ひとりごと
2008年 9〜12月

エッセイもお読みくださいね。

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<2008-12-30>
 エッセイをいくつか追加しました。

<2008-12-29>
 子供の頃、給食などでシールつきのバナナが自分にあたると妙にテンションが上がりました。
 シールって、何であんなに楽しかったんだろう?
 シールだけでは飽き足らず、外枠まではがしてペタペタ貼った記憶があります。
 きっと、「シール」っていうネーミングが素敵なのも、子供がシール好きな理由のひとつだと思います。
 これ、シールじゃなくて、「貼り付け絵」とかいう、実用的な名前だったら、子供はこんなにも愛さないと思います。
 以前、バナナマンの設楽が、本に挟む「しおり」について、「しおりって、何であんなに素敵なネーミングなんだろう?」と言っていました。それこそ、「ページ記憶紙」といった、「湯沸かし器」的なネーミングでも良かったはずです。
 言われてみれば、確かに「しおり」って、素敵な名前ですね。名前をつけた人のセンスと、愛を感じます。
 カニクイザルに、カニクイザルという名前をつけた学者は、見習うべきだと思います。 

<2008-12-25>
 趣味と言うほどのものでもないのですが、僕は高速道路のサービスエリアを巡るのが大好きです。
 遠出するときは、必要以上にサービスエリアに寄って遊んでしまうので、なかなか目的地に着きません。
 最近は遠出する機会も滅多にないので、わざわざサービスエリアに行くために高速に乗ったりもします。(本末転倒)
 今日も、海老名サービスエリアまで行って来ました。
 名物の肉まんや串焼き、メロンパンを食べて、帰りに稲城にある日帰り温泉でお風呂に入って帰ってきました。
 どこに泊まったわけでもないけれど、「高速に乗る」「サービスエリアに寄る」「外でお風呂に入る」という行為が重なると、ものすごく旅に行った気分がします。

<2008-12-24>
 毎年12月に入った頃から、なんとなくこちらなんかを聴いたりして、クリスマス気分を味わうのですが、今年は気がつくとクリスマスイヴ、という感じで、クリスマスと言う感じがしません。
 穴を埋めるかのごとく、これから「Happy Xmas (War Is Over)」とか、「Christmas time in blue」とか聴こうと思います。
 メリークリスマス!

<2008-12-23>
「寂しくないの?」
「慣れたのさ、訓練でね」
「どんな訓練?」
「僕は不思議な星の下に生まれたんだ。つまりね、欲しいと思ったものはなんでも必ず手に入れてきた。
 でも、何かを手に入れる度に別の何かを踏みつけてきた。
 わかるかい」
「少しね」
「誰も信じないけど、これは本当なんだ。三年ばかり前にそれに気付いた。
 そしてこう思った。もう何も欲しがるまいってね」
「それで、一生そんな風にやってくつもり?」
「恐らくね。誰にも迷惑をかけずに済む」
「本当にそう思うんなら、靴箱の中で生きればいいわ」
 〜村上春樹 『1973年のピンボール』

<2008-12-22>
 27日の夜10時より、NHKで「人間60年 沢田研二スペシャル」という番組が放送されます。
 僕は、大学の頃、沢田研二の2枚組みベストを偶然手にしたのをきっかけに、沢田研二を聴くようになりました。
 オフコースの初期のアルバム(さすがに「僕の贈りもの」は古い感じがしますが、「ワインの匂い」辺りから)を聴いても全く古さを感じないし、今でも十分通用するように思うのですが、沢田研二の初期の曲は、アレンジが古く、残念ながら、今でも通用するとは言い難いです。何だか沢田研二とオフコースの間の微妙な時間差(実際はほとんど差はないのだけれど)に、音楽的には大きな溝があるのではないかという気がします。
 でもねぇ、いいんですよ、沢田研二。
 とにかく、かっこいい。
 男くさくて、もしかしたら今ではこういったタイプはもてないのかもしれませんが、当時、ファンが熱狂したのも理解できます。
 僕が一番好きな曲は、「ヤマトより愛をこめて」です。
 阿久悠と沢田研二の組み合わせは最強ですね。
 この曲の素晴らしさを書こうと思ってYoutubeの映像を観ていたら、ヤマトの懐かしい映像に、それどころじゃなくなってしまいました。(^^;;
 佐渡先生、徳川機関長、土方艦長、山本、斉藤、加藤、真田さん……、みんな死んでしまったのですね。(; ;)

<2008-12-21>
 「M-1グランプリ2008」を観ました。
 毎年M-1は、観る側なのに妙に緊張し、なかなかリラックスして笑えないのですが、その緊張感がパンパンに膨れ上がったときにツボにはまると、苦しいくらいに笑ってしまいます。
 2005年のブラックマヨネーズ、2006年のチュートリアル、そして去年のサンドウィッチマン……。どの組のネタをとっても、この爆発力みたいなのがあって、「やっぱりM-1は面白いなー」という気持ちで番組を観終わりました。
 今年は去年までとは違い、初めからどの組もそこそこ笑えました。そのかわり、そのまま爆発することもなく、終わってしまった感じがします。
 観終わった後、何だか不完全燃焼だったので、2005年のブラックマヨネーズのネタを観ました。
 吉田がときどき「伝説の2005年M-1優勝者」みたいなことを言っていますが、確かに、異常に面白く感じました。 
 さて、いよいよ年末です。

<2008-12-19>
 ようやく、携帯版サイトが完成しました。

http://www.e-saimin.com/i/

 実機で確認していませんので、もしかしたらうまく見られなかったり、フォームが送信できなかったりがあるかもしれません。
 お気づきの点がございましたら、是非、携帯版のお問い合わせフォームから、お送りくださいね。
 「ちゃんと見られたよ!」のひとことでも、いただけたら嬉しいです!

