ひとりごと
2015年 1〜

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<2017-8-18>
 僕は昔から、「暦の上では」という言い回しの、有無を言わせない感じが大好きです。
 どんなに暑くても、暦の上では秋。
 どんなに寒くても、暦の上では春。
 「そんな役立たずな暦など、捨ててしまえ!」と思わないでもありませんが、「まぁまぁ、そういうルールですから、そういうことにしておきましょうよ」という大人に、激しく憧れます。
 それでいて、これだけ暦を大切にしながらも、暦の上では秋だからと言って、なんら、日常に影響がないのも、謎です。
 もちろん、儀礼上の影響は多々ありますが、誰も本気で秋だとは思っていないし、「数えで18歳」的なモヤモヤが、心に残ります。
 この、理不尽なほどに力のある言い回しを、もっと日常的に使えたら、小さな意見の違いでぶつかることもなくなるのかもしれません。

 暦の上では合法。
 暦の上では出席。
 暦の上では恋人。
 暦の上では成功。
 暦の上では年収1千万。
 ……

 「理論的には」や、「法律上は」に似ていますが、「暦の上では」が醸し出す、同意を強要しつつも、言った本人が「そんなわけない」と認めちゃっている感、「みなまで言わなくても、引けというなら、いくらでも引きますよ」という大人感は、やはり、一線を画している気がします。

<2017-5-28>

 マロンのお墓の上に、こんな感じで、お花を植えました。
 左から、日々草、ベゴニア、インパチェンスです。

 こちらは、パウダーブルーというブルーベリーの幼果です。
 収穫は、2か月後くらいだと思います。
 昨年の秋に、思い切って剪定したので、今年はどの苗も、新しい枝をたくさん出しています。

  こちらは、ポートランドというブドウの幼果です。
 昨年末、棒苗を買って植木鉢に植え、ベランダに置きました。
 以前ブドウを育てたときは、日陰で場所が悪かったのか、木は大きくなっても、収穫までいきませんでした。
 普段目につかない場所に植えたので、伸ばし放題になってしまったのも原因だと思います。
 今回は、雨にあたらず、日当たりもよいベランダで、リベンジです。
 ブドウの栽培方法を調べたところ、早ければ2年目から収穫できるとのことで、来年を楽しみにしていたのですが、早くも今年、二房だけ花が咲きました。
 今後が楽しみです。 

<2017-5-26>

 今朝、飼っていた老猫のマロンが亡くなりました。
 マロンは13年前に我が家にやって来ました。
 飼育放棄された猫で、里親ボランティアさんから譲り受けました。
 はっきりとした年齢は判らず、当時、「2〜3才だろう」とのことでしたので、15年くらいの人生だったのだと思います。
 5年前に、突然、水を飲まなくなり、餌も食べなくなり、獣医さんに連れて行ったところ、腎不全と診断されました。
 その1年前に、当時飼っていた「柚子」という猫も、同じように食べなくなり、飲まなくなり、腎不全と診断されました。そのとき、一晩入院させただけなのに、体は尿まみれになり、一気に衰弱が進んでしまって、僕も「薬を飲ませなければ」「食べさせなければ」という思いから、嫌がる柚子に、無理矢理食べさせ、薬を飲ませてしまいました。
 その結果、柚子は何度も嘔吐し、苦しみぬいて亡くなりました。
 柚子の経験があったので、5年前にマロンが腎不全と診断されたときは、そのまま看取ってあげようと、点滴だけ打ってもらって帰宅しました。
 その後、点滴のおかげか、食欲が回復し、少しずつ、マロンは元気になっていきました。
 しばらくは、「いつ死んでしまうか判らない」という思いでマロンに接していましたが、普段のマロンにすっかり戻ると、病気のことは、あまり考えないようになりました。
 積極的な治療もせず、マロンはそれから5年も生きたことになります。
 この5年間、少しずつ痩せていき、1年くらい前からは、触ると骨を感じるくらいにガリガリになっていましたが、長毛種のため、見た目の変化は、それほど急激ではありませんでした。
 先週の金曜日くらいから、歩いていても、よろけることが多くなり、今週に入って、ドライフードを食べなくなりました。そして月曜日の朝からは、餌を全く食べなくなってしまいました。
 まだそのときは、マロンが死んでしまうとは思っておらず、点滴で食欲が回復すれば、また元気になるだろうと思って、獣医さんに連れて行き、点滴を打ってもらいました。
 しかし、獣医さんのお話では、「もう、1週間ももたないかもしれません」とのことでした。
 火曜日には、点滴の効果で一時的に体力が回復し、餌も食べ、水も飲みましたが、水曜日にはあまり食べなくなり、昨日からは全く食べなくなりました。
 この二日間は、家にいるときは、ずっとマロンのそばで、マロンに話しかけ、マロンを撫でて過ごしました。
 そして最後は、膝の上で、静かに息を引き取りました。
 庭にお墓を掘って、マロンを入れ、一緒に、大好きだったホタテも入れました。
 お墓の上には、白いお花を3種類、植えました。
 月曜日から、たくさん泣いたし、5年前から覚悟はできていたので、今は不思議なほど、穏やかな気分です。
 これからしばらくは、家に帰るたびに、マロンの不在を感じて、悲しくなるのだろうなと思います。
 この13年間は、僕にとっては、とても難しい13年間でした。
 そんな日々を、そばでじっと見守ってくれていたマロンには、感謝の気持ちしかありません。 

