
 夏の歌も寂しいのが多いですね。
 井上揚水の「少年時代」は感傷に浸ってしまうし、テンポを間違えれば「我〜は〜海〜の〜子〜」もかなり危ないです。極めつけは「夏が来〜れば思い出す〜」ですね。「水芭蕉〜の花が」の後、ちょっと溜めてから小さな声で、「咲いている〜」。なんかこれ書いているだけで切なくなってきた。(^^;;
 冬の歌はやっぱりどれも元気いっぱい。
 「も〜い〜くつ寝ると〜、お正月〜」なんて、もう頭悪いんじゃないかってくらい天真爛漫。「雪〜やコンコン、アラレ〜やコンコン」だって、よーし、雪だるま作っちゃうぞ!って気持ちになります。(な、ならない?)
 コマーシャルや歌だけではありません。
 夏に関わるすべてのものに、どこか、キャンプの朝のようなヒヤっとした空気感、そして切ない静けさを感じるのは僕だけでしょうか。ヒグラシの鳴き声とか、お中元の水羊羹とか、缶詰のミカンの入っているソーメンとか……。

 僕は学生の頃から大江千里をよく聴いていました。
 夏になると、「納涼千里天国」という野外ライブによく行っていました。
 あれは確か千葉マリンスタジアムでライブがあった年のことです。ライブの終盤で、スクリーンに大きく風鈴が映し出され、「OLYMPIC」というアルバムに入っている「夏渡し」という曲を、彼が歌ったことがありました。
 僕はその年の1月に、いろいろあって勤めて1年にもならない会社を辞め、仕事もせずに毎日漠然とした気持ちで過ごしていました。
 身も心も疲れきっていました。
 焦りだけが募り、誰かにうまく思いを伝えることも出来ず、自分はこのままどこへ行ってしまうのだろうと、暗い気持ちで一杯でした。
 「夏渡し」は、それまでは特に好きでも嫌いでもない、どちらかというと聴き流していた曲だったのですが、スタンドの夜風と寂しい映像、そして美しい旋律は、不安定な僕の心に言いようのない、切ない感動をもたらしました。

        そろそろ梅雨も 軒をくぐって
        僕も仕事を また始めるよ
        だから どこかの人ごみで
        偶然 変わった君に 会いたいな
        その頃 今より 昔に近い僕で いられたら
        この国に 夏が来る
        変わらずの 夏が来る
        この国は どこへ行く
        変わらずに 進んで行く

 今でもこの曲を聴くと、僕の心は不安定だったあの頃に戻ります。

 夏は寂しい季節です。
 でも、きっとそれは、夏が終わってしまうからなのだと、今は思っています。

<2003-7-4>
 高校生の頃に「ユダヤ人の笑い話」という本を読みました。
 その中に、こんな話がありました。

 モーリッツがキリスト教の学校に入った。
 最初の時間は地理だった。先生は、商業が盛んに行われるようになったのは、イエスさまが人々の上に手をさしのべて、守ってくださったからだ、と説明した。
 次の時間は宗教だった。先生はクリスマスのいわれを話した。
 3時間目は歴史だった。先生は、人間のすべてのいとなみにはイエスさまがいつでもそばについてくださる、と説明した。
 4時間目は生物だった。
「モーリッツ、これは何だと思うかね。木の上にいて、ふさふさしたしっぽがあって、クルミをかじっているんだ」
 モーリッツは困った顔をした。
「ぼく、リスだと思ったんだけど、もしかしたら、イエスさまかもしれません」

<2003-7-3>
 先日、献血へ行きました。
 簡単な医師の問診のあと、両腕を出し、ひじの上のところをゴムで縛られました。
 僕は腕の血管が細く、健康診断などで採血する際はいつも、3回も4回も針を刺されます。
 採血をする看護婦さんは僕の腕を見て、「今日は細い人ばかりだ」とブツブツ。
 僕は心の中で、僕だって好きで血管が細いわけじゃないし、他の人が血管が細かったのも僕のせいじゃないのに……、と思いながらも、雰囲気におされて思わず「すみません」と謝ってしまいました。(^^;;
 その日はとても涼しい日で、献血ルームも冷房が入っており、僕の両腕はとても冷えていました。
「あんた、冷えてるねぇ。だから血管出てこないのよ。今日はちょっと無理ね。もっとあったかい日にいらっしゃい」
 ガーン。。。
 せっかく気合を入れて行ったのに……。
 献血断られることって、あるんですね。