<2008-12-16>
 ずっと読みたいと思っていた本があります。
 1970年代に出版された「催眠名著シリーズ2」の、T・X・バーバー著「催眠」です。
 出版元の宣伝文には、

「トランス」という実体のない媒介概念を仮定する従来の研究を批判し、一般心理学の概念を用い科学的方法に従って催眠現象を解明する。そして催眠行動は課題動機づけによって可能なことを多くの実験で示す。

とあり、とても興味深い内容です。
 催眠状態とは何か、という議論がなされるとき、必ず引き合いに出されるのがこちらの本で、以前から読みたいと思っていたものの、すでに出版元では絶版になっており、地元の図書館にも置いてありませんでした。
 いい加減、中古で手に入れようかなぁ、それとも、国会図書館に行って読んでこようかなぁと思っていた矢先、近隣の図書館にあることが判明しました。(自分の住んでいる市区町村でなくても、近隣の市区町村の図書館は利用できるのですね)
 そして本日、めでたく借りてくることが出来ました。
 年末年始を挟むので、貸し出し期間も通常より長く、じっくり読めそうです。
 ついでに、「催眠名著シリーズ1」 R・ヒルガード著「催眠感受性」も、保存庫にあるということで、こちらも予約してきました。数日中には借りられそうです。参考までに、そちらの宣伝文も引用します。

催眠にまつわる偏見を払拭し、催眠の本質を科学的に解明するために多年にわたって行なった、実験的研究の豊富な資料を集大成したもので、催眠の発達相互作用説も試論されている。非常に興味深い名著の訳出。

 催眠研究会で、これらの本の内容も、議論したり、検証したり、追試できたらいいなぁと思っています。

<2008-12-15>
 僕の携帯は、純粋な電話としてしか使えません。いまどき、メールも、携帯でネットを見ることもできません。
 もちろん、申し込めば使えるのですが、メールもネットもパソコンで十分だし、外にいるときまでメールやネットに縛られることが、何だか嫌で、ずっと申し込まずにいます。
 ということで、このホームページも、あまり携帯版の必要性を感じずにここまでやって来たのですが、先日、知人の携帯でここを見たとき、レイアウトも崩れ、全く読めない状況を目の当たりにし、これじゃいかんと、今日から携帯版の作成を開始しました。
 できたページを携帯で確認できないので、動作確認はエミュレータを使っています。やっぱりキャリアによって、そして端末によって、見え方って違うのでしょうか。少しだけ不安です。

<2008-12-14>
 猫をみて思ったんだけれど、猫の髭と人間の髭って、全く別物ですよね。
 動物の髭は、触覚器として役に立っていますが、人間の髭は、生やしたところでそういった目的では使えないし、動物は子供でもメスでも髭が生えていますが、人間はそうじゃないし……。
 形状が違うけれど同じ機能を持ったものを同じ名前で呼ぶのは理解できますが、同じ様な場所にあるという理由だけで、本来、別のものを同じ名前で呼んでしまうというのは、どこか間違っている気がします。

<2008-12-13>
 「近代デジタルライブラリー」で「催眠」と検索すると、明治時代や大正時代に出版された、催眠関連の本を読むことができます。
 ざっとタイトルだけ眺めるだけでも、「遠距離催眠術」、「催眠術及千里眼透視術実践教授書」、「催眠術矯癖自在」、「催眠術独習」、「催眠術秘伝書」、「瞬間催眠術教授書」、「ダレデモデキウル催眠術」、「反抗者催眠論」、「魔術と催眠術」、「人身磁力催眠術」など、もうワクワクしてしまいます。(^^)
 いくつかパラパラ読んでみたのですが、トンデモ本もありますが、反対に、催眠の本質を簡潔に述べているものも少なくなく、非常に興味深かったです。
 凝視法を、「100年前の古臭い方法」と断言していたり、「明るくて風通しの良い部屋が一番良い」、「目をつぶらせて、開かない!、と言えばその通りになる。それで開いてしまうのは、相手が冷やかそうと思っているからだ」などなど、頷いたり笑ったりしながら読みました。
 現在、催眠に関わっている人たちが議論しているのと同じ様な内容が、当時から議論されていたのだということを知るだけでも、面白かったです。

<2008-12-11>
 「ザ!世界仰天ニュース 催眠術スペシャル」を観ました。
 催眠がさらしあげられるのかと、ドキドキしながら観ましたが、意外に好意的(?)な作りで、ホッとしました。
 紹介されていたのは、非常に古典的な催眠療法でした。
 2度目の抜歯のシーンで、患者さんが痛がっていましたが、そもそも、催眠で感覚の麻痺が起こるのは、その場所に意識が向かないからです。2度目は日本のテレビカメラも入り、「絶対に失敗してはいけない」というプレッシャーから、意識を中世に集中させることが初回より難しかったのではないかなーと思いました。
 暗示と言うのは常に、意識の向いていないところに働くものです。
 例えば「手が固まる」という暗示も、現実の手が固まったかどうかに意識が向いている人にはうまく行きません。現実の手ではなく、「手が固い現実」に意識が集中している人には成功します。
 「考えるな。感じろ!」なんですね。