<2017-3-24>
 「豆腐の角に頭をぶつけて死ね」とか、「味噌汁で顔を洗って出直してこい」とか、日本人はずいぶん、無茶なことを言うなぁと思う反面、その根底に流れる、不思議な人の温かさを感じなくもありません。
 多分その温かさは、大豆由来なのだと思います。

<2017-3-2>
 海外ドラマを見ていたら、主人公がこんなセリフを言っていました。

「人生は単調だ。毎日、水漏れ修理が必要な蛇口みたいに。そしてその見返りはただ、水が止まることだけ」

 あぁ、そういう真実を言ってはダメ。
 そういうのを気づかないふりをして生きてくことが、大人のたしなみなのだから。
 でも、水道が家になくて、その都度、井戸や川に水を汲みに行く生活をしている人にとっては、水道が使えるのなら、毎日の修理なんてへっちゃらって思うのかもしれません。
 初めは深く共感しただけでしたが、自分にとっての当たり前が、誰かにとっては最大の幸福なのかもしれないと考え始めたら、もう、当たり前だなんて言っていられないなぁって思いました。

<2017-2-10>
 世界三大ジャーマンは、ジャーマンポテト、ジャーマンメタル、ジャーマンスープレックスですが、世界三大アメリカンは、アメリカンコーヒー、アメリカンエキスプレス、アメリカンシンドロームだと思います。
 ちなみに、世界三大フレンチは、フレンチトースト、フレンチブルドック、フレンチコネクションです。
 ただ、フレンチは、フレンチフライ、フレンチドレッシング、フレンチクルーラー、フレンチプレスなど、食関係に層が厚い印象があります。
 世界三大ロシアンもついでに……、と思ったら、ロシアンルーレットと、ロシアンフックしか思いつきませんでした。

<2017-1-28>
 タケカワユキヒデ、山口敏太郎、猪瀬直樹 は、三つ子だと思う。

<2017-1-7>
 テレビを見ていて、驚きの事実を知り、「へぇ!そうだったんだぁ」と、ひとしきり感動した後、画面の下に、小さく「※諸説あります」という文字を見つけると、すごくモヤモヤした気持ちになります。
 事実だから感動したのであって、他の学者が異議を唱えているのなら、話は別です。

<2017-1-6>
 去年のM-1以降、ずっと「能やん」と言えるタイミングをうかがっています。 

<2017-1-5>
 名前の印象だけで、「財前直見、洞口依子、剛力彩芽」は同類で、「カヒミカリィ、ナオトインティライミ、シシドカフカ」も同類として処理している自分がいます。

