ひとりごと
2007年 9〜12月

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<2007-12-30>
 テレ朝でやっていた、ビートたけしの超常現象SPを観ました。
 スプーン曲げで有名な超能力者のユリ・ゲラーが出てきて、テレビの視聴者にテレパシーを送る実験をしていました。
 丸、四角、波、星、十字のイメージのうち、ひとつを送ったのですが、スタジオにいたゲストの半数が星を選び、見事にユリ・ゲラーが送ったイメージと一致していました。
 僕も、「あぁ、星かなぁ」と思って当たりはしましたが、驚いたような、当たり前のような、そんな気分でした。
 録画していたので、もう一度そのユリ・ゲラーがテレパシーを送っている(ふりをしている?)シーンを観たのですが、彼のすぐ隣に人形のようなものが置いてあり、その人形に、ヒトデのような、星のようなものがたくさん飾られていたのです。
 恐らく、一種のサブリミナル効果で星を選びやすかったのではないかと思いました。
 たけしは、「心理学のような気がするんだけどな。なんか星が一番描きそうなんじゃないかな」、と言っていましたが、それも考えられますね。それらの複合技で、多くの人が星を選んだのでしょう。
 人が何かを選択する、という行動の、どこまでが自由意志で、どこまでが何かに影響されたものなのか、線引きは難しいですが、自由意志だと思っている部分の多くのものが、実は条件反射的なものなのかも知れません。

<2007-12-19>
 受験を控えた中3のお正月、友達と青春18切符で、長野まで雪を見にでかけたことがあります。
 その頃、僕はまだまだ、雪が降ると単純にテンションのあがる子供でした。
 東京の雪しか知らなかったので、雪国に対する憧れは昔から強く、カマクラ作り放題、雪だるま作り放題、雪合戦し放題、といったイメージで雪国をとらえていました。
 大雪が降ると窓から出入りするとか、道の両脇に雪の壁が出来るとか、公衆電話に階段があるとか、そういったエピソードもたまらなく好きでした。
 それでその冬、本物の雪を体験したいと、友達が調べた「日本有数の豪雪地帯」(どこの駅かは忘れてしまいました)を目指しました。
 駅に着くと、普通に除雪してあり、除雪されていないところも、東京の大雪の何割り増し、といった感じ。
 「あれ? 二階から出入りは? 雪の壁は?」と一気に拍子抜け。
 レンタカーを借りるわけでもなく、タクシーでどこかを目指すわけでもなく、駅の周りをあてもなく歩き、気がつけば帰りの電車の時間になっていました。
 その日帰り旅行(正確に言うと、行きは午前0時1分の電車で出発したので一泊二日の旅行でした)、今となっては断片的にしか覚えていないのですが、今でも唯一はっきり覚えているのが、帰りの電車の中で、ウォークマンで聴いた大江千里の「JANUARY」という曲です。
 それまで、この曲は特に好きだったわけではないし、「ガムシュ」とか「チャイ」とか、知らない言葉がたくさん出てきて、共感と言うよりはむしろ、疎外感みたいなものを感じていたのですが、それでも、ヒヤッとした電車の中の空気を吸い込みながら、「あぁ、これが今年の空気なんだ」と感じたり、好きだった女の子に出した、平凡すぎる年賀状を思い出したり、世界中の幸せより、彼女が僕だけに笑いかけてくれたらどんなに素敵だろう、などと想像したりしながら窓の外のどんよりとした風景を眺めていると、強烈に切ない気持ちがして、その気持ちはしっかりと僕の胸に焼き付いてしまったのでした。
 今でもこの曲を聞くと、僕の心はすぐに、中3の、寒くて切ない電車の中に戻っていきます。
 あれから20年も経ちますが、雪が降ることが少しだけ面倒くさくなっただけで、僕はちっとも成長していないように思います。

<2007-12-15>
 もし洗濯機がパソコンだとしたら、「洗い」はCPUで、「すすぎ」はメモリで、「脱水」はHDDですね。
 となると、乾燥機はディスプレイかな。
 本当にどうでもいいことなんだけれど。

<2007-12-13>
 お金と時間がたっぷりあったら、何をしたいかなぁと考えました。
 きっと、この問いにすぐ答えられる人は、幸せなのだと思います。

<2007-12-10>
 ミシュランガイドのミシュランとタイヤメーカーのミシュランが同じだと言うのは知っていましたが、ギネスブックのギネスとギネスビールのギネスが一緒だと言うのは知りませんでした。
 ミシュランガイドは結果的にタイヤがもっと売れるため(車で旅行するとタイヤが減るから)、ギネスブックは結果的にもっとビールが売れるため(ビールを飲みながらの話題を提供するから)に発行されるようになったそうです。(松本人志の放送室情報)

<2007-12-7>
 サバンナ八木の考案したゲーム、「パナキ」。
 どんな単語を言われても、しりとりをして最後の言葉を「パナキ」にするというゲームです。
 例えば、「スイカ」だったら、スイカ → カニ → ニク → クジラ → ラッパ → パナキ。
 「パナキ」とは一体なんなのかは、謎です。

<2007-12-6>
 自由が増えることが幸せなのかなぁと、自転車に乗りながら考えました。
 全てを選べる状況と言うのは、逆に辛いのではないかと。
 夜中にコンビニに行って、「今、肉まん しかないんですよ」って言われたら、悩まず 肉まん 買って、美味しく食べて終わりですが、カレーまん やら ピザまん やら 角煮まん やらも売っていて、選び放題だったら、結構悩むし、食べながらも「あー、やっぱりあっちが良かった」なんて後悔してしまうかもしれない。
 好きな芸能人ランキングがあったとして、1位の人が突然目の前に現れて「つきあってください」って言ってきたら、夢のような気分でつきあうと思います。
 それが1位ではなく、好きな芸能人ランキングの10位の人だったらどうかというと、この場合もつきあっちゃいますね。そしてやっぱり夢のような幸せな気分だと思います。
 それでは、8位から10位の3人が、同時に目の前に現れて、同時に「つきあってください」って言ったとしたら、何のためらいもなく8位の人を選ぶのか? そしてそのまま幸せに生きていけるのか?
 そうなったらきっと、すんなり8位を選ばないだろうし、選んだとしても、「本当に8位で良かったのかな?」と悩むはず。そしてそんなことを考えながらつきあっても楽しくないと思います。10位の人が単独で現れてつきあうようになった方が、圧倒的に幸せだと思う。
 何だか中学生の妄想みたいなことを書いてしまいましたが、自転車をこぎながら、人間て不思議だなぁと思いました。

<2007-12-4>
 時々、猫の里親募集のページを見るのですが、猫の紹介文に「明るい子です」とか「陽気な子です」と書いてあることがあります。
 「やんちゃな子」とか「活発な子」とか「甘えん坊」なら理解できるのですが、「明るい子」って、どういう猫なんだろう??
 そもそも、猫の性格に明るさとか暗さってあるのだろうか?
 プラス思考の猫とか、悲観的な猫とか、右斜め上を見ながら想像してみたのですが、うまく想像できませんでした。
 同じく、ブルーベリーの品種紹介のページに、「風味良好」みたいなことが書いてあるのですが、この「風味」というのも、未だに何のことかわかりません。
 「甘さ」「酸味」「歯ごたえ」「香り」は理解できるのだけれど、風味って一体??

<2007-12-3>
 それにしても、ガソリン高すぎですね。
 「あと○年で石油はなくなります」みたいなことを言われても、昔は「そんなこと言っても新しい油田がどんどん見つかるんでしょ」と、真剣に心配はしませんでしたが、これだけ高くなると、石油に依存した現代社会というのは怖いなぁと思います。
 エネルギーは原子力なり太陽光なりでなんとかなっても、原料としての石油がなくなると、何も作れなくなりますね。
 結局、野菜だって石油から作った肥料で育てているわけだし、肉だって石油で作った肥料を使って育てた飼料(ややこしい)で太らせるわけですから。
 今の生活レベルを落とさず少しでも人々が長く生きるには、火力発電をやめて、原子力をばんばん使うしかないのかもしれません。

<2007-12-2>
 12月は、1年の中で一番好きな月です。
 何だか、毎日が金曜日みたいな気分がします。そして23日から大晦日が土曜日という感じ。
 いろいろあったけど、今年はおしまい。
 新しい年のことは、今は考えるのをやめて、のんびりテレビ見て、美味しいもの食べて、みかんで手を黄色にしたいと思います。

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<2007-11-30>
 レーシックの1週間検診に行って来ました。両目とも2.0で、経過は良好ということです。
 1週間は、目に汗や水が入ってはいけないということで、顔を洗うのにもとても神経を使いましたし、寝るときは目をこすらないようにプラスチックの眼帯をつけて寝ていましたが、今日からはそれらがなくなり、かなり楽になります。
 まだ、ときどき「コンタクト外さなきゃ」と思ったり、無意識にメガネを探してしまいます。(^^;;
 久しぶりに新宿や東京駅の雑踏を歩き、「見えるぞ、私にも敵が見える!」と、ニュータイプ能力が覚醒したときのシャア・アズナブルのように興奮してしまいました。
 いや、もちろん敵なんていないんですけどね。