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<2003-6-30>
 もうだいぶ昔の話ですが、薬丸裕英が「ごきげんよう」かなんかで、黒いゴミ袋(当時は半透明のゴミ袋なんてなかった)にお土産を入れて登場したことがありました。
 「僕ねぇ、ゴミ袋ってすごく好きなんですよ。大きいし、中身見えないし、安いし」と熱く語る薬丸氏。
 僕はこういった、自分だけの価値観を何かに認めている人って大好きです。
 格好いいとか悪いとか、ファッショナブルだとかダサいとか、そういうことじゃなくて、「だってこれ、すごく便利」と、誰がなんと言おうと我が道を突き進む人は、とても格好いいと思います。
 ちょっと話が変わってしまうかもしれないけれど、大衆の求めるものが一番便利で機能的かといったら、そうではないですね。
 例えば僕は最近、ノートパソコンを買ったのですが、判で押したように最近のノートはどれも液晶がピカピカ。確かに一見、綺麗だけれど、映り込みが激しくて長時間使うと目が疲れる。やはり従来の液晶の方が動画を見たりするのでなければ適していると思うのです。メーカーだって解っているはずなのに、やはりピカピカを作り続ける。何故かと言えば、そうじゃないと売れないからです。
 携帯電話もそうですね。気がつくと、折りたたみ携帯ばかりになっちゃいましたが、僕は絶対ストレート端末派。だって折りたたみ式って、着信したときにすぐ出られないし、厚いし、いい事ないと思うんだけどなぁ。
 旅行でもないのにウエストポーチしている人を見ると、もう拍手したくなりますね。
 そうだよ。便利なら使えばいいんだよ、って。 

<2003-6-29>
 最近はまっているテレビ番組は、テレビ朝日で土曜の深夜に放送している、年収3000万円以上の人のための情報番組「ド・ナイト」です。
 浅草キッドのやっているバラエティなのですが、超高級商品がこれでもかと出てきます。見ているとだんだん感覚が麻痺してきて、100万円くらいのものは安く感じてくるから不思議。
 コメンテーターとして、湯浅さんという弁護士がでているのだけれど、3億以下の取引はしたことがないとか、油田を持っているとか、ロックフェラーセンターを売ったとか、どこまで本当か判らない豪勢な話を毎回してくれて、それだけでも大笑い。しかも先日、湯浅さんの発言は本当なのか、というのを番組で検証していて、驚くことにすべて事実らしい。
 毎回お金持ちの社長に会いに行くコーナーがあって、どうやって社長になったかの苦労話や人生哲学を話してくれるのですが、なるほどと思わされることも多く、ちょっと勉強になります。「社長の大盤振る舞い」では、登場した社長が、何百万円という商品を、ポン、と視聴者にプレゼントしてくれます。しかも、馬だとか、大仏だとか、ヨーロッパのお城の宿泊券だとか、「そんなもの貰っても……」というものばかり。
 当たり前だけれど、僕の知らない世界ってたくさんあるんだなぁと思わされます。

<2003-6-25>
 「新しい単位」の続編、「<新しい>新しい単位」が本屋さんに売られていたので早速読みました。
 前作に引き続き、笑わせていただきました。
 緊急事態の単位は「Ott(オットット)」。ビールが溢れ、思わず「おっとっと」と口にする緊急事態が 1 Ott です。
 「手品ショーでステージに上げられそうになる緊急事態」は 238 Ott だそうです。 

<2003-6-24>
 久しぶりに横浜ベイスターズの試合を観ましたが、今更ながら、佐々木の抜けた穴は大きいですね。
 押さえはデニーじゃ絶対無理。(今日は勝ったけど、でもヒヤヒヤでした。)

<2003-6-22>
 ドラえもんに出てくる「ジャイアン」はあだ名で、本名は「剛田タケシ」ですよね。
 だけど彼の妹の名前は「ジャイ子」なんです。
 これってかなり不思議じゃないですか?
 噂によると、ジャイ子のあんちゃん→ジャイアン、ということで、彼のあだ名がジャイアンになったとかならなかったとか。
 ジャイアンも、まずはジャイ子ありきなんですね。 

<2003-6-21>
 大江千里の妹の名前は大江万里らしい。(はなわ情報)
 もちろん、大江千里も芸名ではなく、本名だそうです。
 両親、いいセンス(度胸?)してます。

<2003-6-20>
 ドラえもんの主題歌、いつの間にか渡辺美里になっていたんですね。知りませんでした。
 前奏のアレンジも今風に変わっていました。
 でも、ちょっと違和感を感じた。
 この違和感、のび太の洋服に襟がついたときに感じた違和感と全く同じです。

<2003-6-19>
 生まれ変わるとしたら、男がいいか、女がいいか、という質問をされることがありますが、僕は「まりも」がいいですね。
 北海道のきれいな湖の底で、じっと波に揺られていたいです。

<2003-6-18>
 小池栄子と柴咲コウと窪塚洋介は、日本国民の三大勘違いだと思うのだけれど……。

<2003-6-16>
 はなわ、最近テレビによく出ますね。前から好きだったので、なんだか嬉しいです。
 「はなわ」のことを、某お笑い関係者が「一発屋」と言っていましたが、僕はそうはならないと思う。「佐賀県の歌」だって、5年前から歌っていたし、ダンディ坂野とはわけが違うと思うんですよね。
 来週は「HEY!HEY!HEY!」にも出るみたいで、楽しみです。

<2003-6-15>
 アンパンマンの歌を聴いていると、「忘れないで夢を、こぼさないで涙」あたりから、なんだか泣きそうになります。

<2003-6-13>
 「あやや、アイスティー」のコマーシャル、なんか苦手です。

<2003-6-12>
 うちの冷蔵庫の中には「ロート Zi Φ」という目薬が入っているのですが、これをさすと、目が壊れるのではないかというくらいスッキリします。
 こんなの決して目に良くはないのだろうなぁと思いつつ、目が疲れているときはついつい使ってしまいます。