<2017-1-3>
 新年、あけましておめでとうございます。
 去年の夏以来の更新になってしまいました。(^^;
 村上春樹の「1973年のピンボール」という小説に、スペイン語の講師が、大学でスペイン語を教えることについて、「砂漠で水を撒くような仕事です」と語るシーンがあります。
 ここ数年、僕の心の中にも大きな砂漠が広がっていて、言葉がふっと浮かんでも、それらがまるで、砂漠に撒かれた水のように消えてしまう感覚があって、会話にしても、文章にしても、以前のようにいかなくなった気がします。
 単に、年を取っただけなのかもしれませんが、今年は少しずつでも、消えてしまう前に、言葉を外に出していきたいなぁって思います。 

<2016-8-7>
 昨日、城南島海浜公園という、羽田空港のすぐ近くにある公園に行ってきました。
 まさに、「夏!」という雲が出ていて、遊泳禁止のため、人も少なく、とてものんびりとした時間が流れていました。

 空港の近くだけあって、数分に一度、目の前を、着陸するための飛行機が飛んでいきます。
 写真だと小さいですが、実際にはかなり近く、音も大きくて、すごい迫力でした。

 帰りに、空を見上げると、虹が出ていました。

 この公園には、初めて行ったのですが、釣りやバーベキュー、春には潮干狩りができるみたい。
 環七の終点にあるので、うちからもそれほど遠くなく、駐車場も広いので、また行きたいなぁと思いました。

<2016-6-16>
 先日、催眠ダイエットの目的でセッションにいらした方から、体験談を送っていただきました。
 掲載の許可をいただきましたので、こちらでご紹介いたします。

----ここから----
桜井さん先日は
ありがとうございました

始めのカウンセリングとお話しは
和気あいあいと本当に楽しく
いろいろと気付かされる事もあり
あっという間の1時間半でした

次の催眠については1時間以上かけて
ゆっくりと丁寧に誘導していただき
催眠と覚醒を何度も繰り返し
だんだん深く入っていくという...

ストーンが揺れたり
立ち上がれなくなったり
想像の風船で腕が回ったりetc
もう成すがままでしたが(笑)

始終とても心地よく
醒めたくないくらいでした

5年前に他所で催眠ダイエットを受けたのですが
その時は催眠は20分くらいで誘導も殆どなく
自分のイメージ力だけが頼りで手応えもなく
今思えばあれは催眠では無かったなという感じ

セッション延長の可能性について
HPに注意書きがありましたが
延長といってもせいぜい5〜10分くらいで
時間外労働なんかしないよね〜と思っていて

タイトに次の予定を入れていました
が...なんと延びること30分!

私にタイムリミットが無かったら
もっと延長してくださっていた状況で
名残惜しかったのでもっとゆったりと
予定を組めば良かったと反省しました

覚醒した後も気持ちよく
帰りたくなかったし(笑)

催眠術師はビジネスと割り切っていて
ドライな人達のイメージでしたが

延長してギリギリの時間まで
本気で真剣に催眠をかけてくださったり
とても親身に親切に対応してくださり
愛に溢れた方だなぁと感動しました

相性があると思いますが
情報が溢れるこの広いネットのなかで
桜井さんに巡り会えて私は
本当に幸せだったと思っています

催眠から1週間後の
肝心のダイエット暗示の効果ですが

催眠当日の夜は知人と会っていたのですが
お酒を飲む時はいつも全くか殆ど食べず
帰りのコンビニで甘い物を買い込むパターン
しかしこの日は全くそんな気にならず直帰しました

翌日からも甘い物や揚げ物に全く興味が持てず
(食べ物として認識しない)
食事をしても何故かすぐに満腹になり
(こんな暗示されたかな?)