<2007-11-28>
 個人的な今年の流行語は、渡辺あつむ の「ホップ、ステップ、人間国宝!」です。

<2007-11-26>
 「幸せ」もいいですが、「いつでも幸せを感じられる心」はもっといいですね。

<2007-11-24>
 レーシックの話の続きです。
 21日に検査、22日に手術、23日に翌日検診でした。受けたのは品川近視クリニックです。
 実は9月に、角膜の厚さだけでも調べてもらおうと、他のクリニックの適応検査を受けたのですが、そのとき、角膜の厚さは問題なかったのですが、角膜の表面が歪んでいるため、イントラレーシックではなく、エピレーシックをお勧めする、という診断を受けました。イントラレーシックで受けるつもりでしたし、エピレーシックは手術後すぐに視力が出るわけではなく、数ヶ月かけて徐々に回復していく、という話を読んでいたので、エピレーシックならば手術はやめようと思いました。5月からメガネ生活で頑張ってきたので、軽く落ち込みました。
 ただ、このときすでに、11月の品川の予約を取っていたし、クリニックによって適応の基準が異なるようなので、品川の検査も受けてみて、それでもイントラレーシックが適応外と言われたら、そのときは諦めようと決めました。
 そして21日に検査を受けたわけですが、目には全く問題なく、イントラOKとのこと。角膜の歪を指摘されることもありませんでした。(9月の結果は何だったんだろう?) 今思えば、手術が終わって遠くが見えたときより、「手術できますよ」と言われた、このときの方が嬉しかったです。
 角膜をレーザーで削るという事は、取り返しがつかないことですので、この半年間は、いろいろなリスクを想定し、ネット上の体験談を読み漁りました。
 一番心配だったのは、手術後の過矯正です。
 実はオルソケラトロジーをしていたときも、過矯正気味になり、遠くは見えるのに近くがぼやけて見えないことがよくありました。しかし、角膜厚が十分あり、仮に遠視が出ても再手術で矯正ができるということで、過矯正の問題は回避可能と判断しました。
 また、よく言われる、ハロ、グレアですが、こちらもオルソケラトロジーをしていたときに経験済みでしたので、仮に一生残ったとしても、それよりも良く見えるメリットを取りたいと思いました。
 ドライアイだけは、経験がありませんでした。コンタクトを長時間して乾いた感じかなぁと思いましたが、時間が経てば軽減するらしいし、最悪、目薬を常用すれば良いのだからと思いました。
 手術自体も、痛みがないという人もいれば、すごく痛かったという人、麻酔が切れてから涙が止まらないほど痛くなったという人もいて、人それぞれ。眼球は痛くないけれど目を固定する器具が痛かったとか、白目が内出血してしばらく目が赤かったとか、レーザーで削っているときに焦げ臭かったとか、いろいろな書き込みを読みました。更に、手術後、すぐに良く見えた人、次の日によく見えた人、次の日の朝も良く見えなかった人、等々。
 それらの体験談を読み、最悪を想定し、それでも受ける価値あり、と判断して手術にのぞみました。
 手術は、フラップを作り、レーザーを照射するという2段階があるのですが、両方ともあっという間の出来事でした。
 眼球自体の痛みは全くなく、レーザー照射中は、「あぁ、何かされているんだなぁ」という感覚だけがありました。
 目を固定する器具の装着も、痛くはなかったですが、こちらは、目に異物が入ってくる感覚が不快でした。
 レーザー照射が終わってフラップを戻した瞬間、目の上の緑の光が、ピントが合ってくっきり見えました。
 手術台からおり、付き添ってくれた看護士さんの顔がはっきりみえて、名札の字も読めて、終わったのだとホッとしました。
 手術後、麻酔が切れると、1,2時間後が痛みのピークだと聞いていましたが、痛みと言うよりは、真っ暗の中から急に太陽の下に出て、目を開けてられないような、そんな感覚でした。痛みが我慢できないとき用の目薬も使わずに済みました。白目の内出血もありませんでした。
 手術後は、もやがかかったような感じでしたが、説明にあったとおり、4時間を過ぎた頃にはそれもなくなり、とてもよく見えるようになりました。
 一番心配していた遠視も今のところなく、近くもとてもよく見えます。
 手術前の視力は両目とも0.06でしたが、翌日検診では両目とも2.0でした。(実際は、2.0の段がすべてくっきり見えるというよりは、こっちかな?、という感じだったので、正確には1.2〜1.5くらいだと思います)
 昨日の夜、外に出てみましたが、ハロ、グレアも感じませんでした。メガネやコンタクトをしていたときもハロ、グレアがあったので、もう慣れてしまって意識できないだけかもしれませんが、メガネ、コンタクトよりも光のもわっとした感じがないので、良くなたくらいです。
 ドライアイも、一日中目薬をさしているせいか、今は感じません。
 機械で測った度数は、手術前が 左 -5.75D、右 -5.25D、乱視は両目とも -1.0D でした。
 翌日検診では、両目とも -0.25D、  乱視は両目とも -0.25D でした。
 まだ手術後2日ですし、今後、1週間後、1ヵ月後と、視力がどう変動するのか、また、夜間の見え方がどうなるのかは判りませんが、今のところは、手術は成功のようです。
 今回、何に対しても最悪を想定していたので、全てが問題なく終わり、若干の拍子抜けと言うか、こんなことだったら、悩んでないでもっとはやく受けておけば良かったと今は思っています。実にあっけなく、簡単に視力が回復したので、周りの目の悪い知人、全員にお勧めしたい気持ちです
 ただ、一緒に手術を受けた方の一人は手術後の休憩室で涙が止まらなかったみたいですし、もうひとりは「左目だけ痛いです」と看護士さんを呼んでいたので、痛みに関しては、やはり個人差があるのだと思います。
 レーシックを体験してみて、限りなく安全な手術で、成功率の高い手術に間違いはないと思います。もちろん、狙った視力が出ない、もしくは、遠視気味になる可能性、夜間の視力が出ない、ドライアイになる等のリスクがあるのも事実ですから、最低でも再手術するだけの角膜の厚さがない場合は、慎重に検討した方が良いと思います。

<2007-11-23>
 昨日、レーシックの手術を受けました。
 去年の春、オルソケラトロジーレンズという角膜矯正コンタクトレンズを購入し、昼間は裸眼で過ごしていましたが、レンズをつけたまま寝ると気を使うし、きれいに見える日と、遠視や乱視が出て近くが見えない日があり、今年の5月から装用を中止しました。
 そのときから、もうレーシックしかないと思って調べ始めたのですが、オルソをしていた場合、手術まで3ヶ月間、間をあけなければならないらしく(通常のハードコンタクトレンズの場合は2週間)、なんとなく、もう少しあけた方がいいような気がして、半年後の11月下旬に手術を受けようと決めていました。
 長くなりそうなので(まだ長時間PCをしてはいけないので)、続きは明日。

<2007-11-20>
 2011年にアナログ放送が終わってしまいますが、皆さんの家では、もう当たり前のようにデジタルテレビなのでしょうか?
 うちはまだまだ、ブラウン管のアナログテレビ(当然 4:3)です。
 いつ大型テレビを買ってもよいように、先日、テレビ台だけ買い換えました。(^^;;
 台が大きくなったのに、テレビは小さいままなので、ちょっと貧乏臭いです。

<2007-11-18>
 アメリカのドラマ「4400」を観た後で寝たせいか、スプーン曲げが出来るようになった夢を見ました。
 何故そんな能力??

<2007-11-15>
 もう一枚、応募してみました。

<2007-11-14>
 「モンティ・パイソン」を初めて観たのは、東京12チャンネルではなく、NHKのBSでした。
 そのときは字幕放送だったので、伝説の日本語吹替を聞くことはできませんでした。
 吹替で観たいなぁと思っていたら、なんと、『「空飛ぶモンティ・パイソン」“日本語吹替復活”DVD BOX』発売のニュースが! 
 よくモンティ・パイソンは、お笑い界のビートルズなどと言われますが、確かに日本のお笑いと違って、イギリス特有の高尚な感じ(?)があるように思います。
 本当にくだらないですが、まだ観たことのない方は是非! 

<2007-11-12>
 「にゃんこフォトコンテスト」に、我が家のマロンの写真を応募してみました。
 「まこむら」という名前で載せています。

<2007-11-11>
 コミュニケーションにおける催眠やNLPなどの心理誘導って、恋愛におけるファッションのようなものかなぁと思います。
 いくら内面が素晴らしくても、服装や髪型が的外れだったり、お風呂に長いこと入っていなかったりしたら、せっかくの恋愛のチャンスを逃してしまうかもしれないし、外見やファッションセンスが良ければ、内面を問われる前に好意を持ってもらえる可能性があります。
 それと同じで、コミュニケーションにおいても、最低限のコミュニケーションスキル(例えば、挨拶をちゃんとするとか、ありがとう、ごめんなさいを言えるとか)がないと、いくら内面が素晴らしくても相手にされなくなってしまうことがあるし、反対に相手のツボをおさえた効果的な心理誘導ができれば、それだけで話がスムーズに進むことがあります。
 ただ、やはり最終的に必要になるのは、コミュニケーションも恋愛も「中身」ではないかと思います。
 度を越したやり過ぎのファッションが、時に理解されずに全くの逆効果になるのと同じで、何を言われても言葉に裏がありそうで、計算しつくされていそうで、思わせぶりで、まるで手のひらの上を転がされているように相手が感じるような心理誘導は、やはり効果がないことがあるのではないかと思います。
 僕はブリーフセラピーを批判しないばかりか、それで改善されるのならば素晴らしいことだと思っていますが、テクニック一辺倒のセラピーは、セラピストの自己満足に陥ってしまう危険性もあるのではないでしょうか。
 ファッションも、心理誘導も、ブリーフセラピーも、それがテクニックではなくて、とても自然に、当り前のように存在しているからこそ、効果を発揮するのではないかと思います。

<2007-11-9>
 森本レオに読んで欲しい言葉。
 「念力集中、ピキピキドカン。たちまちオツムが、大噴火」

<2007-11-8>
 全くどうでもいいひとりごと。
 生まれ変わるならオダギリジョーになりたいと思っていましたが、やっぱり小栗旬にします。

<2007-11-7>
 今年の大晦日、なんと「ハッスル」がテレビ東京で放送されるそうです。
 PRIDEがなくなり、ハッスルが息を吹き返すとは、ハッスル1のグダグダ加減を観ていたものとしては、全く信じられない展開です。
 「年忘れ日本の歌」の流れで、力道山に熱狂したおじいちゃん、おばあちゃん達が少しでも観てくれたら、視聴率もとれるかな?
 大晦日のゴールデンにプロレス中継なんて、もしかしたら最初で最後かもしれないので、ワクワクしながら楽しみたいと思います。