<2003-6-11>
 Windowsは3.1の時代から使っていますので、かれこれ10年(DOS時代から考えるともっとかな)になりますが、実は今まで、メーカー製の新品のパソコンを買った事って一度もないんです。いつも誰かのお古を安く譲ってもらったり、Windows95時代からは自作の道に入ってしまいましたので、自分で組み立てたりしてきました。
 しかしこの度、どうしてもノートPCが必要になり、生まれて初めて、パソコンをまっとうな(?)お店で買うことになりました。
 いつもは、都合が悪ければパーツを交換して拡張すればいいや、と思っているので気楽に中古でも自作でも買うのですが、ノートPCだとそれができないので、ここ数日頭を悩ませています。
 持ち運びを考えると小さくて軽いものが良いけれど、画面は大きいほうが見やすいし、できればCD-RWも欲しい。値段は安い方が良いけれど、かといって安いのはすぐ壊れちゃうのかもしれないから長い目で見たら高いのを買うべきか……。
 パソコン売り場であまり悩まずにパッと買っている人を見ると、「かっこいい……」と思ってしまう、今日この頃です。

<2003-6-10>
 イチゴは種で増えるのではなく、ランナーというツルが伸びて、そこから根が出て新しい苗になります。
 我が家のイチゴも、収穫の時期はそろそろ終わりで、さかんにランナーを伸ばし始めています。
 このランナーを小さなポットに固定し、来年の苗にする作業を始めました。
 ひとつの株から5本も6本もランナーが出ていて、さらに、そのランナーから2〜3株くらいとれるので、増やそうと思えばいくらでも苗を作ることが出来ます。(毎年それで増やしすぎて、結局植えるところがなくて困っています)
 本当は種からも苗を作ることもできるのですが、種から増やすと、まったく別の品種になってしまうので、普通は行ないません。(余談ですが、イチゴのツブツブの事を種と呼んでいますが、実はあれは種ではなく、あのツブツブこそが、イチゴの実なのだそうです。実だと思われている赤い部分は花托と言うそうです)
 僕は一度、風邪をひいたときにお見舞いにもらったイチゴの表面を、皮を向くように薄くきり、それを新聞紙の上で乾かし、種を取ったことがあります。(こうすると、ポロポロと簡単に種が取れます)
 それを土にまいたら、しばらくして小さな芽が出て、夏ごろには立派な苗になりました。
 しかし、この苗に花が咲いて実が取れるわけではなく、やはりこの苗が出すランナーをポットに固定して作った子どもの苗に、花が咲きます。
 種から育てたイチゴには愛着があり、それから数年、ランナーをとってはせっせと育てましたが、結局花は咲いてもあまりいい実ができず、去年からは、市販されている苗に完全に切り替えました。

<2003-6-9>
 先日のPRIDE26は予想通り(?)、いまいち盛り上がりに欠ける大会でした。いや、決して悪くはなかったのだけれど、夢中になって観ていた頃のドキドキ感はあまり感じられませんでした。
 それにしても、ミルコは強いですね。上になってから振り下ろすパンチは的確で、マウントをとっても中々決められない選手が最近多いので、さすがだと思いました。
 藤田は良くがんばったと思いますが、やはりヒョードルは強いですね。こうなると、ミルコとヒョードル、どちらが強いのか早く観てみたい。
 あと今回光っていたのは、ランペイジジャクソン。もうシウバよりも強いんじゃないかなぁ。あのパワーは、体重を増やせば十分ヘビー級でもやっていけると思います。
 今回、日本人がふたりも勝ってびっくりしました。
 この調子で、ヘビー級の選手も出てきて欲しいものです。

<2003-6-7>
 路上生活をしているロシアの子どもたちの番組を観ました。
 空ビンを集めてはそれを売って生活していました。
 4日働いて得られた収入はたったの60円。
 食べるものも買えないのに、子犬を飼っていて、ミルクをあげていました。
 彼らの多くは親から虐待され、家から追い出されたり、家出をした子どもたち。
 「僕はお前を殴ったりしないからね。大きくなるまでちゃんと面倒みてあげるよ」と子犬に話しかける子どもは、まだ8歳でした。

<2003-6-6>
 日曜日はいよいよPRIDE26です。
 今回、僕的にはカードはいまいちですが、ミルコ対ヒーリングで、ミルコが初めてPRIDEルールに挑戦するのはちょっと楽しみです。ヒョードル対藤田は……、藤田は勝てないだろうな。彼は実力がはっきりしないまま、このままフェードアウトしていくような気がします。
 昔のPRIDEって、攻めの興行だったと思う。出し惜しみなしで、「え? そんなカード組んじゃっていいの?」っていうカードが多かった。だけど最近のPRIDEは完全に守りに入っていて、なかなか観たいカードを組んでくれません。
 ジャクソンとかもっと上で使ってあげればいいのに。 