<2008-12-10>
 マザーテレサは生前、「世界中の貧困がなくなったら、どうしますか?」という質問を受けたことがあります。
 「そうしたら失業ね」
 彼女はニッコリ笑ってそう答えました。
 僕はその映像を観て、何とも心が洗われる思いがしました。
 仕事って、そうあるべきですね。
 医者もそうだし、警備会社も、アンチウイルスソフトを作っている会社などもそうかもしれませんが、本来、そのような職業がなくても生きていける世界と言うのが、理想の世界だと思います。しかし、現実には病気があり、悪い人たちがいる。
 建前ではなく、本気で「失業できたら本望」という意気込みでそれらの仕事をするのは、案外難しいように思います。現実的に、それで食べているわけですから。
 ですから僕は、カウンセラーやセラピストも、この意気込みを持っているかどうかが、とても大切だと思うのです。
 私はセッションの最後に、「次はいついらっしゃいますか?」というお話は一切しません。
 一度のセッションで何も変わらないクライアントさんもいらっしゃれば、一度のセッションで人生を変え始めるクライアントさんもいらっしゃいます。また、残念ながら、セラピストと合わないクライアントさんもいらっしゃいます。ですから、まずは生活に戻って様子を見てから、改めて次のセッションに行くかどうかを考えれば、それでいいと思っています。
 次回の予約を強制したり、「○○回くれば治ります」などと言う所は、どこか、「失業できたら本望」ではなくて、自分の生活のためにクライアントさんの気持ちを無視しているような気がしてなりません。もしくは、自分のしていることに自信がないのかな?

<2008-12-9>
 ふと、午前中にテレビをつけたらやっていた「パパとムスメの7日間」を、最後まで観てしまいました。
 舘ひろしに、そのままの格好で女子高校生を演じさせるのにもびっくりしましたが、そんなことより、佐田真由美が怖すぎです。

<2008-12-8>
 「誰でも催眠に入れる誘導方法を見つけました」なんて書けば、お客様が増えるのかな?

<2008-12-7>
 我が家の雑種猫「ゆず」(写真の黒い方)は、超ツンデレ系です。
 撫でよう、抱っこしようとすると逃げ回って絶対捕まらないときもあれば、ゴロゴロ言いながら足にスリスリしてきたり、まるで人間が肩をポンポンと叩くように、前足でチョンチョンと「こっち向いて!」攻撃をしてきたり、行くところ行くところついてまわり、僕が座ればすぐに膝にのって、背伸びして顔を近づけてきたり、寝ていると隣に来てゴローンと体重をあずけてきたりと、末恐ろしい甘え方をします。
 もう、二重人格(二重猫格?)なんじゃないかというくらい、ツンツンしているときと、デレデレしているときの性格が違います。
 今のところ、何がきっかけでスイッチが入ったり切れたりするのか、まったく解りません。
 ゆずが人間でなくて良かった。
 こんな、アメとムチを使いこなし、気まぐれで心の読めない女の子が近くにいたら、宿命的な恋に落ちて、何も手につかなかい人間になっていたんじゃないかと思います。

<2008-12-6>
 何を言っても、すべて、「でも〜」とか、「それは違うよ〜」と相手を否定し、言葉の表面的な部分につっかかってきて、中身を話させてくれない人とは、早めに関係を切らないと、病気になってしまいますよ。
 何かを感じるって、素晴らしいことだと思うんです。例えそれが、誰かの目には間違った感じ方だとしても、自分がそう感じたのだから、感じた自分を責める必要はない。相手の目が間違っている可能性だってあるのですから。
 理解してもらえなくて、否定ばかりされて、自分に自信がなくなってしまった皆さん。
 そこにいてはいけません。
 残念ながら、その相手はあなたを洗脳し、依存させ、病気にさせます。
 もし、あなたにとってその人が、いなくなってしまっては困る人だとしたら、余計に危険です。
 そのような逃げ出せない状況で否定され続けると、人格が壊れます。
 特に、言っていることとやっていることが矛盾している場合に、注意して下さい。
 意見を求めるくせに、それについて何か答えると、片っ端から否定するような相手は、あなたをコントロールしたいだけだし、相手を否定することで自分が気持ち良くなりたいだけです。
 繰り返しますが、そういう相手と長い間一緒にいると、あなたは病気になります。幸い、病気にならなかったとしたら、あなたは洗脳されるか、相手に依存してしまうか、もしくはその両方です。
 ひとりになる勇気を持ってください。
 案外、その人なんていなくても、何とか生きていけるものです。
 最初は戸惑うかもしれないけれど、タフな世の中で生きていくには、寂しさを乗り越えて強くなることも必要です。
 残念ながら、人間関係は全て、「困っている人が負け」です。
 だから、少し寂しい気もしますが、時には心の中で、相手に向かってこう宣言しましょう。

 私はあなたがいなくても困らない。

 何が何でも勝つ必要はありません。
 ただ、いい加減に、負け続けるのはやめにしませんか?