<2007-11-4>
 防衛省が、ガンダムを開発しているらしい、というニュースがネットを駆け巡っています。
 ……と言っても、全長18メートルのモビルスーツではなく、個人装備としての、パワードスーツのようなものを「ガンダム」と呼び、実現を目指しているそうです。 
 これ、ガンダムで良かったですね。
 これが「防衛省でエヴァンゲリオンを開発中」というニュースだったら、例えパワードスーツのことだとしても、インパクトはこんなものではすまなかったと思います。

<2007-11-1>
 そろそろ、こういう季節です。

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<2007-10-30>
 学生のころ、村上春樹の小説が大好きでした。
 それまで、音楽や美術が芸術というのは当たり前のように理解していましたが、文章が芸術になり得るということが、頭では理解できても、感覚的に理解できたことはありませんでした。
 村上春樹を読む前は、遠藤周作が好きだったのですが、遠藤周作の場合は芸術というよりは、むしろ精密機械のような印象があり、小説というのは決して身近なものではなく、ある種の職人が、膨大な資料を調査し、取材した結果、紡ぎだされるもの、と思っていました。
 初めて村上春樹の小説を読んだとき(デビュー作「風の歌を聴け」を読みました)、ストーリーではなく、文章で人を楽しませることができるのだと、大きな衝撃を受けました。
 事実、「風の歌を聴け」にはストーリーらしいストーリーはなく、何も起こらず、登場人物には名前さえありません。不要な物はすべてそぎ落とされ、純粋に文章だけを楽しむという経験は初めてでした。
 まるで音楽を聴くように、何度読み返しても楽しめるし、適当なページを開いて読み始めても楽しめました。
 初期の村上作品には、一度読んだだけでしっかり心に根を下ろしてしまうような一文が溢れていました。
 「カフカ的というよりはむしろカミュ的」、「私は貧弱な真実より華麗な虚偽を愛する」、「誰もが知っていることを小説に書いて、いったい何の意味がある?」、「髪が長くて下品な女の子なんて250人くらい知ってるわよ」等々。
 残念ながら、最近の村上春樹の小説からは、初期の作品のような面白さを感じられません。小説を書くのにワープロ使うようになったからではないか、などとファンの間で言われることもありますが、僕は、「羊をめぐる冒険」に登場した耳のモデルをしているガールフレンドに、「ダンス・ダンス・ダンス」で「キキ」という名前をつけてしまったことが、そもそもの間違いだった気がしてなりません。
 彼女は決して「キキ」なんかではないし、そこで緊張感が切れてしまったのか、今までの穴を埋めるかのように、登場人物に「ユミヨシさん」や「五反田君」等という名前が与えられ、ストーリーに事件が頻発するようになったのは、とても残念なことです。
 僕としては、羊男は「あり」だけど、カーネルサンダースは「なし」なのです。
 「ノルウェイの森」の「直子」や「キズキ」、「レイコさん」にも名前は与えられましたが、こちらはぎりぎり持ちこたえている感じがします。もともとの「」は「キキ以前」の短編ですし、「ノルウェイの森」はその正常進化版という感じがします。(逆に、「ねじまき鳥クロニクル」は「ねじまき鳥と火曜日の女たち」の正常進化版にはなれませんでした)
 何でこんなことを書いているかと言うと、秋になると、「ノルウェイの森」を読みたくなるからです。枯葉の舞っている道を、主人公と直子が歩いているシーンを、もう一度体感したくなるのです。
 ちなみに、夏になると読みたくなるのは、「風の歌を聴け」と「午後の最後の芝生」です。

<2007-10-29>
 「平和ボケ」と言う言葉を使うとき、大抵は平和ボケしている人を「それじゃいけないよ」と諭す意味で使うのではないかと思うのですが、僕は以前から、どうもこの言葉はピンと来ませんでした。
 平和にボケられるほど平和でいられるって、素晴らしいことなんじゃないかな?
 むしろ、当り前のように平和でいられないことこそ、おかしいとされなければいけないと思うのだけれど。

<2007-10-27>
 部屋の電球型蛍光灯を、60W タイプ(12W)から 100W タイプ(22W)に変えたところ、明るくなっただけなのに、部屋が別の部屋になったみたいに雰囲気が変わりました。
 人の気持ちって、結構単純なことで変わるものですね。

<2007-10-26>
 最近、ジョギングしているとやたらと猫に遭遇します。
 以前は、撫でようとすると逃げられていたのですが、何故かここ数週間、突然猫たちの態度が変わってきて、撫でさせてくれるようになりました。
 ついている日は、別々の場所で3匹くらい撫でられることもあり、もしかしたら、僕の中の何かが変化して、猫と心が通じ合う能力を身につけたのではないかと、半ば本気で思い始めています。
 更に仲良くなろうと、昨日はジョギングする際、ビニールに入れたキャットフードをポケットに入れて出発しました。
 いつも走っているジョギングコースには、猫と会えるポイントが4,5か所あるのですが、あいにく昨日はそのどこにも猫はいなくて、結局キャットフードはあげられずじまいでした。
 これが日課になると、周りからは「猫のおじさん」って呼ばれるんだろうなぁ、なんて思います。

<2007-10-25>
 NLP のアイアクセシングキューは、相手が何を考えているかを知るために使うのではなく、自分で過去の記憶(映像や音、感覚)を思い出すときや、新しいアイデアを考えるときに使うのが正しい使い方なのではないかと、RESOLVE という本を読みながら思いました。
 そのようなとき、勝手に目が動くのを待つのではなく、あえてそちらに目を動かすことで、記憶を引っ張り出しやすいということが、いくつかの実験で裏付けられているようです。

<2007-10-24>
 童謡「アルプス一万尺」では、「アルペン踊りをさあ踊りましょ」と気軽に誘っていますが、誰もがアルペン踊りを知っていると思ったら大間違いです。
 ……っていうか、アルペン踊りって、一体??

<2007-10-23>
 今更ですが、阿久悠は偉大でしたね。
 中学生くらいから、いわゆるアイドルの歌う歌謡曲を聴かなくなってしまいましたが、改めて昔聴いていた歌謡曲を振り返ると、大量消費してしまうにはもったいない、実に斬新で面白い曲がたくさんあったように思います。

♪ 信じられないことばかりあるの。
  もしかしたら、もしかしたら、そうなのかしら? ♪

 具体的なことは何ひとつ言わずにここまで共感させるのって、やはりすごいです。

<2007-10-22>
 HEROESの登場人物の中に、キアヌリーブスを少し太らせたような警官が出てくるのですが、彼は「人の心が読める」という能力を持っています。相手が心の中で思っていることが、心の耳で聞こえるのです。
 例えば、バーのマスターが彼に「調子はどう?」とニコニコしながら話しかけてくるので、自分のことを話し始めると、彼の心に「社交辞令だよ。はやく注文しろよ」という声が聞こえてきます。彼は自分の話をやめて、慌ててビールを注文し、ふぅ、と一息をつくシーンがありました。
 恐らく、本当に周りの人たちの心の思いが聞こえてしまって、それを自分でコントロールできなかったとしたら、とても社会生活なんておくれないと思います。
 でも、それとは別に、相手の本心を知ることができれば、先ほどのビールの話と同じように、相手の求めている行動を 100% とることができるので、相手との関係も良好になるのかもしれないなぁと思いました。
 結局のところ、自分にとっての感じのいい相手というのは、自分の思いをちゃんと理解してくれて、自分の求めている行動を説明しなくてもとってくれる人だと思うのです。
 ですから、相手の心を読む能力はなかったとしても、「今、この人は何を感じているのかな? 何を求めているのかな?」と、少しだけでも想像する癖をつけるだけで、対人関係は、飛躍的に良くなっていくのではないかと思います。
 もちろん、誰でも大切な人に対しては無意識的に気を使うだろうし、想像したって判らないものは判らない場合もあるのですが、それでも、普段から意識的に「相手の気持ちを感じる」ことを心がけることは、何よりも自分が生きやすくなるための近道ではないかと思います。

<2007-10-21>
 スカパーで始まった、アメリカのドラマ、HEROESの1〜3話を観ました。
 まだ話は始まったばかりなのですが、とりあえず、登場人物はみんな、何かしらの超能力を持っていて、その能力で地球を救う(のかな?)というストーリーみたいです。
 超能力を持っている登場人物のひとりが日本人の設定なのですが、ドラマの中に出てくる日本が、いい感じにずれていて、あぁ、アメリカ人の日本のイメージって、これなんだなぁと思いました。時計の数字が漢数字だったり、地下鉄がボックスシートだったり、会社の朝礼で変な体操(恐らく、ラジオ体操だと思われる)をしていたりと、間違った日本観がたまりません。(ついでに、その日本人の同僚のアンドウが話すめちゃくちゃな日本語も見所のひとつです)
 LOST しかり、4400 しかり、最近のアメリカドラマは、やたらと「不思議な力」で話を引っ張りますが、こういうのは、いよいよ超能力以外、欲しいものはなくなってしまった人たちの欲求から作り出されているのかもしれません。

<2007-10-20>
 4,5年前に自作したパソコンがあるのですが、安いマザーボードを使ったため、電解コンデンサが膨らんでしまいました。
 こちらのページにもあるように、一昔前のマザーボードで、台湾製の電解コンデンサが使用されている場合、当時の電解液の組成に問題があったらしく、長時間使用していると、ご覧の通り、コンデンサが膨らんだり、液漏れしたりします。
 そしてそのまま使用を続けると、パソコンが起動しなくなってしまいます。
 僕のパソコンはまだ正常に動いていますが、いくつかのコンデンサで液漏れも見つかったため、動かなくなるのも時間の問題。
 これを機に、パソコンを作り変えようとも思いましたが、ほとんどのパーツを流用できないし、今のマシンで全くストレスも感じていませんでしたので、電子工作には自信がありませんでしたが、腹を決めて、コンデンサだけ交換してみることにしました。
 通販で同容量の日本製コンデンサを購入し、近所のホームセンターで半田ごてと半田吸い取り線を購入。
 うまくコンデンサが外れなかったり、新しいコンデンサの半田づけが細かすぎて難しかったりと、予想以上に苦戦しましたが、どうにか16個のコンデンサの付け替えを完了しました。
 そして恐る恐るスイッチを入れると、無事にOSが起動しました。
 パソコンの突然死に備えて、みなさんも、一度パソコンの中をのぞいてみてください。
 意外に、膨らんでいるコンデンサって、多いみたいです。