<2003-6-5>
 加藤あいって、留学(ほんとにしたのか?)から帰ってきてから、ちょっと雰囲気おかしくなったと思いません?
 目がとっても病んじゃったように思う。
 広末涼子も大学入ったあたりからおかしくなっちゃったし……。
 華原朋美は見事に復活しましたけれど。

<2003-6-4>
 昨日テレビで、矢部太郎のドッキリをやっていました。
 佐藤江梨子が矢部太郎をマンションに誘い、それを写真週刊誌に撮られてしまう、というような内容でした。
 いつもはこういうドッキリも笑って見ていますが、今回はなんだか非常に残酷な気がしました。
 矢部君だけはそっとしておいてくれ、と。
 むしろこういう企画は、最近いい具合に壊れてきている石田純一かなんかに仕掛けて欲しいですね。

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<2003-5-29>
 僕はいまいち人気のないお笑い芸人が結構好きです。
 ふかわりょう とか、出川哲郎とか。
 自分のポジションをちゃんと理解して、プロだなぁと思う。
 (あ、でも、山崎邦正はあまり好きじゃないです。)
 ところで、ふかわりょう って、仲根かすみ に似てません?
 もちろん、顔が。

<2003-5-28>
 「めざましテレビ」に椎名林檎が出ていました。
 「男の性の対象になるのが嫌で、デビュー当時はスカートも履きたくなかった」と語っていましたが、この人ミュージシャンになる前にアイドルのオーディション受けて、審査で水着まで着ていたのに、それはないんじゃないかなぁと思ってしまった。
 以下、僕の勝手な思い込みですので、みなさんと意見が合わないこともあると思いますが……。
 アーティストには大きく分けて、天才型と凡才型がいると思います。
 椎名林檎は間違いなく、天才型だと思うけれど、それは「型」であって、決して本物の天才ではない。
 インタビューの言葉を聞いて、普通の女の子が一生懸命、どうやったら受けるかを考えながら試行錯誤しているんだなぁって思いました。
 彼女がすごかったのって、「無罪モラトリアム」と「勝訴ストリップ」だけだと思う。この2枚はホンモノ、完成度はすごく高いし、こういったアルバムはそうそうあるわけじゃない。
 でも勢いはそこで完全に止まってしまった。きっと、自分で自分を超えられないのを意識してしまってから駄目になってしまったのでしょう。
 天才型のアーティストって、そういう人たちが多いように思う。
 例えば尾崎豊。やはりみんな、「十七歳の地図」「回帰線」「壊れた扉から」までが強烈に好きだったのではないかな。その後の「街路樹」も「誕生」も、遺作となった「放熱への証」も、決して悪くはなかったけれど、はじめの3枚に比べると足元にも及ばない。
 小沢健二もそう。結局、小沢健二は「LIFE」なんだと思うのです。
 これら天才型のアーティストは、簡単に燃え尽きてしまう。言葉は悪いですが、今までの人生でコツコツと溜めてきた才能を、デビューと同時に無駄に撒き散らしてそれでおしまい。はじめは本人も周りも、彼/彼女の中には無尽蔵に才能のかけらが詰まっていると信じていますが、結局無尽蔵ではない。作品をつくり上げるのではなく、自分の中に溜まったものを切り売りしているだけなので続かないのです。
 中身が空っぽになった後も、ファンに期待されているイメージに応えようと無理をするのだけれど、もうニセモノしか出てこない。
 一方、凡才型のアーティストというのは、才能の切り売りをするのではなく、非常にシステマティックに作品をつくり上げていく。天才型のアーティストのように、周囲に過度の期待を持たれることもないけれど、ちゃんとヒット作も生まれるし、ファンの望む物をコンスタントに世に送り出すことも出来る。職業的アーティスト、と呼んでもいいと思います。
 浜田省吾とか佐野元春とか大江千里とかはこの範疇じゃないかな。(小沢健二は、フリッパーズギター時代、および「犬は吠えるがキャラバンは進む」までは凡才型だったと思う)
 中には、非常に数は少ないですが、本物の天才もいると思います。まるで永久機関のように、天才的な作品をつくり続けることができるアーティスト。ジョンレノン(およびビートルズの面々)なんかは間違いなく天才でしょう。
 音楽ではないですが、村上春樹は天才型ですが、決して天才ではない。(本人が読んだらすごく怒りそうだけれど)
 天才なんてそうそういるもんじゃありませんし、ホンモノなんて、星が燃え尽きるみたいに天才型のアーティストの才能と引き換えにしかお目にかかれない。
 でもね、矛盾して聴こえるかもしれませんが、最近の音楽がつまらないのは、決して天才がいないからでも天才型のアーティストが少ないからでもないです。一番の問題は、質の良い職業的アーティストが激減しているからじゃないかな。
 天才型ばかり崇拝される傾向があり、継続的に良い作品をつくり続けることのできるプロが育っていないのではないかと。
 それがホンモノかどうかは別として、ちょっと才能があれば、天才型的な手法でそこそこの作品を世に出すことは可能なのかもしれません。だからスピードの速い現代社会では、誰も時間をかけてアーティストを育てようとしない。話題先行でバーっと売れて、スーッといなくなってしまう。昔からそういう人たちはいましたが、最近、特にその傾向にあるように思う。
 話は戻りますが、椎名林檎のようにイメージが確立しているアーティストは、インタビューなんかに答えてはいけませんね。幻想は情報が少なければ少ないほど、守られ、膨らむもの。
 素顔を見たいファンもいるでしょうが、それで底が見えてしまうのは非常に残念。
 アーティストは、作品で語ればそれでいいと思うのです。