本当に何の我慢も努力もせず
テロリスト的な衝動が消えて快適です
食欲に振り回されていた今までを思うと
本当に夢の様な日々です

私の様に万年ダイエッターで
食事制限とどか食いを繰り返し
全く痩せず(むしろ年々太り)
ずるずるとダイエットをされている方

【絶対食べちゃ駄目】とか
我慢に我慢を重ね結局衝動に抗えず
後悔や自責の念でいつもいつも
食欲に振り回されている方

一度催眠に頼ってみるのも良いと思います
一人で孤独に頑張らないで良いと思います
強力なサポーターに出会えるかもしれません
私は長年の衝動から一日で解放されました

本当に本当にいろいろと
ありがとうございました(*^_^*)
----ここまで----

<2016-5-16>
 
映画とか、小説とか、アニメで、「泣ける」を売りにしている作品がありますが、まんまと泣いてしまったとしても、そして、泣ける以上に、超感動してしまったとしても、ふと冷静になった時に、作者のことを思って、ちょっとだけ、ゾッとすることがあります。
 「笑える」を売りにしている作品を見て、笑ってしまった後で、そのような気持ちになることはありません。
 「人を笑わせてやろう」はいいけれど、「人を泣かせてやろう」と考えながら作られたんだと思うと、何かを押し付けられている気がして、とても黒いものを感じるからだと思います。

<2016-5-10>
 
ノースダコタの人とサウスダコタの人は、お互いに親近感を持っている気がするし、ノースカロライナの人とサウスカロライナの人も同様だと思います。
 「なに水くせーこと言ってんだ。同じダコタじゃねーか」、「同じカロライナ同士、仲良くしましょ!」みたいな感じで。
 だけど、バージニア州の人は、ウエストバージニア州の人を、一段下に見ているのではないかと、お風呂の中で思いました。
 ダコタとカロライナは、円満に自立した感じがしますが、ウエストバージニアは、なんか自立を禁じられている感じがします。

<2016-4-18>
 
2年前、MNP をすると iphone がタダで手に入るということで、それまで頑なにガラケーを使い続けていたのですが、そろそろ年貢の納め時と思い、スマホにかえました。
 当然、ガラケーでできることは、全部スマホでも出来るものだと思っていたのですが、使い始めると、「え?これもできないの?あれもできないの?」と戸惑うことが多く、改めて、ガラケー恐るべし、と思わされました。(iphoneではなくて、日本のメーカーのスマホなら、そういう問題もないのかもしれませんが)
 僕は、ほとんど自宅かカウンセリングルームにいるので、スマホでできることはパソコンでしており、せっかくの iphone も、電話としてしか使っておらず、余計に、電話機能に特化しているガラケーを優れていると感じたのだと思います。
 先日、晴れて、2年縛りが終わり、ちょうど無料で乗り換えられるガラケーがお店にあったので、再び MNP をしてガラケーに戻しました。
 ガラケーに戻して、旅行から我が家へ戻ってきたときのような、そんな安心感を覚えました。
 iphone と比べて、ガラケーの何がそんなにすごいかというと、一番は、バッテリーのもちです。
 乗り換えてから、1度しか充電していないのですが、2週間たったのに、まだ1本しかメモリが減っていません。(メモリは全部で3本)
 説明書には、バッテリーを長持ちさせるために、メモリが残り1本になったら充電するように書いてありましたので、その通りに使ったとしたら、1か月近く、充電しなくても使える気がします。
 それから、簡易留守メモが使えるのも、とっても便利です。iphone にこの機能がないことを知ったときは、愕然としました。
 自動で電源をオン、オフする時間を設定できるのも、個人的には欲しい機能でした。寝ている時間は、電話に起こされたくないですし、バッテリーの節約にもなるので、夜中は電源を切るように設定しています。
 あとは、タッチパネルではなく、物理的なキーで操作できるのも、ストレスがありません。
 ほとんど使わないけど、ワンセグが見られるのも、いざというときに便利です。
 写真や動画をたくさん撮ってSNSにアップしたり、Lineを使ったりするならば、スマホ以外は考えられないと思いますが、そうでなければ、ガラケーは一周回ってありなんじゃないかと思います。