<2008-12-4>
 セミナーなどで、暗示に反応する原理とか、サブリミナルの影響とかを解説する機会が増えてきたせいか、今まで気がつかなかったところにも、意図的にしろ、そうでないにしろ、多くの心理誘導があることに気がつき、ハッとすることが多くなりました。
 もうすでに、どなたかが指摘していらっしゃるかもしれませんが、Perfume が大ブレイクした背景にも、実は巧みな心理誘導があるのではないかと思います。
 彼女たち3人のキャラクターやテクノサウンドももちろんブレイクの要因でしょうが、一番の要因は、あの独特なダンスにあると思います。
 チョコレイト・ディスコの振り付けを観てそう思ったのですが、これなんかは、サブリミナルの塊ですね。単調なリズムとライティングでトランスに入る要素は十分ですし、これだけサブリミナルを散りばめられたら、暗示の効果はかなりあるのではないかと思います。
 「バレンタイン」のところで指を「2・1・4」としたり、「男の子」のところで必ずこちらを指をさしたり、鏡越しにこちらを見ていたり、その他にも多くのジェスチャーで歌詞を立体的に表現しています。直接的過ぎると言われればその通りなのですが、ボディラングエージの使い方が見事。更には、青を上手にアンカーとして使っています。そういった狙いがあるのか、結果的にそうなのか判りませんが、特に「あーちゃん」を売りたいのだなぁと思いました。
 コミュニケーションにおける言語の依存度は7%に過ぎない、という研究があるのですが、当然、非言語的な情報が多ければ多いほど、コミュニケーションはスムーズになり、意図は伝わりやすくなります。Perfume のパフォーマンスが素晴らしいのは、音楽と言語だけでなく、ダンスやライティングも積極的に感情を伝える道具として使っているからだと思います。日本人だけでなく、外国人にも人気が出ているのは、非言語の93%で十分に魅力が伝わっているからでしょう。
 安室奈美恵 でも EXILE でも ジャニーズのグループでも誰でもいいのですが、他の踊りながら歌うアーティストの映像を観るとすぐに違いに気がつくと思います。彼らの踊りは非常に無機的で、歌詞とほとんどリンクしていません。しかし Perfume のダンスは非常に有機的でしっかり意味があり、作品の中の欠けてはいけない要素にまでなっていると思うのです。こういった意味のあるダンスをするアーティストは、もしかしたら、ピンク・レディー以来かもしれませんし、ピンク・レディーの異常な人気も、実はあのダンスによる所が大きかったのかもしれません。
 僕自身、ラジオなどで Perfume の曲が流れていたときは心に留まりませんでしたが、PVを観てから急速に Perfume が好きになりました。また、車の中などで Perfume を聴いていると、頭の中に踊っている彼女たちの姿がでてくるのです。
 サブリミナルと言うと、映画のフィルムの中に、意識できない短さで文章を表示する、というものを連想される方も多いと思いますが(Wikipediaにも、それ以外の情報は出てきません)、それはサブリミナルの一形態に過ぎません。
 部屋の中に「みかん」がひとつあるだけで、それは十分、サブリミナルになり得るんですよね。

<2008-12-3>
 生きることに意味はあるのか?、という問いを、誰でも一度は考えたことがあると思います。
 自分の中で意味が感じられるのであれば、もし他人が「それは意味にはならない」と言ったところで、その人にとっては「意味」になると思いますし、「意味などない」という答えを出しつつ、日々を生きていくことも、「答えなどない」と、意味を探すのを諦めて、現実生活にフォーカスすることもひとつの生き方だと思います。また、「生きる意味が解るまで一歩も動けない」気持ちになって、生涯それを探究するのもまた、ひとつの生き方ですね。

 料理の上手な友達に食事に招かれて、ストレートにその腕を褒めたい場合、「美味しいね!」って言うことができます。でももしかしたら、言われた相手はその言葉をお世辞だと感じるかもしれません。
 お世辞ではなくそう思っていることを伝えたいのであれば、「美味しいね!」ではなく、「どうしてこんなに美味しく作れるの?」と質問してみるのが良いと思います。
 「美味しいね!」と言われると、「この料理は<美味しかった>のかもしれないし、<不味かった>のかもしれないけれど、たまたまこの人は<美味しい>という言葉を選んだ」、というニュアンスがあるので、お世辞に聞こえます。しかし「どうしてこんなに美味しく作れるの?」と言われると、美味しいか不味いかではなく「どうして美味しいのか?」が問われることになり、「美味しい」ことは前提となるので、言われた側は「美味しい」ことを否定できなくなるのです。
 このような、言いたいことを前提とする話し方を、ダブルバインドと呼びます。

 「生きることに意味はあるのか?」
 僕はこの問いも、ダブルバインドだと思うのです。
 「生きるか? それとも死ぬか?」を問うているのではなく、「生きることに意味はあるのか? それともないのか?」が問われていますね。「生きる」ことは前提になっています。

 生きることの意味を問うことは、何故か「死」、それも「自殺」を連想させます。「意味がないのならば存在してはいけない」というような切羽詰った感じがこの問いにはあるように思う。毎日毎日、「どうして生きているんだろう?」と口癖のように言っている人は、周りからは「この人は自殺してしまうのではないか?」と心配されてしまうでしょう。
 しかし、カミュが「シーシュポスの神話」の中で、「熟考の末に自殺する人はいない」と言っているように、自分の命と真剣に向き合おうとする人は、そう簡単には死なないように思います。何故かと言うと、「生きることに意味があるのか?」を考えれば考えるほど、「生きる」ことが前提になるからです。

 もし、料理を作って誰かと食べるとき、失敗して自分ではあまり美味しくないのにも関わらず、相手が「どうしてこんなに美味しく作れるの?」と大喜びしてくれたら、皆さんはどう感じますか? しかもそれが何回も続いて、「作り方を教えて欲しい」と本気で頼まれたらどうでしょうか。相手が一流レストランのシェフだとしたら、どうでしょうか。
 最初感じていた「あまり美味しくない」という感覚に、だんだん自信が持てなくなってきて、何が美味しいのかが判らなくなってしまうかもしれないし、その美味しくないはずの料理が、次第に美味しく感じられるようになるかもしれませんね。
 人間は、逃げられない状況(何回も同じことがある、一流シェフがそう言っている)で、矛盾するふたつのメッセージ(あまり美味しくないが、皆は喜んでいる)が提示されると、その矛盾を無意識的に解決しようとすることがあります。その結果、逃避(何が美味しいのか解らなくなる)することもあれば、洗脳(それが美味しいと感じられるようになる)されることもあります。