<2003-5-27>
 近所のホームセンター内にあるペットコーナーで、ミニブタというのが売られていました。
 普通に育てれば25〜45キロくらいになり、餌をあげすぎると80キロくらいなるそうです。
 値段は約18万円。
 ブタはとても頭が良いそうで、ちゃんと人にもなつくらしい。
 飼ってみたいなぁと一瞬思ったけれど、間違いなく、散歩しているときに人が集まってくるのでちょっとそれが面倒。
 豚肉も食べられなくなっちゃうしなぁ、などと思いつつ、店を後にしました。
 でも、ぶーぶー言っている姿はとてもかわいかったです。

<2003-5-26>
 友達から、ホワイトクリスマス、というバラの苗をもらいました。
 僕は園芸が趣味といっても、もっぱら収穫のあるものばかり育てているので、花を育てるのはなんだかとても新鮮な気分。彼はバラに詳しく、肥料から剪定の方法まで、一通り教えてくれました。
 僕はバラの香りが大好きです。
 このホワイトクリスマスも、とても香りの強い品種だそうで、開花が楽しみです。

<2003-5-25>
 最近、武藤敬司の方がどんどん神奈月のものまねの武藤敬司に似てきていると思うのだけれど、気のせいでしょうか。

<2003-5-23>
 16日の「ひとりごと」で、二千円札について、「未だにつり銭で受け取ったこともなければもちろん使ったこともありません」と書きましたが、そう言っていた矢先、昨日お釣りで二千円札をもらってしまいました。
 ホームセンターで一万円を出したら、何のためらいもなくレジのおばちゃんは二千円札でお釣りをくれました。
 僕にとって、二千円札を受け取るのはちょっとしたイベントでした。恋人にふられたほどのイベントではないにせよ、「学級閉鎖」くらいのインパクトは間違いなくありました。それに僕の中では、二千円札って「出来の悪い末の弟」みたいなイメージがあったので、それが渡されるとき、「二千円札でいい?」という確認や、「二千円札でごめんね」というような断りがあるのかと勝手に思っていました。
 だからそのおばちゃんが、まるで当たり前のように(いや、当たり前のようにするのが当たり前なんだけれど)無表情に二千円札を差し出したのはちょっと期待はずれというか、この瞬間、もっと盛り上がりたかったなぁと、変な残念感がしばらく僕から離れませんでした。
 まじまじと見る二千円札は、伊藤博文の旧千円札をなんとなく髣髴とさせ、古臭い感じがしました。
 これ使うの、ちょっと恥ずかしいなぁ。
 実際に二千円札を手にして、僕の疑問はさらに大きなものになりました。
 結局二千円札って、手にした人の多くは違和感を感じ、早く財布からなくしたい、という心理になるのではないかと思うのです。財布に入っているだけで、「あぁ、この二千円札をどこで使おう」と考えちゃうかもしれない。千円札が財布に入っていてそんなことを考える人はいませんが、二千円札にはまだまだ、庶民を一瞬考えさせる力がある。
 アンケートの謝礼などで図書券をもらうことがありますが、図書券を財布に入れていると、「図書券あるけど、どんな本を買おう?」って考えてしまうし、なぜかはやく使ってしまわないと落ち着かない。二千円札もそれと似たような感覚だと思う。
 だから二千円札が財布に入っている期間って、千円札よりもずっと短いと思うのです。ガムひとつ買うのでも、僕なら二千円札を使って、一刻でも早くこのおもちゃみたいな紙幣を現金化しようとするでしょう。(いや、もちろん二千円札も現金なんですけどね)
 スーパーのレジの人も同じで、二千円札をストックするスペースってレジにはないんじゃないかな。おそらく、千円札の上かなんかにおいておいて、お釣りで二千円札を渡せるチャンスには積極的にそれを使っているのではないかと。
 つまり二千円札って、千円札よりもずっと少量にもかかわらず、お金の動きはずっと速いと思うのです。それにもかかわらず、発行から3年経っても未だに受け取ったことがない人がいるのって何故なんだろう?
 改めて思いました。
 二千円札普及を邪魔しているのは一体誰?
 もしかして、「七ならべ」で6と8をとめている人?