<2015-12-30>
 このたび、「図解 人の心を操る技術」という本を出版することになりました。
 以前出版した、「人の心を操る技術―マインドリーディングと話し方で交渉もコミュニケーションも上手くいく」の図解版で、さらに解りやすく、読みやすく、ついでに値段も安くなっております。
 一般書店では、すでに店頭に並んでいます。
 また、一部コンビニでも、販売されるようです。
 見かけたら、ぜひ、手に取って、中をご覧くださいね。

 

<2015-12-6>
 11月30日の未明に、父が亡くなりました。
 昨日、葬儀が終わり、今、ようやく一息ついて、これを書いています。
 父は死の直前まで、「疲れた」とはよく言っていましたが、それでも高齢者なりに、普通に生活しており、決して入院していたわけでも、寝たきりだったわけでもありません。
 ですから、このタイミングで逝ってしまうとは、想像していませんでした。
 僕は、学生時代に、村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」を読み、後述する文章に出会ってから、いつ、誰が死んでも、決して後悔したり、「ひどいことをしてしまった」とか、「もっとああしておけばよかった」とは思わないような生き方をしたいと思って、今まで生きてきました。
 もちろん、だからといって、誰に対しても、いつでも完璧な対応というか、もう長くはないことが判っている相手に接するような接し方が毎回できるわけではなく、言い合いになったり、きついことを言ったり、疲れて相手にしなかったり、優しくできないことも多いです。
 それでも、そんな後で、僕はふと、「これが最後の会話になるのかもしれない」と思うことがあります。きついことを言ったり、優しくできなかったりしたとき、これで最後になっても、自分は大丈夫なのか、後悔しないのか、と。
 そして、大抵は、「仕方がない」と思ってしまいます。
 この状況で、僕は最大限の努力をしたし、これ以上できない責任の半分は、相手にある。たとえ、相手が今夜亡くなってしまったあとで、もう一度時間を巻き戻せたとしても、結局は同じことなのではないか、と。
 「後悔しないように相手と接している」つもりが、結果的に、「後悔しないように、毎回、自分の行動を納得するようにしている」自分がいました。
 父は高齢でしたので、僕の中にはそういった意識が、父に対しては特にあり、会った後には、「これで最後だったかもしれないけれど、今日の自分は正しかったのか」と、毎回、自問してきました。
 父が実際に亡くなり、毎回の自問のおかげか、後悔はあまり、ありませんでした。
 もっと違ったやり方もあったのではないかとは思いますが、それは父が、すでに亡くなってしまったから思うわけであって、今も生きていたら、「違ったやり方」を模索はしていなかっただろうし、そうはできない理由だって、いくつも見えてくるのだと思う。
 うーん、こんな風に、いろいろ考えてしまっていること自体、やはり、心の奥底では、後悔している証拠なのかな。
 今は、悲しい気持ちはあまりありません。以前、飼っていた猫(柚子)が死んでしまったときは、悲しくて、悲しくて、1週間くらい、泣き続けていたし、半年くらいは、ふと思い出しては胸がいっぱいになっていました。(今も、柚子のことを思い出した途端に、目が潤んでしまいました)
 そのときの方がずっとずっと悲しかったし、激しい感情がありましたが、それに比べれば、父の死に対して、とても穏やかな気持ちです。
 ただ、今まで感じたことのないような、理不尽な、不思議な感情を覚えています。
 ……と書いて、それも違うと思いました。
 この、理不尽な、不思議な感情は、父が生きていたときにも、ずっと父に対して感じていた感情な気がします。
 生きていても、亡くなった後も、変わらずに、なんだかモヤモヤした、つかみどころのない、別世界の人間のような感覚を、僕は父に対して感じているように思います。
 変な言い方ですが、「製造者責任」を問える相手がひとり、いなくなって、自分の人生が、次のステージに進んだ気がします。

以下、村上春樹著「ダンス・ダンス・ダンス」より

「そういう考え方は本当に下らないと僕は思う」と僕は言った。「後悔するくらいなら君ははじめからきちんと公平に彼に接しておくべきだったんだ。少なくとも公平になろうという努力くらいはするべきだったんだ。でも君はそうしなかった。だから君には後悔する資格はない。全然ない」