<2007-10-19>
 顔にあったホクロが、年々大きくなっている気がして、思い切って皮膚科へ行き、レーザーで取ってもらいました。
 レーザーが発射された瞬間、バチッ、とかなり大きな音がして目をつぶっていても閃光を感じ、同時に皮膚のこげる匂い、そして痛みが走りました。
 小さいのもあわせて取ってもらったため、何発かこの、バチッ、を撃たれ、ようやく終了。
 今はホクロのあった部分がカサブタになっていますが、1ヶ月くらいで綺麗になるそうです。
 少しだけ、美容整形にはまる人の気持ちが解りました。

<2007-10-18>
 小島よしお がラジオで、「最近、そんなの関係ねぇ、に束縛されている」と言っていました。
 プライベートの会話で、「でもそれは関係ないんじゃない?」と言おうとすると、つい、ネタみたいになる気がして、相手が「茶化すな」と怒ってしまいそうで、このセリフを言えないそうです。
 当たり前ですが、あのキャラはすべて計算で、本当はすごく真面目な人なのだということが、ラジオからビシビシ伝わってきました。

<2007-10-17>
 僕は初めから亀田親子は好きではないし、今日の謝罪は謝罪になっていないし、きっとお父さんは反省する気などさらさらないと感じましたが、それにしても、メディアやボクシングファン(もしかしたら一般人も?)の亀田バッシングは異常に思います。
 きっと、誰しも生活の中に、そして過去の人生の中に、亀田親子のような存在がいて、亀田親子のようにビックマウスで、礼儀知らずで、いつもそんな存在から馬鹿にされて来たからこそ、今回の一件が人事ではなく、自分の人生とオーバーラップして怒りが倍増してしまうのでしょう。
 もっと国民が怒らなければいけないニュースって他にあると思うのだけれど、ある意味、すべてが暗示的に働いたのでしょうね。

<2007-10-16>
 「年中無休(年末年始を除く)」っていうの、形容矛盾ですね。
 「年末年始以外無休」って書くのが正解な気がします。
 まぁ、これはきっと、「いつ来てもやってますよ」というのをアピールしたいのでしょう。
 実家の近所のお寿司屋さんは、「年中無休(月曜定休)」という大胆な書き方をしていました。それって結構休みじゃん、と思うのですが、ここまで開き直られると、逆に許してあげたくなります。(^^;
 「年中無休(年末年始を除く)」や「年中無休(月曜定休)」の場合は、年中無休ということよりも、そのあとのカッコ書きの方が優先度が高いという暗黙の了解があるので、言いたい意味は伝わります。
 しかし、例えば公的な文書に父の名前を書かなければならなくて(もしくは、父の公的文書に僕が代理人として名前を書かなければならなくて)、隣に「続柄」や「本人との関係」とあった場合、「父」と書くべきなのか、「長男」と書くべきなのか、「親子」と書くべきなのか、一瞬迷います。誰目線で書けばいいのだろう、と。
 言葉って、矛盾していようが本来の意味から外れていようが、相手の意図が伝わることが一番大切だと思います。反対に、いくらその言葉が辞書的に正しくても、相手に正確に伝わらなければ意味がありませんね。
 僕はできるだけ正しい日本語を使いたいし、相手にも使って欲しいとは思いますが、言葉が心の思いを伝える道具である以上、やはり、伝わるか、伝わらないか以外の問題は、些細なことだと思っています。
 「役不足」とか「情けは人のためならず」は、本来の意味ではない使われ方をすることがありますが、文脈からどの意味で使われているのかはだいたい読み取れますから、その場はそれで良いのではないかと。
 年中無休の話に戻りますが、僕は形容矛盾マニア(笑)なので、「年中無休(月曜定休)」という書き方は、問題を感じません。むしろ、店主の人間味を感じます。
 困ってしまうのは、「年中無休」としか書いていないのに、月曜日に行ったら閉まっている場合です。
 言葉の正確さにはこだわらないけれど、内容の正確さにはこだわってしまうのです。

<2007-10-15>
 文字を見て、はじめて、あぁ、そこで切るのね、っていうことが時々あります。
 例えば僕は、「サイモンとガーファンクル」のことを「サイモント・ガーファンクル」だと思っていたし、「ホメイニ氏」のことを「ホメイニシ」だと思っていました。
 こういうのって、気がついた時には既にその語感が当たり前になっているので、変な違和感(二重形容)が一生残ってしまいます。

<2007-10-14>
 「ヨシアキは戦争で生まれ戦争で死んだ」という本を読みました。
 爆笑問題の太田がラジオで言った「まさかこの歳になって、二十歳の頃にしたような読書体験をもう一度できるとは思わなかった」という言葉に、純粋に、僕も二十歳の頃の読書体験をもう一度してみたいと思って購入しました。
 この本の主人公、スティーブ・ヨシアキ・フラハティは、終戦直後の1947年、アメリカ兵のレイプの結果、この世に生を受けました。母親の後田次恵は貧しさと差別からヨシアキを育てることが出来なくなり、三菱財閥の令嬢・澤田美喜が私財を投げ打って設立した“混血児のための孤児院”、エリザベスサンダースホームにヨシアキを預けました。
 その後、ヨシアキは11歳でアメリカへ養子に出され、ハイスクールではフットボールと野球の花形プレイヤーとして連日新聞を賑わし、メジャーリーグからスカウトされるまで才能が開花しました。しかしヨシアキの心には、絶えず「自分の居場所はどこなのか?」という思いがあったようです。そして21歳を迎えた時、彼は「アメリカ人になるため」にベトナム戦争へ出征し、戦死しました。
 僕はこの本を読みながら、ずっと胸がいっぱいで、ときどき目が潤みました。
 確かに、このような読書体験は、ここしばらくしていませんでした。
 もっとエリザベスサンダースホームのことが知りたくなり、図書館で数冊、関連書を借り、いま読んでいるところです。
 この本を読んで人生が変わったとか、生きる目的が定まったとか言う事はないのですが、忘れていたり、考えないようにしていたりした気持ちに、もう一度出会えた気がします。
 読書の好きな方は、是非、読んでみてください。
 帯に書かれた太田光氏の言葉を引用します。

「この本に出てくる人と、この本に関わる人の全てが太陽のように輝いている。奇跡みたいな幸福をもちいて綴られた悲劇。読んでいる時、ずっと光源のそばにいるようで楽しかった。不思議なのは、こんなに愛おしい人間が協力し行ったのが戦争であること」

<2007-10-13>
 今日はセラピスト仲間のカウンセリングルームで、勉強会をしてきました。
 お互いに普段しているセッションをしてみたのですが、誰かにゆっくり催眠誘導してもらうのは本当に久しぶりだったので、両手、両足の感覚が、痺れたような、重たいような、自分のものではないような感じに変化し、眠りに落ちる直前のふわふわした気持ちよさを、思う存分、味わうことが出来ました。
 寝る前に、自己催眠をすることはあるのですが、深いところまでいくと、自分でコントロールできずに意識がなくなってしまうことがあるので、やはり、他者に誘導してもらうと楽だし、とても気持ちが良いなぁと、改めて、催眠のリラクゼーション効果を実感した一日でした。

<2007-10-12>
 例え話をするとき、直喩にするか、暗喩にするか、という選択があります。
 直喩というのは、「○○は□□のようだ」と直接比較して例えることを言い、暗喩というのは、そのような対比形式で例えないで暗示的に訴える表現方法のことを言います。
 ミルトンエリクソンは「心理療法とは何ですか?」とうい質問に対し、迷い馬の例え話をしました。
 彼が子供のころ、一頭の馬が、鞍をつけたまま、道を歩いていたそうです。エリクソンはその馬が、誰の馬か、どこから来たのかを知りませんでしたが、馬にまたがり、その馬を持ち主のところまで送り届けました。持ち主は帰ってきた馬を見て非常に驚き、「どうしてうちの馬だとわかったのですか?」とエリクソンに質問しました。エリクソンはこう答えました。「もちろん、私はお宅を知りませんでした。でも、この馬は知っていました。私はただ、馬にまたがって、馬が道草を食べようと道から外れようとするたびに、馬を道に戻しただけです」 そしてエリクソンはこう続けました。「私は心理療法というのは、そのようなものだと思うよ」
 このエリクソンの例え話は、暗喩ではなく直喩です。もし彼が、「心理療法とは何ですか?」という質問を受けていない場面で、誰かに心理療法を解らせようとこの話をし、更には、「心理療法というのは、そのようなものだと思うよ」とは結ばずに、ただの雑談のように話したとしたら、それは暗喩になると思います。
 一般に、エリクソンの影響を受けた人々や心理療法家は、直喩よりも暗喩を使うべきだと考えているように思います。
 確かに、直喩の場合はメッセージを理性が受け取るので、暗喩よりも抵抗を受けやすいことがあるのかもしれません。一方、暗喩の場合は、無意識に語りかけるので、抵抗を受けずに、相手が気がつかない間に相手の行動や気持ちにアプローチすることができるのかもしれません。
 どちらを使うべきかはケースバイケースで、何が何でも暗喩を使うべきだとは思わないし、いつも直喩である必要もないと思いますが、僕はどちらかと言うと、直喩の方が好きです。何故かと言うと、暗喩というのは、相手に気づかれた場合、すべてが台無しになって、余計に相手が心を閉ざしてしまうことがあると思うからです。
 暗喩はそれと気がつかれた時、強烈な嫌味に聞こえる場合があります。(もちろん、上手な暗喩は気がつかれてもそうは受け取られないのかもしれませんが)
 また、日本人は、ただでさえ、言葉の裏を読む民族なので、せっかく無意識に投げかけた暗喩が、結局は理性で受け取られてしまうことが多いように思います。
 暗喩が本当に効果を発揮するのは、子供だと思います。物語に散りばめられたメッセージは、自然に子供の心に吸収されていきますね。一方、大人は子供のように、物語をそのままで吸収する力が衰えている場合があるので、この人はこの話で何を言いたいのだろう?、などと考えてしまうことがあります。
 相手が大人の場合、あえて直喩にすることで、逆にメッセージが受け取りやすくなるのではないかと僕は思っています。
 催眠も同じです。
 直接的な暗示をするか、間接的な暗示をするか。
 指示的な誘導をするか、間接的な誘導をするか。
 どちらも、後者の方が新しく、優れているとされている気がしますが、僕は意外に、前者の方が日本人には合っているのではないかと思っています。
 人間って、制限されたり指示されたりするのが心地良いときがあると思うんです。
 例えばワークショップなどでパートナーを決めるとき、僕は「自由に相手を決めて練習してください」と言われるよりも、「この列の人はこの列の人と組んでください」等、相手を強制的に決めてもらった方が、はるかに楽です。自由に相手を選べるということは、自分に合いそうな人、練習しやすそうな人を選べる可能性があるのですが、それを差し引いて考えても、決めてもらった方が楽です。
 「あなたの手は上るかもしれないし、下がるかもしれませんし、そのままそこに留まるかもしれません」という言い回しは、一見、抵抗を受けず、失敗が少ないように聞こえますが、「どうしろって言うのよ!」とその言い方自体に反発を覚える人も少なくないし、「手が上がります」と断言してもらった方が気持ちよく反応できる人も、案外多いのではないかと思います。