<2003-5-21>
 催眠誘導用にZIPPOライターを買いました。
 僕はタバコを吸わないので、ZIPPOを買ったのは初めてなのですが、このライターオイル、ナフサ使っているんですね。
 ナフサというのは、ガソリンよりもさらに引火性の強い油で、飛行機の燃料もこのナフサです。
 ZIPPOで火をつけた後の匂いって、空港で飛行機を降りたときの匂いに似ているんですよ。
 これってナフサが燃える匂いなのですね。

<2003-5-20>
 僕は以前から、「○○と○○って似てない?」っていうのが得意(?)です。(そしてほとんどの場合、誰からもその感性を理解されません)
 さて、今日見つけたそっくりさん。
 観月ありさ と 天才卓球少女の愛ちゃん って似てません?
 ふてぶてしいところが……。

<2003-5-19>
 昨日のひとりごとで、「フリーセル」は必ず解けます、と書きましたが、どうやら僕の思い込みのようです。
 こちらのサイトを見ると、#11982は未だに誰も解けていない様子。
 僕がフリーセルを始めてから数年が経ちますが、今まで一度も解けなかった番号がなかったので、「絶対解けるように並べられているんだ」と思っていました。(一日近く悩んだことは何回かありましたが……)
 昨夜、#11982をチャレンジしてみましたが、桁違いの難しさでした。
 でも解けないものはゲームにしないんじゃないかなぁ。
 ……と思って上のサイトをもう一度読んだところ、#11982は解決不能であることが証明されているそうで、フリーセルのヘルプにも、「フリーセルでは、どのゲームでも勝つ可能性があると信じられています (証明されてはいません)」と、解けない可能性があることが示唆されていました。
 あやうく、数日間を無駄にするところでした。(^^;;

<2003-5-18>
 Windowsに「フリーセル」というカードゲームがおまけでついているのですが、とても面白いです。
 「マインスイーパ」も一時期はまりましたが、あれは運に左右されるので、せっかくいいところまで行っても解けないこともしばしばありました。
 しかし「フリーセル」は、必ず解けます。
 遊んだことのない方は、ぜひ遊んでみてください。
 僕はこれで、ときどき寝不足になってしまいます。 

<2003-5-17>
 若手のお笑いが面白い、ということで、今日ご紹介するのはだいたひかる
 「ど〜でもい〜ですよ♪」は、いつもここからの「悲しいとき〜」や、テツandトモの「なんでだろう?」のようなシリーズネタ。
 適度に力が抜けていて、多くの若手(アメリカザリガニや田上よしえ)を見るときに感じる「こいつら必死だな」という切ない気持ちを感じさせず、気楽に見られます。
 彼女の日記もなかなか面白い。
 19日と24日にテレビ出演するみたいなので、見たことのない方は是非。
 関係ないけど、ダンディ坂野はつまらないですねぇ。
 実力以上に評価されちゃって、当人も困っている気がする。
 今年は持ったとしても、来年あたり消えちゃうんじゃないかな。ついでにテツandトモも。 

<2003-5-16>
 二千円札って、このまま無くなってしまうのでしょうか。……というか、もう無くなっちゃったのでしょうか?
 発行からはや3年。未だにつり銭で受け取ったこともなければもちろん使ったこともありません。
 紙幣って、好き嫌い関係なく使われるものなので、普及させるもさせないも、国のさじ加減ひとつだと思うのだけれど、なんで国はもっとじゃんじゃん二千円札を刷らないのだろう?
 いつの間にか新500円硬貨は普通に使われるようになったし、夏目漱石や福沢諭吉や新渡戸稲造だって結構短い期間で伊藤博文と聖徳太子を駆逐したように思う。
 二千円札普及を邪魔しているのは一体誰?
 国民の財布に、千円札並みにとまで言わないけれど、五千円札並みに普及すれば、自動販売機なども次第に対応していくだろうし、毎日使えば馴染みも出てくると思うのだけれど……。

<2003/5/15>
 
僕は学生の頃は熱狂的なヤクルトファンでした。そして日本一になったのをきっかけにヤクルト熱が去り、今度は熱狂的な横浜ファンになりました。
 時間はかかりましたが、横浜もめでたく日本一になりました。
 それ以来、野球熱自体がなぜかどこかへ行ってしまいました。
 現在の、佐々木も谷繁も波留もローズもいない横浜は僕の応援していた横浜とはだいぶ変わってしまいましたが、昨日の巨人戦で、おさえのデニーが、ストライク先行で簡単に2アウトをとったにもかかわらず、高橋にびびってストレートのファーボールを与え、しかも盗塁を許し、ヒットで同点、一本でれば逆転負けという巨人ファンにとっては最高の山場、横浜ファンにとっては「おいおい、またかよ」という状況を作ったのには、相変わらずの横浜野球を見る思いで、ちょっと胃が痛かったです。
 意外にも(?)デニーは後続をピシャリとおさえ、試合に勝つことが出来ましたが、横浜ファンをやめられないのって、毎試合がこんな風にハラハラドキドキ、1勝がものすごい価値あるものに感じられるからなのだろうなと思いました。

<2003/5/14>
 
ユースケ・サンタマリアって、何となく雰囲気が磯野貴理子に似ていると思うのは僕だけでしょうか。

<2003/5/13>
 
心が何だか切なくなる瞬間。
 サザエさんの終わりの歌。
 ドライブしながら聴く、「JAL SAUDE! SAUDADE」
 見送りしたあとの成田空港。

<2003/5/12>
 
イチゴの収穫は今が旬みたいで、昨日は16個、今日は18個とることができました。
 真っ赤になったものをとりたいので、赤くなったイチゴをさらに一日置いてから収穫したいのですが、そうするとマルチング(保温用のビニール)に触れている面がちょっとやわらかくなってしまったり、ナメクジに先を越されたりするので、今日とるか、明日に延ばすか、いつも悩んでしまいます。
 イチゴをはじめてから4回目の春……。
 毎年ろくに収穫が出来ず、イチゴは僕の園芸生活にとっては鬼門でしたが、なんとなくコツがつかめてきた気がします。 