「僕の言い方はきつすぎるかもしれない。でも僕は他の人間にはともかく、君にだけはそういう下らない考え方をしてほしくないんだ。ねえ、いいかい、ある種の物事というのは口に出してはいけないんだ。口に出したらそれはそこで終わってしまうんだ。身につかない。君はディック・ノースに対して後悔する。そして後悔していると言う。本当にしているんだろうと思う。でももし僕がディック・ノースだったら、僕は君にそんな風に簡単に後悔なんかしてほしくない。口に出して『酷いことをした』なんて他人に言ってほしくないと思う。それは礼儀の問題であり、節度の問題なんだ。君はそれを学ぶべきだ」

「……人というものはあっけなく死んでしまうものだ。人の生命というのは君が考えているよりずっと脆いものなんだ。だから人は悔いの残らないように人と接するべきなんだ。公平に、できることなら誠実に。そういう努力をしないで、人が死んで簡単に泣いて後悔したりするような人間を僕は好まない。個人的に」  

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<2015-11-6>
 長さを表す単位は、メートルです。
 1メートルとは、地球の円周を4000万で割った長さです。
 重さを表す単位はグラムですが、これは、一辺が1cmの立方体の水の重量です。
 それでは、大学の履修科目の単位は何かといえば、ずばり、「単位」という単位です。
 なぜ?
 なぜ、固有の名称をつけなかったの?
 「単位」という単語は、メートルとかグラムとかを総合した概念であるべきであって、それ自体を何かの単位として利用してはいけないのではないでしょうか。
 新種の野菜を作って、名前をつけるのが面倒だからといって、「野菜」っていう名前をつけてはいけないと思うのです。
 また、そもそも大学の「単位」は、本来の意味での単位なのかというと、これも疑問です。
 恐らく、「単位」という単位の定義は、「○分の授業を○回受けて、試験に合格する」といったものだと思われますが、メートルやグラムの定義に比べれば、ずいぶんと曖昧です。
 学校ごとに違いますし、そんなものは単位とは呼べません。
 むしろ「単位」は、「枚」や「本」といった、助数詞に近いのではないでしょうか?
 うーん、それとも、「ミリ単位の修正」みたいに使うときの「単位」なのかな。
 単位といえば、圧力の単位は、ヘクトパスカルよりも、ミリバールの方が、台風っぽくて好きでした。

<2015-11-5>
 高校生のころから、「テーピング」という呼び方に納得ができません。
 テープをまくことを、「テーピング」って呼んだり、動詞化して「テーピングする」っていう使い方はいいんです。
 問題なのは、あのテープそのものを、「テーピング」と呼ぶことです。
 野球で球を打つのは「バット」で、打つことは「バッティング」です。
 「バッティング」するからといって、あの棒自体を「バッティング」とは呼びません。
 だって、本来、「バット」だからこその、「バッティング」なのです。
 同様に、自転車は「サイクル」であって、「サイクリング」ではありません。
 なのに、なぜ「テープ」という名称があるのに、それを動詞化した「テーピング」を、さらに動名詞みたいに、「テーピング」って呼ぶのでしょうか。
 そうなると、「テーピング」を巻く行為のことを「テーピンギング」って呼ばなければならないし、この調子でいくと、いつの日か、テープ自体のことを「テーピンギング」って呼ぶ日が来てしまうのかもしれない。
 そして、それをまくことは、「テーピンギンギング」って呼ぶことになるのかもしれません。
 1000年後には、「テーピンギンギンギンギンギンギング」くらいになっているのかも。
 「ギング」の無限増殖に対して、人はあまりにも無力です。
 明日は、大学の「単位」について、考えてみたいと思います。 