<2007-10-11>
 亀田大毅は切腹するなんて言っちゃって、どう言い訳するんでしょうか?
 ビックマウスも仕事のうちと言っても、この負けはかっこ悪いですねぇ。
 僕が思っていた以上に、アンチ亀田が多いのには驚きました。日本人にはまだ、謙遜を美徳とする文化があるのかもしれません。
 内藤選手は実力差があると言っても、一発いいのが入っちゃったら負けてしまうわけですから、相当なプレッシャーがあったと思います。本当に勝てて良かったですね。(^^)

<2007-10-10>
 良いマジックには3つの条件があるそうです。

1.これから何をするのか予告しない。
2.リクエストされても、その場でもう一度同じマジックをしない。
3.絶対に種明かしをしない。

 この3つの条件、マジックだけじゃなくて、いろいろな場面で使えそうですね。
 つまり、1.突然のサプライズ、2.同じことを繰り返さない、3.幻想を壊さない、ということだと思います。
 例えば誰かにプレゼントをあげるときもそうだし(1.プレゼントのことを全く匂わせないで、2.以前あげたものと同じようなプレゼントはせず、3.どこで買ったとか、何と迷ったとかいう現実的な話はしない)、人前でスピーチやプレゼンをするときもそうだし(1.タイトルからは想像もつかないような展開をして、2.相手がもっと聞きたいと思うくらいで話をやめ、3.許されるならば、揚げ足を取るような質問はユーモアを交えて受け流す)、ここぞという営業の現場でも使えそうです。(1.お客様がびっくりするようなオファーを提示して、2.二度と同じようなオファーはせず、3.この営業さんに任せておけば間違いない、という期待を裏切らない)
 先日、甥と姪の前でコインを消すマジックを披露したのですが、あまりにも純粋な目で(結構しつこく・笑)「教えてー」「教えてー」とせがまれたので、つい、種明かしをしてしまいました。
 小学生や幼稚園児相手に、「手品の種を聞くのはマナー違反なんだよ」ということをちゃんと説明できる自信もありませんでしたので。
 すると一番上のお兄ちゃんが、「手品の種を教えちゃうのは、いいマジシャンじゃないんだよ」とニコニコしながら教えてくれました。
 最近、ダブルバインド(治療的ダブルバインドではなく、否定的ダブルバインドです)のことをよく考えているからかもしれませんが、こんな子供でも、平気でダブルバインド的な状況を作るんだなぁと、ちょっと驚かされました。
 いや、子供だからこそ、平気でダブルバインドをするのかな。

<2007-10-9>
 日曜日に、夏の間に伸び放題になっていたブルーベリーをばっさりと剪定しました。
 剪定枝がもったいないので、時期じゃないのですが、挿し木をしてみました。
 4品種、各20本ずつの挿し木で、計80本!
 来年の今頃にはそれなりの苗になっているはずなので、フリマデビューをしようかと思っています。
 ちなみに挿し木をしたのは、ティフブルー、ブライトウェル、パウダーブルー、バルドウィンの4品種です。

<2007-10-8>
 相手の話を最後までちゃんと聞くって、難しいですね。
 それやっちゃうと、こっちの言いたいことが全く言えなかったり、相手の言い分がすべて通ってしまうのではないかという、不安を感じるからだと思います。
 実際、「よし、今日は聞こう」と決心すると、最後まで相槌以外、一言も話せないで会話が終わってしまうこともあります。
 でも、本当はそれでもいいはずです。相手がそれで気持ちがいいのなら、そして自分に実際的な被害がないのなら、自分は一言も話せなくても、相手の言い分が全部通っても、話したいだけ話させてあげるのが、大人の対応な気がする。それで本当に相手がこちらに話をさせなかったとしたら、それは相手がまだ、気を使う事を知らない子供だということです。そんな子供は、同じような子供とぶつかって、大人になるしかないと思う。
 もし、自分に何らかの価値があるとしたら、黙っていても、相手の方から話を求めてくるはずですから、「こっちの言いたいことを言えるのだろうか?」などと、心配する必要はないのです。
 おしゃべりが止まらない人、相手の話をちゃんと聞けない人は、自分の存在価値に絶えず不安を感じている人なのかもしれません。
 こんなことを毎日書いているのは、決して僕が、ちゃんと「話を聞ける」人間だからではなく、恐らく、そうなれない瞬間がときどきあるからだと思います。中途半端に相手の技を受けまくっているせいで、少しずつ心に、おりのようなものが溜まっているのかもしれません。

<2007-10-7>
 昨日の続きです。
 誰でも会話するとき、自分の中に大まかな起承転結(話の組み立て)があって、それをたどって話し始めると思うんです。だから、例え「起」のところで相手に隙があって、「それ違うよ!」と反論できたとしても、そこをぐっと我慢して、相手に続きの「承転結」を言わせてあげる。
 揚げ足をとったり、相手の言いたかった「結」を先読みでこちらが言ってしまったりするのは、非常にデリカシーの無い行為なのではないかと思います。
 例えその話を知っていても、知らないふりをして最後まで聞いてあげるのが優しさかなぁと思います。
 また、いくら相手が受けてくれているからと、一方的に攻撃する(話し続ける)のも、試合をしらけさせます。プロレスの基本は技の応酬ですから、ある程度自分が責めたら、今度は相手に思う存分技をださせてあげる(話させてあげる)ことで、試合は成立するのです。
 話すことって気持ちいいので、誰でも、聞くより、話したいんですよね。
 偉い人になればなるほど、自分は偉くて知識があるのだから、みんな自分の話を聞きたがっているという錯覚を言い訳に、人の話を聞かずに話し続けるように思います。しかし、試合時間も計算できずに、一方的にダラダラ技を出し続けて、結局時間切れ引き分けのような試合をするレスラーは、決して良いレスラーではありませんね。