<2003/5/10>
 昨日の「ひとりごと」について、ホームページの読者の方から、「私も考えました」と、こんなメールを頂きました。
-----------------------------
 「どうしても憎めない単語 パ行」
   パンダ
   ピーナッツ、ピカチュー
   プリン
   ペコちゃん
   ポッキー、ポリンキー
 「なぜかスカッとする単語 サ行」
   サイダー
   しあわせ
   スキップ
   背負い投げ
   壮快
-----------------------------
 なかなかうまいですねぇ。
 ポリンキー、確かに憎めない……。
 サイダー、確かにスカッとする……。

<2003/5/9>
 TBSラジオで木曜深夜3時から放送しているスピードワゴンの番組で、井戸田潤が「ゴボウって、語に勢いがあるよね」と言っていました。
 ゴボウ……。
 なるほど、確かに勢いがあります。
 ゴボウの他に、どんな単語が語に勢いがあるかなぁと考えてみたのですが、どうも「ガ行」ではじまる単語はその傾向にあるように思う。
  ガイネン(概念)。
  ギガヘルツ(GHz)。
  グイノミ(ぐい飲み)。
  ゲドクザイ(解毒剤)。
  ゴゾウロップ(五臓六腑)。
 逆に、語に勢いのない単語って、「ハ行」に多い気がします。
  はす(蓮)。
  ひめくり(日めくり)。
  ふるえ(震え)。
  へそ。
  ほねつぎ(骨接ぎ)。
 だから何?、って言われると辛いのだけれど……。

<2003/5/8>
 中学の頃、合唱コンクールで歌った「大地讃頌」。
 いい歌だったように思うけれど、冷静に思い返すと、この曲、雰囲気だけで引っ張っている曲ですねぇ。
 雰囲気でいったら「地上の星」にも勝るとも劣らない気がする。
 だけど少なくとも、歌詞に共感なんかできない。あんた一体何が言いたいんだよ、って。
 人の子ら〜、人の子ら〜、って繰りかえされても……。
 あんな壮大なメロディーに載せて、土に感謝せよ〜、って言われても……。
 な〜んて、ツッコミを入れつつネットで検索していたら、こんなの見つけました。
 http://www.enanishi-j.ed.jp/PAGE-DATA/2gyouji/gassho/h13-g.html
 で、これ聴いたら、不覚にもものすごく感動してしまった。
 前奏を聴いただけで、僕の心は中学時代にタイムスリップしていました。
 曲の前半はいろいろなことを思い出しながら、そうそうこんな感じだった、という風に聴いていました。早朝練習を何度もさせられたなぁ。自由曲は「モルダウの流れ」だったっけ。ところでピアノの伴奏をしていた女の子は、自分だけ歌えないで疎外感を感じなかったのだろうか……。
 しかし「静かな〜大地を〜」のところからだんだんボルテージが上がっていきました。もう何年もの間、ずっと感じることのなかった合唱という形式の感動が、一遍に噴き出してきたのです。
 そして一瞬男子が旋律になる「われら〜人の子〜の」のところでは、良く判らないけれど「勇気」という言葉さえ心に浮かんできました。後ろで絡んでくる女子のパート、「恩寵〜の〜ゆたか〜な、ゆたか〜な〜大〜地」も、「あなた、しっかり!」と良妻が励ましているような、そんな優しさに満ち溢れていました。
 さらに畳み掛けるかのごとく、「母なる〜大地を〜」のところでは夜明け前のような静けさ……。今後の盛り上がりを期待させ、その期待にしっかり応えるかのように「たたえよ〜土を〜」と続きます。僕はここで思わず、「そうなんだよ!」と膝を叩いていました。(ちょっとだけ誇張表現)
 そして最後の「たたえよ大地を あ〜」のところでは、ついに昇天……。
 曲が終わった後も、しばらくの間、重く、深い余韻が僕の中から去りませんでした。
 僕はこの文章を、「思ったほど大地讃頌っていい歌じゃないよね」っていうスタンスで書くつもりでした。
 ただ土を褒め殺してるだけの曲……。
 だけど恵那西中学校三年生の歌声を聴いて、やっぱりこの曲、すごいと思った。
 何がすごいって、大地なんて誰もが讃頌したいわけじゃないのに、これだけ人々を感動させるのですから。