 人生がうまく行かなくて、「生きることに意味はあるのか?」と悩んでいるときも、これと同じ状況にあるのではないかと思います。
 「生きる」という逃げられない状況下で、人生に意味を感じられず、それ故、「意味がないのならば存在してはいけない」という矛盾を感じていると、何かに逃避したり、何かに洗脳されたりするようになる可能性が高くなります。
 逃避や洗脳が良いことなのか、悪いことなのかは、また別の話ですが、僕は、誰もが生きることに意味を感じていなくても良いと思っています。生きることに意味があってもなくても、それを追求していても、追及することを投げ出していても、逃避していても、洗脳されていても、とにかく生きていること。死なないでいること。それ以上に大切なことはないのではないかと思います。
 「とにかく生きていて下さい」と言うと、すぐに「何で生きていなければいけないのですか?」と、元の問いに戻ってしまいますが……。
 生きている限り、希望があるかもしれない。
 僕はそう思っています。 

<2008-12-2>
 オトナグリコのコマーシャル、面白いですね。
 「仕事&屋台篇 ライバルバージョン」のイクラちゃん、すごくかっこいいです。

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<2008-11-23>
 ほとんど誰も観てないと思われる番組を、僕はときどき観てしまうのですが、今、はまりつつあるのが「Perfumeの気になる子ちゃん」という番組です。(ご覧になっている方、いらっしゃいますか?)
 日常生活の中の気になることをひたすら言い合う番組なのですが、ときどき、おお!、という視点があり、面白いです。
 僕も混ざって、「気になる子ちゃーん」って踊りたい。
 こちらのページで、過去に出てきた話題が読めます。
 山に登ったときの、ヤッホーって、そういう意味だったのですね。

<2008-11-22>
 昨日のセミナーで皆様にご記入いただいた、アンケートの内容を一部掲載いたしました。(前々回のセミナーのアンケートも載せていなかったので、載せました)
 こちらの、こちらからご覧下さい。

<2008-11-21>
 「催眠の基礎セミナー」が無事に終了しました。
 今回はワンコインセミナーだったせいか、今までの中では最速で満席になり、参加人数も、過去最多でした。
 参加者、おひとりおひとりが真剣に聞いて下さって、終わった後、何とも言えない幸せな気持ちで会場を後にしました。
 多くの皆さんが、次回以降も参加したいとおっしゃってくださったのも、とても嬉しかったです。
 本日、僕がお話した内容は、催眠やNLPの王道から見れば、もしかしたら邪道なのかもしれません。
 でも、できることはできるし、できないことはできない、という認識は、とても大切だと思っています。
 次回は、「こんなに使えてこんなに使えない催眠セミナー」というのをやろうかと思っています。
 本日は皆様、本当にお疲れ様でした。

<2008-11-20>
 紅葉を観に、桧原村までドライブに行ってきました。
 今年、桧原村を訪れるのは3回目で、夏に一回、そして11月の始めに、紅葉を観ようと一度行っています。
 前回訪れたときは、まだ紅葉にも早く、「あと2週間くらいかなぁ」という感じでした。
 今回は天気もよく、ちょうど見頃で、とても綺麗でした。 

<2008-11-14>
 「ショーマンシップ」という言葉があります。
 辞書を引くと、「見物客を喜ばせようとする芸人としての心掛け」とあります。
 なんとなく、ニュアンス的には「見せ方」「ショーアップの仕方」みたいな意味があるんじゃないかと、勝手に思っています。
 このショーマンシップ、もしかしたら、テクニックよりもずっと大切なんじゃないかと最近思うようになりました。
 下手でもすごく「聞かせる」歌手もいれば、上手いのにあまり伝わってこない歌手もいます。
 ショーマンシップの重要性を理解している人、そういうのを無駄だと思わずに、時間とお金をかけられる人が、結局は成功しているし、認められているんじゃないかな。
 僕はあまり歴史は詳しくありませんが、ヒットラーなんかは、ショーマンシップの塊のような気がします。
 彼の「優性民族思想」は、決して難しい事を言っているのではなく、一言で言えば、「ゲルマン民族は優れている」という、根拠があるのかないのか判らないような、単純な主張のゴリ押しな訳ですが、それが体系化され、ショーアップされると、大衆を熱狂させて戦争に向かわせることまでできたわけです。(間違っていたらごめんなさい)
 大切なのは、何を語るかではなく、どんな風に語るか、なのですね。

<2008-11-11>
 21日のセミナーですが、予想外の反響で、すでに当初予定していた定員は一杯になりました。(やっぱり、ワンコインだから参加しやすいのかなぁ。)
 もう少し席を増やせそうということで、まだお申し込み可能ですが、それでもあと数人だと思います。
 迷っていらっしゃる方は、お急ぎくださいね! 