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<2015-10-24>
 日本中の青柳さんは、一度くらい、「青柳さんたら、読まずに食べた」って言われたことがあるのだろうか。
 そして、相手の「してやったり顔」が、鬱陶しくてたまらなかったりするのだろうか。
 すごく久しぶりに書く内容ではないですが、ふと思ったので書いてみました。

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<2015-7-31>
 いい人がいい人でいつづけるためには、相手もいい人でいる必要があるのかもしれません。

<2015-7-18>

 今シーズン、初めて、ブルーベリーを収穫しました。
 写真の品種は、ブライトウェルです。
 昨年は、雹が降ったおかげで、実が全滅してしまい、今年になっても木がボロボロで、収穫は難しいかなぁと思っていたのですが、春以降、元気に成長し、鈴なりとなりました。
 このブライトウェルは、本格的に収穫できたのは今年が始めてです。
 梅雨時のため、味が少し薄かったですが、美味しくいただきました。

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<2015-5-8>

 ドビュッシーのアラベスクを聴いていると、 真っ暗な宇宙を、フワフワと漂っているような気分にもなるし、心の中でだけ戻ることのできる、遠い昔の夏の午後を、ただ眺めているような気分にもなります。
 癒されるとか、落ち着くを通り越して、突き刺さるような切なさを感じます。

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<2015-4-30>
 「寿命を全うする」って、立派な人生の目的だと思う。
 なるべく健康に、快適に、そして楽しく。

<2015-4-25>

 こういう音楽がちゃんと評価される日本って、すごい国だと思う。

<2015-4-21>
 「いっぽんでもニンジン」の2番に、「甘くないのに甘夏」っていう歌詞を、ぜひ入れて欲しい。

<2015-4-19>
 海外ドラマを観ていたら、「余計なことはしゃべるな」という意味の例えで、「魚が捕まるのは、口を開くからだ」という台詞が出てきました。
 「沈黙は金」よりも、ずっと説得力があるなぁと思いました。

<2015-4-18>
 一番モビルスーツっぽい化学物質は、「ジンクピリチオン」だと思います。

<2015-4-9>
 さっきから頭の中で、「ダーツの旅」の、「るーるるーるイェイイェイ♪」っていう音楽が流れ続けています。
 あまちゃんのオープニングもきついけど、これも結構きついです。(^^;;

<2015-4-8>

 一十三十一の曲の中で、これが一番好き!

<2015-4-7>

 車のパワーウインドウのボタンが壊れてしまって、窓が開かなくなってしまいました。
 自分で修理できないかなぁと、ボタン部分のユニットを外してみたのですが、ボタンを支えている所が割れており、物理的な修復は難しそう。
 ならば、配線を変えて、後ろの窓用のボタンで、前の窓が開くようにできないかとも思ったのですが、どの線が何の線なのかさっぱり解からず、調べる元気もなく、ディーラーに持っていくしかないかと、とりあえず外したユニットを元に戻しました。
 家に入り、ネットで調べてみたら、なんと、パワーウインドウのユニットが、Amazonで普通に売っていました。
 これで、また窓が開くようになりそうです。
 ここ数週間、窓が自由に開けられなくて、すごく不便だったので、今、解放感でいっぱいです。(^^) 

<2015-4-2>
 「希望」ってすごく大切なものとして扱われるのに、「欲望」はどこか汚いものとして扱われるのは何故なんだろう。
 希望と欲望の違いって何?

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<2015-3-28>
 しばし放電中……。

<2015-3-25>
 道を歩いていて、どこからか、自分の家で使っている洗濯機と同じメロディーが流れてくると、ものすごく和みます。
 ちなみに、うちの洗濯機は日立なので、「てーてれてーて、てーてれてーて、てーててーててーてれててて、てーてれてーて、てーてれてーて、てーててーててーててー」というメロディです。(これじゃあ判んないですね・笑)

<2015-3-22>
 子どものころから、「みんなみんな 生きているんだ 友だちなんだ」という主張の陰に潜む、有無を言わせない、全体主義のような威圧感がどうも苦手で、とてつもないニセモノ臭を感じます。