<2007-10-6>
 これから書くことは、プロレスというエンターテインメントの仕組みを正確に理解し、それでいて楽しめる人ではないと、大きく誤解される可能性があります。また、比喩も、ある部分、出鱈目で、完全に対応してさえいないです。伝統的催眠(古典催眠、指示的アプローチ、whatever)をしている人からも、現代催眠(エリクソニアン催眠、間接的アプローチ)をしている人からも、更にはNLPやコールドリーディング、その他の心理テクニックを実践している人からも反感を買うかもしれない文章を書きますし、偏見もあるかもしれません。ただ、リアルファイトに対するプロレスの素晴らしさ、面白さをちゃんと理解している人にとっては、共感いただける部分が少なからずあるのではないかと思っています。
 プロレスをよくご存じない方のために、簡単に説明しますが、プロレスは、総合格闘技のようなスポーツ、リアルファイトではなく、あくまでショーです。筋書きがあり(無い場合もあるようですが、どちらにしても、真剣勝負ではありません)、不可解な約束事があり、平気で破られる、とりあえずのルールがあります。極論すれば、プロレスは、遊園地やデパートの屋上のウルトラマンショーが洗練され、手加減はあるにせよ、基本はフルコンタクトで行われる格闘ショーということになります。勝ち負けが問題なのではなく、あくまで、試合が盛り上がり、観客を興奮させ、感動させ、勇気を与えることが目的です。
 プロレスが成立する最大の要因は、よけようと思えばよけられる相手の技を、あえて「受ける」ことにあり、この、わざと相手の技を受ける行為をセルと呼びます。プロレス技が総合格闘技で滅多にお目にかかれないのは、相手が技を受けてくれないからです。つまり、相手の協力があってはじめて、プロレス技は決まるのです。
 ロープに振った選手が必ず返ってくるのも、場外にいる選手が、相手選手のトップロープからのダイブをよけないのも、プロレス的な約束事であり、素人目から見ても勝負の世界ではあり得ない、不自然な動きなのですが、それらの約束事があって初めて、プロレスはショーアップされるのです。
 プロレスは、格闘のスタイルをとっていますが、実は勝負事とは正反対に、信頼関係の上に成り立っています。相手が技を受けきってくれると信頼しているからこそ、トップロープから思い切り飛ぶことが出来るし、相手がちゃんと受身を取ってくれると信頼しているからこそ、思い切り蹴り、思い切り投げられるのです。
 一方、全ての格闘技は、基本的にリアルファイトです。興行ですから、試合が盛り上がるに越したことはありませんが、それでも、選手にとって大切なのは「勝つ」ということだけです。ですから、よけられる相手の技はよけますし、間違っても試合を盛り上げるために、わざと相手の技を受けたりはしません。仮に相手の技を受けるそぶりを見せたとしたら、それは技を受けるためではなく、返し技を狙うためのエサとしての行動です。
 このように、プロレスとリアルファイトは、同じように殴って、蹴って、関節をきめたところで、その思想は正反対なのです。
 さて、ここからが本題です。
 日常のコミュニケーションって、基本はリアルファイトだと思います。そしてそのリアルファイトで勝つために、NLPという名のグレーシー柔術があり、エリクソン催眠という名のコマンドサンボがあり、コールドリーディングというムエタイがあり、シュートボクセアカデミーやブラジリアントップチームのような多くのスクールやセミナーがあるわけです。(このあたりはただの例えです。全く深い意味はありません。不適切だったらごめんなさい) そして、古典催眠(面倒くさいので、伝統的な催眠や指示的アプローチ、現象を重視する催眠なんかを、便宜的にこう呼びます)は何かといったら、僕はプロレスだと思うのです。
 ですから、リアルファイト(日常生活)で勝ちたかったら(相手をコントロールしたかったら)、古典催眠よりも、NLPやエリクソン催眠、コールドリーディングやディベート術なんかを学んだ方が、ずっと役に立ちますが、注意して欲しいのは、例えば自分がNLPで黒帯だったとしても、それで大抵のリアルファイトに対応できるかと言ったら、全くそんなことはないということです。相手もNLPの黒帯かもしれないし、ディベートの達人かもしれないし、営業の天才かもしれません。また、初期のUFCで小柄なホイス・グレーシーが圧倒的な強さで優勝したにも関わらず、その後、グレーシー柔術対策が研究され、グレーシーがどんどん勝てなくなっていったのと同じで、NLPの各テクニックは、今やビジネス書でも紹介されており、無意識に働きかける多くのテクニックが、今では相手に意識化され、思ったような効果を発揮できないという現象も起こっているように思います。
 「ビジネスで役立つ」「信頼関係が短時間で築ける」「説得力が増す」という効果は、確かに「何も知らない相手」に対しては、ある程度あるかもしれません。しかし、相手には相手の人生経験があり、目的があるのですから、当然、100%有効な、完璧なテクニックなど無いわけです。不意打ち的に効果をあげることはあるかもしれませんが、それは時間とともに、有効ではなくなる可能性があります。「オレオレ詐欺」の手口を知らない人は、びっくりしてお金を振り込んでしまうこともあるかもしれませんが、これだけニュースで騒がれた今となっては、引っかかる人は以前ほど多くない、というのと同じことが、多くの心理誘導にも言えるのではないかと、僕は思います。
 また、ビジネスは別かもしれませんが、家族や友人、恋人との関係は、決してコントロールされるか、されないか(つまり、リアルファイトで言うところの勝つか、負けるか)ではないように僕は思うのです。試合の勝ち負けよりも、むしろ、試合が盛り上がるか、気持ちよく試合が出来るか、お互いの持ち味を十分出せるか、の方が、よっぽど重要な時があるような気がする。
 そこで僕は皆さんに、プロレス的コミュニケーションをお勧めしたいのです。
 こちらの言い分をいかに通すか、相手をいかにコントロールするか、自分がいかに優位に立つか、という、リアルファイトなコミュニケーションは卒業して、あえて相手の技を受け、相手の技を受けることで、相手のよさを引き出してあげる。ロープに振られたらちゃんと返ってきてあげて、相手がトップロープにのぼったら、信頼してトップロープからダイブできるよう、逃げずに受けとめてあげる。そうすることで、試合(コミュニケーション)を組み立て、盛り上げ、お客さん(お互いの気持ち)を興奮させ、感動させる……。プロレス的な信頼関係ができると、今度は相手も、こちらの技を受けてくれるようになります。最終的に、形式上の勝ち負けはつきますが、目的はそこにはなく、試合が盛り上がること、試合を楽しめることにあるので、お互いにその勝ち負けは何でもなくなります。
 良いプロレスラーと言うのは、決してシュート(リアルファイト)の強い選手ではなく、セル(受け)の上手い選手のことを言います。かつてアントニオ猪木は、「ほうきが相手でも名勝負をすることができる」と言われましたが、僕はコミュニケーションが上手な人も同じだと思っています。
 相手が全く知識のない人でも、無口な人でも、論理的な会話の出来ない人でも、矛盾だらけの人でも、明らかに間違った考え方をしている人でも、リアルファイトのようにいきなり相手を叩きのめすのではなく、相手の稚拙な技を華麗に受けることで相手を光らせ、相手の良さ、言い分を全て引き出し、試合を盛り上げた上で、相手が受けきれる技を繰り出す。相手が、普段は出来ないような技の応酬を楽しみ、コミュニケーションを楽しむ場を提供する。そして勝つ必要があれば、フィニッシュホールドなのですが、このフィニッシュホールドも、完全なノックアウトではなく、時にはスモールパッケージホールドやジャックナイフ式えび固めのような、相手が負けても傷つかないような、偶然を装えるような技にしてみる。
 もちろん、リアルファイトをするべき相手にプロレスをする必要はありませんが、自分の大切な人には、是非、プロレス的コミュニケーションをしてみてください。相手が大切な人の場合、自分が正しいからと言って、やみくもに真実を振り回せば、相手を傷つけてしまう可能性があるからです。
 先ほど、古典催眠はプロレスだと書きました。
 古典催眠は使えない、という人がいらっしゃいますが、それはリアルファイトの視点から見れば正しいかもしれませんが、お客さんの満足度という点から言えば、正しくはありません。
 古典催眠には、プロレス的様式美が多くあります。プロレスならではの大技と同じように、現代催眠ではお目にかかれない大技を楽しめます。リアルファイト的な心理誘導が、誘導側の一方的なテクニックの上手下手にかかっているのとは対照的に、古典催眠は文字通りの「セッション」であり、ふたりで催眠を組み立てます。
 もちろん、リアルファイトを否定しているわけではありません。
 リアルファイトの圧倒的迫力は、見るものを魅了します。
 しかし、力の拮抗した中途半端な選手同士の行うリアルファイトは、試合が噛み合わず、どちらも仕掛けず、また、仕掛けても膠着するばかりで、全く楽しめません。リアルファイトは、ある程度、力の差があるからこそ、名勝負が生まれるのです。そして、誤解を恐れずに言えば、本当の意味で相手の心をコントロールできるような心理テクニックを使える人間など、僕はほとんどいないのではないかと思っています。
 プロレスファンが一番盛り上がる試合って、どんな試合か知っていますか?
 それは、総合格闘技に挑戦したプロレスラーが、専門家の予想を覆して圧倒的強さで勝利する試合です。
 「八百長だと格闘技ファンから馬鹿にされていたプロレスラーが、本当は強かったんだ!」という衝撃こそ、プロレスファンにとっては最高の喜びです。
 初めにお断りした通り、めちゃくちゃな例えになってしまいましたが、少しでも、コミュニケーションにおいてプロレスをしてくれる人が増えることを、願っています。

<2007-10-5>
 総合格闘技PRIDEの運営会社が解散しました。
 フジテレビの契約を切られた時点で継続が難しいのは分っていたのですが、これで完全に消滅してしまったのかと思うと、やっぱり悲しいです。
 ちょうど10年前、高田がヒクソンと試合をする場として誕生したPRIDE。
 桜庭ホイスの名勝負、ボブチャンチンとキテレツな通訳、ボブサップ襲来、ミルコの衝撃……。
 何もかもが懐かしいです。
 HERO'Sは、どんなに豪華な選手が出ていても、何故か楽しめないんですよね。
 今年の大晦日は、何を観ようかな。

<2007-10-4>
 以前録音した、おぎやはぎ のラジオを聴いていたら、矢作が中学のときにプールで食べたチーズドッグが美味しかった、という話をしていました。番組では、実際にチーズドッグを試食して、「あぁ、これこれ!」と、なつかしの味を楽しんでいました。
 そんな様子を聴いていたら、何だか無性にチーズドッグを食べてみたくなって、仕事帰りに近所の生協で買ってきました。
 恐らく、チーズドッグを食べるのは生まれて初めてだったのですが、これ、美味しいですねぇ。
 ホットケーキの中にチーズを入れたような味で、この組み合わせで不味くなるわけがない、という感じでした。
 探して食べるほどのものではないかもしれないけれど、冷凍食品コーナーで見つけたら、みなさんも是非、試してみてください。
 甘さとチーズの味が絶妙で、後引く美味しさです。

<2007-10-3>
 今日は手抜きで、聖書の中に出てくる、パウロと言うキリストの弟子の書いた書簡の一部を掲載します。
 これは、「愛の賛歌」と呼ばれている箇所で、僕は常々、「こうありたいなぁ」と、結構本気で思っています。実践には程遠いけどね。(^^;
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 たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。
 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
 不正を喜ばずに真理を喜びます。
 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
 愛は決して絶えることがありません。