<2008-11-5>
 久しぶりにセミナーを開催することになりました。
 今回のセミナーは私の主催ではなく、日本催眠心理学会で定期的に開催されている催眠心理研究会の一環として、催眠の基礎についてお話します。
 受講料も、会場代実費の500円のみと、参加しやすくなっていますので、ご興味ある方は、是非、いらしてください!
 詳細はこちらをご覧ください。

<2008-11-3>
 以前は、セッションにいらっしゃった方に、体験談を書いていただくようにお願いすることがあったのですが、最近は、こちらからお願いしたのでは、書きたいことも書けないだろうと思い直し、こちらからお願いするのをやめていました。
 それでも、セッション後に経過をメールしてくださる方も多く、今回、ある方に、WEBに掲載することをご了承いただきましたので、久しぶりに体験談を紹介させていただきたいと思います。(ダイエット目的でいらした方の体験談です)

------ここから------
セッションが終わり帰宅途中に「あれ?」と思うことがありました。
新宿駅でエスカレーターを使わず階段を上ったのですが、いつもよりずっと足取りが軽かったのです。
そして新宿で昼食をとりました。
頼んだフォーのセットは量がやや少なめだったのですが、桜井さんに言われたように、1/3が暗くなったイメージをして食べ始めました。
食べてる途中ではおいしくて「やばい、全部食べちゃいそうだ」と思ったのですがゆっくり食べているうちにお腹がいっぱいになり、麺を半分くらい残してしまいました。
とっても不思議な感覚です。
翌日は会社でした。いつもは仕事中お腹が空いてパクパクお菓子をつまんでいるのですが、この日からはお腹が空きにくくなり、空いてお菓子に手を出したものの、少し食べたら「もういいかな?」という気分になりました。
水曜から今日までの夕食はいつもの2/3〜半分くらいで満足しました。
昼食も少なめです。
なにより空腹感を感じるのが遅くなり、空腹になっても「お腹空いたからなにか食べなきゃ!」といった考えが出てこなくなりました。
食べること以外に関しては、毎朝駅まで歩くことに対する抵抗があまりなくなったように思えます。
また、セッション後から肩こりが軽減したように思えます。あまり凝っている感覚がありません。
すべて気のせいかもしれないとは思います。私自身セッション中に不思議な体験をいくつもしましたが、「実は科学的根拠がある現象なのかもしれない」とも思います。
しかし、暗示によって私の意識が変わりダイエットやストレス解消につながったのですから、セッションを受けて本当によかったと思っています。
------ここまで------

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<2008-10-31>
 催眠を勉強し始めて辿るコースは大体決まっていて、まずは古典催眠から入り、古典催眠に限界を感じると、やがて現代催眠、NLPに惹かれ、知識やウンチクで頭がいっぱいになっても一向に理屈通りにいかない現実に、初めて、「もしかして、突き詰めると日常のコミュニケーションはすべて催眠なのではないか?」ということに気がつきます。
 それこそ、子供に昔話を聞かせることも催眠だし、意図的な話題の転換だって催眠なわけです。
 以前、エッセイの「思考のブーメラン現象」でも似たようなことを書きましたが、ぐるっと一周して、催眠ってなんでもないことだし、誰でも無意識に使っているんだって解ってくると、逆に、じゃあ催眠誘導って必要なのか、みたいなことにもなってくるわけです。
 心理療法もそれと同じかなぁと、最近思うようになりました。
 プラス思考になろう、成功するイメージをしよう、ネガティブな感情を捨てよう、とにかく自分を肯定しよう、等々、いろいろな方法論を追求していくうちに、それでも変われなかったり、無理をするようになったり、変わったとしても、以前よりも不自然な人間になってしまったりする現実にぶつかり、「もしかして、マイナス思考もネガティブな感情もすべて含めて、ありのままでいることが結局は一番人間らしい生き方だし、うまく行く生き方なのではないか?」という結論に達することがあるように思います。
 答えは初めから、風に吹かれているのかもしれませんね。

<2008-10-17>
 サバンナ・八木真澄の書いた「女の魅惑帳・男の魅力帳」という本を買いました。
 この本は、「告白して10回連続フラれた僕がその悔しさからつくったノートを本にしたもの」らしく、基本的には、彼の勝手な意見を、時に笑いながら、時に「アホな」とツッコミながら読む本だと思っていましたが、読み始めると、なかなかどうして、「なるほど」と思わせる意見も少なくなく、すっかり八木ワールドに引きずり込まれました。
 例えば「女の魅惑・17 ガム」にこうあります。

 「女はたえず鞄にガムを入れておかないとダメ。
  男は急にガムが食べたくなる。
  そのときの一枚が他の女と差をつける。
  ガム一枚の勝利はある」

 更に、「女の魅惑・35 新聞」にはこうあります。

 「女はある程度、世間でおこっている事件、政治状況をおさえておいてほしい。
  ただ政治について深くほり下げられてもつらいものがある。
  そこで新聞は見出しだけ読む。
  内容は男に訊くべし。
  あまった時間はファッション雑誌にあてる」

 こんな感じの「女の魅惑」が55カ条、更には「男の魅力」が55カ条、収録されています。
 お笑い芸人に本物と偽物があったとしたら、彼は本物だと思います。

<2008-10-12>
 は間違いなく天才です。
 オリジナルはこちら

<2008-10-6>
 「急がば回れ」と言いますが、気がつけば、ずっと回りっぱなしです。

<2008-10-5>
 M-1を観ても、R-1を観ても感じることですが、こういったコンテストの緊張感は、笑いの邪魔になるのだなぁと、今日のキングオブコントを観ても思いました。
 普通にネタをやってくれれば気軽に笑えるのに、何故かこっちまで緊張してしまって、何が面白いのか、ここで笑っていいのか、一瞬考えてしまいます。
 その緊張が極限まで高まったときに自分のツボを突かれると、一気に爆発して面白いのだけれど、今日は最後まで不発で終わってしまいました。
 「あらびき団」を見ていた方がずっと笑っているなぁって思いながら観ていました。
 せっかくコントの一番を決めるのだから、東京03とか、エレキコミックとか、インスタントジョンソンとか、キングオブコメディとか、(出ないだろうけど)ラーメンズとか観てみたかったです。
 でも、「メールハトレス」は面白かったです。(^^)