<2003/5/7>
 ふと思ったのですが、「一生のうちで一番〜」っていう言葉、ありますよね。
 あれって、とっても珍しいこと、貴重なことを形容するための言葉だと思うんだけど、考えてみれば人生って、「一生のうちで一番〜」の連続なような気もするんですよね。
 例えば、間違いなく、一生のうちで一番体重が重かった日っていうのがありますね。
 一生のうちで一番よく寝た日、
         一番の長電話、
         一番の腹痛、
         一番泣いた映画、
         一番ムカついた上司、
         一番高かった買い物、
         一番待たされた待ち合わせ、
         一番の銀行の残高、
 一生のうちで一番……。
 こんな風に考え始めたら、いくらでも「一生のうちで一番〜」を思いつけそうな気がするし、いくらでも思いつけるのなら、毎日そういうのがひとつくらいあってもいいような気もする。
 それをちゃんと認識できたなら、毎日がずっとスリリングで生き生きすると思うんだけれど、普通はそんなことを考えながら生きてはいないし、考えていたとしても正確なことはよくわからない。
 で、それを知ることができる、「MAX発見機」なるものが発売されたら、これは欲しいぞ、と僕なんかは思うわけです。
 例えば、誰かと待ち合わせをしていて、2時間待っても相手が来なかったとします。家に電話をかけても留守電。携帯にかけたら「電波の届かない所にいるか、電源が切れています」。すると、鞄の中から「ピピッ」って音がきこえる。
 そう、MAX発見機が鳴っているんですね。
「そうか、これが一生のうちで一番の待ちぼうけか。ってことは、もう二度とこれ以上誰かに待たされることはないんだな」
 そんな風に考えられたら、人生楽になるだろうなぁ。
 イライラも吹き飛んで、楽しい気分で待ち合わせた相手と出かけることができると思うのです。
 せっかくの休日、朝から晩まで昼寝しちゃって、起きたらすっかり夜。
 すっかり自己嫌悪……。
 そんなときにも「ピピッ」って鳴るんです。
「なるほど、これが一生のうちで一番長い昼寝か」
 そう思ったら、とっても貴重な経験をした気になって、頭切り替えて、てきぱきと動き始められるような気がする。
 話はちょっとずれますが、映画の中とか、小説の中とか、コンサート、そういったある区切った時間の中にも、MAXってありますよね。
 つまり、一番それが楽しかったり、感情移入していたり、感動していたりする瞬間のことです。
 例えば、「ドラゴンボール」(古い話で恐縮です)のMAXはどの瞬間だったかというと、人造人間17号と18号が町で大暴れをしていて、だけど悟空たちは彼らの居場所が特定できないシーン。
 そこでヤムチャ(テンシンハン?)かなんかが、
「人造人間だから気がないんだ!」
と言うシーンだったんじゃないかと思うわけです。
 つまり、悟空たちは今まで、相手の存在を「気」で感じて闘ったりしてきたんです。
 が、今回は町が大変なことになっているのにそれを感じることができなかった。
 それで上の発言につながるわけです。
 大いなるパラダイムシフト。僕はこのセリフを読んだとき、文字通り鳥肌が立つくらいゾクっとしました。そうか、人造人間だから気がないんだ!、と。
 その後、セルとか魔人ブウとかでてきたけど、人造人間17号、18号の衝撃はついに超えられなかった。
 ついでに起動戦士ガンダム(こちらも古くてすみません)のMAXはと言いますと、赤い彗星とまで呼ばれたシャア・アズナブルが、シャアゲル(シャア専用の赤いゲルググ)のコックピットの中で、仮面の下に涙をいっぱい流しながら、
「今の私にガンダムは倒せん(T T) 」
と泣くシーンなんじゃないかと思うのです。
 唸らされるようなシーンはその前後にもたくさんありました。
「ザクとは違うのだよ。ザクとは!」(ランバ・ラル)
「脚なんか飾りです。偉い人にはそれが解らんのですよ!」(ジオング整備兵)
「貴様だって、ニュータイプだろうに!」(アムロ・レイ)
「クルーザー級のスペースグライダーのライセンスが役に立つとは思いませんが、私でよければ」(ミライ・ヤシマ)
 ……が、今まで決して弱音をはかなかったシャアが言ったこのセリフの衝撃は計り知れません。勝手にニュータイプ能力を覚醒させ、勝手にそれを伸ばして行ったアムロって一体……?
 話を元に戻しますが、このMAX発見機、いい事に関しては鳴らないで欲しいものですね。
 恋人と付き合い始めた直後に「ピピッ」って鳴っちゃったら、せっかくのムードもぶち壊しです。 

<2003/5/5>
 今年は気合を入れていたイチゴですが、昨日あたりから収穫できるようになり、今日は6個も取ることができました。
 去年はうどん粉病に苦しめられましたが、今年はその気配は全くなし。どうも去年は近くに植えていたトマトやキュウリが悪かったようです。
 近所のイチゴ畑に比べると、ひとつの苗から出ている実の量が全然少ないのですが、年を重ねるごとにイチゴ栽培のコツが解ってきたように思う。
 いつの日か、毎朝ボール一杯に収穫できるようになることを夢見ています。

<2003/5/4>
 先日ご紹介した「チクワチーズ醤油」ですが、さらにおいしい食べ方を発見!
 チクワの穴にチーズを入れたものを、衣をつけて油であげ、ケチャップをつけて食べると、今度は洋風なおいしさになります。
 是非お試しください。

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