<2007-10-2>
 催眠の入門書に「自信を持って誘導しましょう」というようなことが書いてあります。
 例えば、相手の腕を暗示で固めたい場合、誘導する側が「固まるのかな?」と不安な表情で、自信なく誘導すると、その空気が伝わって、固まるものも固まらなくなってしまいます。
 まずは誘導する側が、「絶対固まるんだ!」と信じることが、成功させる重要なファクターなのです。
 また、「権威暗示」という言葉もあります。
 相手が自分の尊敬する人だったり、その道の達人だったり、有名人だったりすると、それだけで、その人の言っていることは何でも正しいのだ、と錯覚してしまい、言った通りになる、というような状態、また、その「権威」を利用してする誘導や暗示を「権威暗示」と呼ぶようです。
 見ず知らずで年下のパッとしない人に「腕が固まる」と言われても、「は?」という感じかもしれないけれど、自分より人生経験があって、テレビにもたくさん出ている有名な催眠術師が、しかと目を見つめて、「腕が固まる!」とやった方が、当然、圧倒的に成功するであろうことは、想像に難しくありません。
 でもね、僕はこの、「固まると信じて誘導しなさい」というのや、権威暗示を利用するために、躍起になって大風呂敷を広げたりするのは、何だか違うんじゃないかと最近思うんです。
 僕のページにも、もしかしたらそういう空気があるのかもしれないけれど、ネット上の数々の催眠関連のページを読むと、それこそ、催眠は魔法のように、何にでも効果があるように書かれているし、実際に相手の話も聞く前に「恐怖症はだいたい2−3回で改善します」と断言してしまうところもあります。
 そして困ったことに(?)、それを本気で信じて、期待すればするほど、実際にそういう風に良くなる可能性が高くなるわけですから、「あなたはここで良くなるのだ!」という空気を作って、その気持ちを煽ることは、もしかしたら、間違っていないのかもしれません。……が、それでも、できないかもしれないことをできると言い切っちゃうのはどうなんだろう?
 経験上、決して人間は誰でも、腕が固まるだけの被暗示性を持っているわけではなく、それこそミルトンエリクソンが誘導したところで、固まらない人は固まらないわけです。
 それが分かっていながら「絶対固まる!!!」と無根拠に信じるのって、自己矛盾というか、精神衛生上よくないというか、ちょっと恥ずかしい行為というか、……うーん、何て表現すればいいんだろう、とにかく居心地が悪い。
 もちろん、信じた方が成功率は格段に上がります。これは事実です。自信がないときは失敗するし、自信があるときは成功するんです。でもこれも、ニワトリと卵の関係と同じで、直感的に「この人は固まる」と感じたから信じられたのかもしれませんし、直感的に「この人はダメだろう」と思っているのに無理に「いや、大丈夫だ」と思いこんだところで、やっぱりそれは自信がない裏返しだから、失敗するのかもしれない。
 最近は年をとったせいか、セミナーなどで腕固めに失敗しても、「あぁ、この人の無意識は、腕なんて固めて欲しくないんだなぁ」と思ってしまうので、誘導するときも、「望んでいればうまくいくし、望んでいなければうまくいかないんだよねー」という気持ちになります。
 催眠誘導する際、「絶対に成功するんですよ」という空気を出すことはとても大切です。事前にお話しする際に「まぁ、これも半分の人は失敗するんですけどね」なんて話をすると失敗する確率は高くなりますし、「失敗なんてあり得ない」という感じの話をすると、成功する確率が高くなります。
 結局、誘導する側もされる側も、心からそれが成功することを信じることが大切で、そのための「自信過剰」だし、「空気作り」だし、「権威暗示」だし、「大風呂敷」なのだと思う。
 なんだか何度も話がループしていますが、それでも、そういう計らいって、最近はどこか不純な気がして、そういう誘導からは卒業して、もっとお互いに楽な誘導を探していこうと、そんなことを考えています。
 相手が催眠による解決を求めている場合、お互いに信じるとか信じないとか、そんなの関係なしに成功することが、一番自然だし、お互いに負担のないやり方であるのは、間違いないのですから。
 マギー司郎みたいな催眠使いになりたいですね。
 「あれ、これ山梨ではもっとうまく行ったんだけどね」とかボソボソ言いながら、最後は大団円で終わる、みたいな、そんな風になりたいです。

<2007-10-1>
 夜、ジョギングをしていたら、近所の空き地で3匹の猫が、猫会議をしていました。
 ゆっくり近づくと、2匹は警戒していつでも逃げられるように緊張していたのですが、1匹だけは小走りで近寄ってきて、僕の脚にスリスリ体をこすりつけ、撫でてあげるとゴローンと寝転がってグルグルと甘えてきました。
 走っていて猫に出逢うたび、立ち止まって声をかけてみるのですが、大抵は警戒して逃げてしまいます。このようにあからさまにフレンドリーな猫は珍しく、とてもかわいかったです。
 猫を撫でているときの幸せな感じって、冬の寒い日に、カマクラの中で温かい物を食べているような、そんな感じに似ている気がします。僕は今まで、カマクラで温かい物を食べたことはないのだけれど、なんとなく、イメージで。
 外は寒くても、吹雪いていても、その瞬間は守られていて、暖かくて、外の寒さを忘れさせてくれる……。
 上手くいえないけれど、猫はそんな気持ちにさせてくれます。

<< ひとりごと目次

<2007-9-30>
 昨日の「催眠のかけ方セミナー・中級編」にご参加いただいた皆様のアンケート内容を掲載いたしました。
 こちらです。

<2007-9-29>
  「催眠のかけ方セミナー・中級編」にご参加いただいた皆様、本日は本当にお疲れ様でした。
 多くの方から、次回はいつですか?、と声をかけていただき、とってもとっても嬉しかったです。何よりものお言葉でした。(次回はいつですか? も、広義の意味でダブルバインドですね) 
 残念ながら、次回の日程はまだ決まっていませんが、決定次第、ご連絡いたします。
 参加者の皆様の中に、催眠に詳しい方が多くて、正直、僕が教えるまでもないのかな、と言う気持ちが今はあり、次回は違うタイプのセミナーをしようかとも思っています。よって、上級編は少し先になると思いますが、気長に待っていてください。
 3000円の本の話、何が間違いか解りましたか?
 抜き打ちテストのパラドックス(死刑囚のパラドックス)、秋の夜長に、是非、ネットで検索して、納得のいく答えを探してみてください。(僕はそれこそ、1週間くらい、この問題が頭から離れませんでした)
 電話 → ?
 ねぇ、まだなのー?
 今日、何が一番面白かったか(ダブルバインド・笑)、こっそり教えてくれると嬉しいです。
 本当にみんな、ありがとう!

<2007-9-28>
 いよいよ明日、セミナーです。
 参加者の皆様、今晩はゆっくりお休みくださいね。
 遅刻なきよう、お願いいたします。
 単独で行うセミナーはこれで3回目ですが、今はコアブースターに乗ったセイラさんの気分です。
 「慣れていくのね……。自分でもわかる」

<2007-9-27>
 「催眠のかけ方セミナー・中級編」に参加される皆様に、ひとつ、宿題です。
 落ち込んで元気のない人を、元気づけるためにかけてあげる「言葉」を考えてきてください。
 もし難しかったら、自分が元気がないときに、どんな言葉をかけてもらったら嬉しいかを考えてみてくださいね。

<2007-9-25>
 29日のセミナーでは、催眠の他に、記憶術のワークを行います。
 前回も簡単なワークをしましたが、今回はちょっとみっちり(形容矛盾!)やりますので、お楽しみに。(^^)
 僕はこのテクニックを知ってから、本当に生活が楽になりました。
 今回練習するテクニックは、恐らく、5分もあれば習得できるのですが、効果は絶大です。
 何故これを、小学生のうちに教えないのだろう、と不思議に思いますし、僕自身、もっと早くに知りたかったです。
 学生の頃に知っていたら、試験勉強であんなに苦しまなくて済んだのに……。
 記憶術にはいくつかのテクニックがあり、今回のテクニックは一番ベースになるテクニックです。
 それ以外にもお教えしたいテクニックがあるので、いつか、記憶術だけのワークショップをできたらなぁと思っています。(記憶術に、それだけのニーズがあるかどうかは、未知数ですけど)

<2007-9-23>
 「催眠のかけ方セミナー・中級編」ですが、残席が5席になりました。
 今回も、大体1/3ほどが女性参加者ですので、女性の方も安心してお申し込みくださいね。
 (ワークは完全に女性同士、男性同士で行います)
 初級編では、いかに催眠に入れるか、を重点的に勉強しました。
 中級編では、催眠に入れた後、何をするのか、という話をしたいと思っていたのですが、まだまだ紹介したい誘導技法があり、また、いわゆる「トランス」に入れずに暗示を入れるテクニックも今回はご紹介したいと思っていますので、催眠に入れた後、何をすれば良いのか(例えば、不眠解消のためには、どのようなアプローチをすればよいか)、といった話は、更に次回のお楽しみ、ということになりそうです。
 催眠に対する誤解のひとつは、「催眠に入ればどんな暗示でも入る」というものだと思います。
 ですから、初心者向けの多くの催眠習得本や催眠セミナー、スクールは、催眠に入れる方法や、手を固めたりの現象を起こす方法を教えてくれることはあっても、じゃあ、催眠に入れた後に、何をすれば相手の問題にアプローチできるのか、という部分は、ほとんど教えてくれません。
 恐らく、「3つ数えて暗示をすればその通りになるのだから、大切なのはいかに催眠に入れるかだ」という思いが催眠を勉強したい人の心の中にはあるので、「入れた後に何をするのか?」という部分は軽視されがちなのかもしれません。
 もしくは、前世療法をする人は、前世さえ見せれば問題が解決する、と思っているかもしれませんし、旧来的な催眠療法のイメージとしては、原因をただ思い出せばカタルシスを得られて症状が消える、と思われているのかもしれません。
 だからこそ、いかに催眠に入れるかが重要視されるわけです。
 しかし、とても被催眠性の高い人が不眠で悩んでいて、誘導したところ、嘘みたいに催眠に入り、「3つ数えて指を鳴らすと、あなたは眠ってしまいます」という暗示に100%反応し、更には、自己催眠でも100%寝付けるようになったら、それで問題解決かといったら、それで問題解決な人もいれば、そうでない人もいるわけです。不眠が再発することもあれば、他の症状がでることもあり得ます。
 となってくると、大切なのは、いかに催眠に入れるか、ではなく、催眠に入れた後、何をするのか、ということかもしれません。そして、もしそちらが重要なのであれば、果たして催眠に入れる必要はあるのか、という疑問も当然浮かんできます。そこで出て来るのが、フロイトの自由連想法や、現代の多くのブリーフセラピーです。
 29日のセミナーでは、「いかに催眠に入れるか」「いかに暗示を入れるか」の話に始終することと思いますが、是非、催眠誘導が得意になって、その先にある、「催眠に入りさえすれば良いというわけではない」という現実を実感し、「催眠に入れたはいいけれど、ここからどうすればいいの?」という壁を越え、更には「自分は催眠で何をしたかったのか、何をしようとしているのか」という、目的を再確認するための、最初の一歩にしていただければと思います。