<2008-10-4>
 「それは理屈だ!」と言う人、嫌いです。
 理屈が通っているのなら、本来うまく行くはずだし、もし、理屈通りに行かないのであれば、それはその理屈が間違っているのです。
 いつまでもうまく行かないときに、今までの考えをスパッと捨てられるか、それとも、今までの考えに縛られて「理屈はあっているが現実はそうはいかない」というダブルスタンダードを認めてしまうかで、生き方が大きく変わってしまいますね。 
 実践的であるかどうかって、すごく大切だと思います。

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<2008-9-26>
 この年になると、だんだん、「夢」と呼べるようなものはなくなってきて、どちらかというと現実的な「予定」だったり、「希望」だったり、「計画」だったりするのですが、久しぶりに、10代の頃のような夢を抱きました。
 僕はずっと、ピアノが弾けたらなぁと思っていました。でも、ピアノは難しそうだし、バイエルから始めるのも飽きてしまいそうだし、ピアノ教室に通ってピリピリした(すみません、偏見です)ピアノ教師に駄目だしされるのも凹みそうなので、とっくに諦めていました。
 先日、「幻想即興曲ってどんな曲だっけ?」と思って Youtube を検索していたら、ピアノを始めて2年の人が演奏している動画を発見し、衝撃を受けました。2年でここまでできるのなら、是非、僕もがんばってみたい。
 早速電子ピアノを調べてみたところ、今はそれほど高くないようだし、好きな曲を練習するなら、独学でもいけるんじゃないかという気持ちになりました。
 ということで、ピアノで幻想即興曲を弾くことが、僕の夢になりました。
 何年かかるかわからないけれど、40歳になる頃には弾けるようになりたいなぁ。
 まずはピアノを買わなければいけませんね。 

<2008-9-20>
 噂の「週刊ニュース新書」を初めて見ました。
 この番組は普通のニュース番組なのですが、意味なく(?)スタジオに猫が放し飼いになっています。出演者は猫を相手にせず、淡々と番組を進めるのですが、ときどき猫が鳴いたり、テーブルの上にのってしまったり、出演者のお茶を飲んでしまったりと、猫好きはニュースどころではない番組らしいのです。
 出演している猫は、アメショーのま〜ごちゃん。
 いつもそうなのか、今日はたまたまなのか、ま〜ごちゃんの出演は、思ったよりずっと控えめでしたが、その分、ときどきアップになると、とてもありがたい気持ちになりました。

<2008-9-19>
 人によって、判断基準って違うように思います。
 合理性で判断する人、感情で判断する人、科学で判断する人、結果で判断する人、歴史で判断する人……。
 誰かと解り合えないときって、この判断基準がお互いに違うので、いつまでたっても平行線なのかもしれませんね。
 僕にとっての判断基準は何かというと、恐らく、「潔さ」です。
 間違っているけれど潔い人と、正しいけれど潔くない人がいたとしたら、圧倒的に、間違っているけれど潔い人に共感します。
 逆に言うと、正しいか、正しくないかという判断基準は、僕にとってあまり大切じゃないのかもしれない。
 もちろん、そのような判断基準が良いか悪いかで言ったら、良くないのだけれど、冷静に考えると、そういう性分なのだと思う。
 そして、真理とか正義というのは、本当は、求めれば求めるほど、潔くない世界にしか存在しないのではないかと感じています。 

<2008-9-17>
 久しぶりに、笑い、感動し、癒されました。
 こちらと、こちら
 フットボールと大相撲、このまま大晦日にやってくれないかな。
 「としぼう」が個人的にはツボでした。

<2008-9-15>
 頭のいい人と、頭の回転の速い人というのは、似て非なるものだと思います。
 頭の回転は速いけれど頭の悪い人もいるし、頭の回転は遅いけれど頭の良い人もいますね。

<2008-9-14>
 音に「オクターヴ」という概念があるの、すごく不思議です。
 音は、高い、低いだけではなく、ある程度高くなると(つまり、オクターヴ高くなると)、高いけれど、また振り出しに戻るわけです。
 こんなシステム(?)があるのは、音だけだと思うんですよね。
 確かに色にも、「もうワントーン上」という概念はありますが、素人が想像するワントーン上は、人によってばらばらな気がします。しかし音は、オクターヴ上はオクターヴ上。誰でも同じ音を想像します。
 音以外には、オクターヴのような概念はありませんね。オクターヴ上の甘さとか、オクターヴ上の匂いとか、オクターヴ上の痛みとか、そういった表現はありませんし、仮にあったとしても、それは単に、信号の強弱を表しているだけで、音のオクターヴとは本質的に異なる気がする。
 同じメロディーを違う音の高さで演奏しても違和感がない、ということ自体、とても不思議です。
 絵で、一箇所だけワントーン上の色を使ったら、印象がガラッとかわってしまうし、場合によっては、絵が台無しになってしまうと思うんです。
 しかし、音の場合、男性の曲を、女性が1オクターヴ高く歌っていても、まったく違和感はありませんし、女性の曲を男性が1オクターヴ低く歌っても、まったく違和感はありません。更に、男女が同じ曲を、オクターヴ違いでユニゾンで歌っていても、これまた違和感がないんです。
 大して音楽を勉強したことがなくても、簡単にオクターヴ下やオクターヴ上で歌を歌うことができるのも不思議。
 そんなことを考えていると、ちょっと怖くなってきて、夜、夢の中にオクターヴが出てきそうです。(^^;; 

<2008-9-13>
 バカリズム、大好きです。
 数少ない、職人気質のお笑い芸人だと思います。
 トツギーノを始めてみたときの衝撃は、それはそれはすさまじいものでした。

<2008-9-12>
 この頃の森高千里が一番好きでした。
 前奏から炸裂している彼女独特のステップ、フワフワしている髪の毛もたまらないし、「決〜め〜た〜!」のところ(57秒付近)で見事にカット割りが決まった後に一瞬見せる、「してやったり顔」もたまりません。
 バブルという時代背景ももちろんあるのでしょうが、それを差し引いて考えても、今の、感動させることか共感させることしかできないミュージシャン達には、音楽にはこういった可能性もあるのだと、気づいて欲しいなぁと思います。
 「二人は恋人」の動画のコメントに、「国の宝です」というコメントがありますが、全くその通りだと思います。

<2008-9-11>
 僕の周りに、未だに大江千里のファンという人はほとんどいません。
 大江千里が好き、と言うと、昔は変人扱いされたりもしましたが、今はそれさえもされなくなりました。
 彼のアルバムは、「未成年」から「SENRI HAPPY」まで聴いていました。
 個人的には、「1234」辺りが絶頂期だったと思います。特に、「サヴォタージュ」、「帰郷」、「昼グリル」という流れは、アルバムはヒット曲の寄せ集めではないのだということの象徴のような展開で、コンセプトアルバムと言っても過言ではないでしょう。
 どのアルバムも思い出深いですが、好きとか嫌いではなく、一番心に焼き付いているアルバムは「AVEC」です。
 中学から高校へと、一番多感な時期に聴いたからかもしれませんし、アルバムとしての完成度が、前2作や後2作と比べていまいちなので、その分、好きになろうと必死で良さを探しながら聴いていたので心に焼き付いてしまったのかもしれません。
 1曲目の「きみと生きたい」は、10代の頃はあまり好きではありませんでしたが、今聴くと、やはり名曲だと思います。

<2008-9-10>
 以前にも書きましたが、僕は「ゲシュタルトの祈り」が大好きです。
 何だか、セラピーに必要な要素のすべてが、ぎゅっと詰まっているような気がします。
 なかなかこんな風には生きられませんし、もしかしたら、日本の風土には、このようなドライな考え方は合わないかもしれないけれど、それでも、このようなしっかりとした境界線を持つことは、とても重要なことではないかと思います。

 「ゲシュタルトの祈り」

 私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
 私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。
 そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
 私は私。あなたはあなた。
 でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
 たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

<2008-9-9>
 モチベーションがあがらないときがありますが、逆にモチベーションしかあがらないときもあって、結局それだけじゃ駄目なんだなぁと思います。

<2008-9-8>
 音楽ってすごいですね。
 これを観ていたら、鳥肌が止まりませんでした。

<2008-9-7>
 テレビでやっていた「ターミナル」を観ました。
 何となくハッピーエンドでしたが、あのインド人のおじいちゃんはどうなったのかとか、彼を助けた友達や空港職員は解雇されなかったのかとか、彼女との恋の行方はあれで良いのかとか、いろんなことが気になって、終わってからもすっきりしませんでした。
 浜田省吾が、「テレビのナイトムービー、お決まりのエンディング、俺が観たいのは、その後のストーリー」と歌っていますが、まさにそんな気持ちです。

<2008-9-6>
 「お手柔らかに」という言葉ですが、「オテヤワラ・カニ」に聞こえることがあります。
 どんなカニなんだろう?
 やっぱりハサミが柔らかいんだろうか? そうなると、カニとしての存在理由が……。

<2008-9-5>
 お笑い芸人の「もう中学生」。
 あれ、どこまでがキャラで、どこからが素なのでしょう?
 楽屋でタバコを吸いながら、入ってきた先輩芸人に「おつかれっす」とすかして言ってたりしたら、ちょっと残念です。
 いや、いいんですけどね、別にそれでも。

<2008-9-4>
 今日は「櫛の日」。
 だから何だと言われると、とても困るのだけれど、一応、そう定められています。
 きっと櫛の日だということを意識して過ごす人は、そう多くはないのだろうな。
 僕もだからと言って、櫛に感謝したりするかといえば、全然そんなことはなく、それ以前に僕は今、櫛を1本も持っていません。(ブラシならありますが)
 ちなみに4月15日は「ヘリコプターの日」です。
 記念日って何なのか、非常に深く考えさせられます。

<2008-9-3>
 学生の頃、この曲が大好きでした。
 近所のラーメン屋さんに入ったとき、有線で流れているのを聴いて、すごく心地よく、すぐに好きになりました。
 ハッピーとか、ラッキーとか、キャッチーという言葉がたくさん出てきて、大して韻を踏んでいるわけでもないし、当たり前の言葉だけれど、連発されると何だかとても楽しい気分になれました。
 確かに良い時代だったのだと思います。

<2008-9-2>
 いつも冷静な人って、ときどき、非常に冷静に間違ったことをするので怖いです。

<2008-9-1>
 小麦粉をふるいに入れて振ると、中の小麦粉がすべて落ちるまでに、多少の時間がかかります。
 眠れない夜もそれと同じで、日中、たくさんの情報や解決すべき問題が頭の中に溜まり、寝るまでにその処理が終わっていないので、布団に入ってからも延々とそれを続けているのではないでしょうか。
 だから眠れないときは無理をして寝ようとしないで、少しでも早く、小麦粉がふるいわけられるよう、ただじっと待っているしかないのかもしれません。
 小麦粉の量によって、眠れるまでの時間は変わってくると思いますが、いつか必ず小麦粉はなくなります。

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