<2007-9-22>
 ブルーベリーに水をあげていたら、突然、ラジオ体操第一の前奏に、英語の歌詞を思いつきました。
 ♪ I am Japanese.
       We are Japanese.
       Let's talk our history and see what is going on. ♪

<2007-9-21>
 生きてるって、何でしょうねぇ。
 答えなんて出ないのだけれど、考えずにいられません。
 人間が死ぬ存在でなければ、きっと生きることに対する意味づけはずっと楽だったと思うのだけれど、結局、誰もが死にますから、難しいです。

<2007-9-20>
 古代イスラエルの王、ソロモンは、神様から「何でも願うものを与えよう」という、これ以上ない申し出を受けたとき、「それでは知恵をください」と、頓知のきいた返答をして神様を喜ばせました。そして実際に知恵を授かり、イスラエルは大いに繁栄しました。
 もしこのような境遇に立たされたら、僕だったら、どうでもいいような、何のためにもならないようなものを熟考の末に求めて、神様をがっかりさせ、大して生活に変化もなく、チャンスを台無しにしてしまうのだろうなぁと思います。
 となると、そんなときには、無難に「知恵」を求めておいた方がいいのかな。
 いや、誰にでも分け与えられるような「大きな愛」というのもいいですね。
 いやいや、でもやっぱり、知恵です。
 知恵、最強。
 あー、でも、そこまで知恵があったら、もしかしたら寂しい人生になるのかもしれませんね。
 周りのみんなが馬鹿に見えて、誰も自分を理解できなくて、世の中の仕組みが全部わかってしまって。
 「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空」とソロモンは言っています。

<2007-9-16>
 小島よしお がネタの途中で言う、「チントンシャンテントン」。
 僕はずっと、「嫉妬しちゃって、ドーン」だと思っていました。

<2007-9-15>
 今日はあるセミナーで30分ほどお話をしてきました。
 前回30分のお話をしたときもそうだったのですが、用意した原稿の内容をお話し終わると、ほぼぴったり30分でした。
 事前に計算したわけでもなく、練習したわけでもなく「だいたいこんなもんだろう」と思って用意しただけなのに、自分でもびっくりです。
 何だかよく解らないけれど、「与えられた時間ぴったりに話す分だけの原稿を用意する才能」が僕にはあるのかもしれません。

<2007-9-14>
 イベリコ豚の子豚は、イベリ子豚? イベリコ子豚?

<2007-9-13>
 9月29日(土)開催の「催眠のかけ方セミナー・中級編」ですが、おかげさまで残席が10席になりました。
 前回が演舞(プロレス)だとしたら、今回は若干、総合格闘技テイストの誘導方法も混ざっていて、より実践的な内容になっています。
 個人的には、選手同士が協力して試合を成立させるプロレスの方が僕は好きですけど、ベースとして格闘技の技術は持っていて損はないかな、と。
 15日に他のセミナーでお話をするのですが、それを境に席が埋まってしまう予感がするので、参加を迷っていらっしゃる方がいらっしゃいましたら、お早めにお申し込み下さい。
 迷わず行けよ。行けば解るさ!

<2007-9-12>
 ネットで購入した「ノートパソコン冷却台」が届いたので、早速使っています。
 MobileMaterというソフトを使って使用前のシステムの温度を計測すると、52℃。
 スイッチを入れてしばらく経つと、それが44℃になりました。
 数字的にはあまり変化がないようにも見えますが、実際に触ってみると、特にパソコンの裏面の温度は劇的に下がっています。
 もともと、僕のノートは、触っていられないほどパームレストの部分が熱くなるマシンではありませんでしたが、裏面の温度がとても高く、壊れるのではないかと心配していました。
 ノートが熱い、とお悩みの皆様、これ、お勧めです。

<2007-9-11>
 愛車のダイハツMAXが9月で車検のため、ユーザー車検をしてきました。
 普通車の検査場と違い、軽の検査場は狭い、そして古い……。
 戦前の市役所(って行ったことないけど)のような雰囲気で、いかにもお役所仕事という感じでした。
 一度に必要書類を全部渡してくれれば、一度に記入して出すのに、小出しに「はい、次は○番で○○をしてもらってください」みたいなのが何回かあり、住所や車両番号もいろいろな用紙に何回も書かされ、こんなの電子化して自動で出来ないものかなぁと思いました。
 検査ですが、検査官がすごく怖いおじいちゃんで、何を指示しているのか聞き取りにくく、「ほら、言われたとおりにしなさい!」と怒られながらも何とか終了。最後の検査が終わって検査表を返されたときには、一緒に新しいステッカーと更新された車検証も渡され、検査レーンからそのまま帰宅できるという、最後だけはものすごく合理的な終わり方でした。

<2007-9-10>
 あまりにノートパソコンが熱いので、「ノートパソコン冷却台」というのを買ってみました。
 Amazonの評を見ると、安い割には結構効果がありそうなので、ちょっと楽しみです。

<2007-9-9>
 一番大切にしていた「デライト」という品種のブルーベリー。
 ふと気がつくと、元気がありません。葉も落ちています。
 おかしいなぁと思い、根を確認しようと鉢から抜こうとしたら、苗がグラグラしています。
 スコップをあててみると、全く根の感触がなく、すっと中に入ってしまいました。
 思い切って抜いてみたところ、根がほとんどありません。
 やられた……。
 コガネムシの幼虫の仕業です。
 ブルーベリーはコガネムシの幼虫に根を食べられると、簡単に枯れてしまうのです。
 残った土をひっくり返してみると、出るわ出るわ、8匹の幼虫を発見。
 苗は強剪定して、小さい鉢に植えなおしました。
 これで回復してくれるといいけれど、今までの経験上、このまま枯れてしまうかもしれません。
 毎年コガネムシの幼虫のせいで1−2鉢が枯れていきます。
 地植えのブルーベリーに被害が出たことはないので、鉢植えは難しいなぁと思いました。

<2007-9-8>
 寝不足が続いた後に思いっきり寝ると、当たり前だけれど、疲れが取れた感じがします。
 気持ちも軽くなっている気がする。
 寝るって大切ですね。

<2007-9-7>
 憂いあれば備えなし。

<2007-9-6>
 台風の日にコロッケを食べるという文化がもっと広まったら、何だかとても素敵な気がします。
 天気予報で台風の行方を確認し、ジャガイモの買出しに出かけた主婦がスーパーに溢れているのを想像すると、「みんなみんな、生きているんだ、友達なんだ」と思います。

<2007-9-5>
 何の気なしにオンラインウイルスチェックをかけたら、3つも感染ファイルが見つかりました。
 普段、アンチウイルスを常駐させているのだけれど(そしてメールの添付ファイルにときどき反応しているのだけれど)、ソフトによって検出できるウイルスが微妙に違うのかもしれませんね。
 こちらでチェックできます。

http://security.symantec.com/sscv6/default.asp?productid=symhome&langid=jp&venid=sym

<2007-9-4>
 台風が関東を目指していることに、少しだけワクワクしている自分がいます。(^^;
 だって、ブルーベリーがからからなんだもの。

<2007-9-3>
 自転車に乗っていたら、「すみません」と僕を呼ぶ声。ふと横を見ると、道端に女性がたおれていました。
 僕に携帯を差し出し、「救急車を呼んだのだけれど、ここがどこだか判らないので説明してもらえませんか?」とのこと。
 早速携帯を受け取り、あたりの表札を調べて何とかそこの住所を119に告げました。
 彼女は自転車に乗っていたところ、突然のめまいで倒れてしまったそうで、気分がひどく悪く、そのまま立ち上がれなくなったそうです。
 自転車をどかして、道路わきの駐車場に彼女を寝かせて救急車が来るのを待ちました。
 救急隊員は手際よく彼女を担架にのせ、走り去りました。
 間近で救急隊員の仕事を見たのは初めてでしたが、とても大変な仕事だと思いました。
 その数時間後、ジョギングをしていたら、突然曲がり角から2台の自転車がすごいスピードで突進してきて、危うくぶつかりそうになりました。小学生くらいの男の子が先で、その後ろにその母親。真っ暗の中、ふたりともライトをつけず、減速もせず、当然謝りもせず、走り抜けていきました。
 すごく頭にきました。
 僕は大抵のことは許そうと努力しますが、ライトをつけていない自転車、携帯電話の画面を見ながら前を見ずに走っている自転車だけはどうしても許せないのです。
 何故? 2台ともライトが故障中なの? 子供がライトをつけないことを注意できない親も信じられないですが、親本人がライトをつけていないのはもっと信じられないです。
 自転車のライトをつけない人ってすごく多いけれど、何のメリットがあるのでしょう? ライトをつけると重くなるから? それとも、本当に壊れていて、ただ、修理するのが面倒なだけなのでしょうか? ライトって、そんなに簡単に壊れるものなのかな?
 僕は自転車のヘビーユーザーだけれど、ライトがつかなくなった経験は生まれてから一度だけです。そのときも、ライトなしで走るのはとても怖いので、すぐに修理しました。(修理はやろうと思えば自分で簡単に出来ます)
 救急隊員の仕事をみた後だったから、余計に怒りも倍増だったのだと思います。
 こういったバカ親子が、人を跳ねたり、車に跳ねられたりして、そのたびに救急隊員は出動して、怪我をしてぐったりしている人たちの面倒を見なくてはいけないのです。
 無灯火の自転車に乗っている人(もしくは携帯の画面を見ながら自転車に乗っている)は、同じように無灯火だったり、携帯を見ながらだったりする人と曲がり角でぶつかって、自分がいかに危険な行為をしているのかを肌で感じればいいのです。

<2007-9-2>
 夏と冬の間に、秋をおきました。
 だから秋は少しだけ、中途半端なのです。
 この頃はなんとなく、心さみしくて、知らないうちに誰かと、隙間が出来たりします。

<2007-9-1>
 先日開催いたしました、「催眠のかけ方セミナー・初級編」にご参加いただいた皆様のアンケート内容を掲載いたしました。
 次回セミナーをご検討中の皆様は、お読みいただければ参考になるかもしれません。
 こちらです。

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