<2015-3-21>

 カウンセリングルームがあまりにも殺風景なので、ボトルアクアリウムを作って、メダカを入れました。
 このメダカは、去年の比較的遅い時期に生まれたメダカで、とても小さかったので、冬は越せないかもしれないと心配していたのですが、元気に冬を越してくれました。
 自宅では、屋外でメダカを飼っていて、しかも発泡スチロールの箱で飼っているため、なかなかじっくり観察できないのですが、こうやって机の上にあると、いつでも観察できて、とっても幸せです。
 エサをあげすぎると、水が汚れてしまうため、あまり与えてはいけないのですが、一日中、エサを探して泳ぎ回っているメダカをみると、つい、かわいそうになって、何度もあげてしまいます。

<2015-3-19>
 「信じる」と口に出して言ったり、意識したりしているときって、すでに信じていないのではないかと思います。
 完全にその通りだと認識しているとき、無意識では信じているのでしょうが、理性では「自分は信じているのだ」なんて、決して思いはしません。
 僕は今、椅子に座っていますが、この椅子を購入してから今まで、「僕が座ってもこの椅子は壊れない」などと「信じた」ことは一度もありません。
 壊れないことを当たり前だと思っているので、その可能性すら、頭に浮かんだことがないのです。
 もし、僕がこの椅子に座るたびに、毎回、「大丈夫。ちゃんと成人男性が座っても壊れないようにこの椅子は設計されているはずだから、信じて座ろう」などと思っていたとしたら、それはほとんど、「この椅子は壊れるんじゃないか」と疑っていることと同じです。
 不確かだからこそ、「信じる」という言葉を使うのだと思います。
 占いには「信じる」という言葉を使いますが、時刻表を「信じる」とは言いません。
 ですから、ドラマなどで、「あなたのこと、信じてるから」みたいなセリフを聞くと、何だか押し付けられているみたいでちょっと怖いし、「信じてたのに……」には、理不尽さを覚えます。
 同じように、「信じなさい」とか「信じて!」という言葉に従う必要もないのではないかと思います。
 それが信じるに足るほどの真実ならば、時間とともに、自ずと明らかになっていくでしょうから、それまでは、無理に「信じ」なくてもいいんです。

<2015-3-18>

 何なんだ、このカッコよさは。

<2015-3-17>
 「ルパン三世 カリオストロの城」のラスト、「泥棒はまだ出来ないけど、きっと覚えます!」から、「奴はとんでもないものを盗んでいきました。あなたの心です」までのくだりは、神がかっていて、ジブリ誕生を前にして、宮崎アニメの頂点だったのではないでしょうか。

<2015-3-11>
 10年前の出来事が、ついこの前のことのように感じることもあれば、半年前の出来事が、すごく昔のことのように感じることもあります。
 思い出す頻度が低いと最近のことのように感じて、思い出す頻度が高いと昔のことのように感じるのかなぁと思ったけれど、逆の場合も結構あるので、意識するかしないかは関係ないのかもしれません。
 過去を振り返ると、それが楽しかった思い出でも、そうでなかった思い出でも、切ない気持ちがして、僕はその、切なさにとっても弱いので、なるべく後ろは振り返らず、前を向いて生きていきたいと思っています。

<2015-3-8>
 「やっぱりお山が恋しい」ってどんぐりに泣かれたら、僕だって困ってしまうと思う。

<2015-3-7>
 もしかしたら、映画やドラマの半分くらいは、「悪い人が出てきて、その悪い人をやっつける話」なのではないだろうか。

<2015-3-5>
 この時期、パソコンをしながらお茶を飲むことが多いのですが、すぐ冷めてしまうので、「マジックタンブラー」というのを買ってみました。
 これは魔法瓶をそのまま小さくしたようなタンブラーで、ただの2重構造ではなく、中が真空のため、断熱性が高いそうです。
 早速、熱いお茶を入れてみましたが、手で持ってみても外側は熱くなく、なるほど、しっかり熱を遮断している様子。
 実際に、ある程度放置してみましたが、今まで使っていたマグカップと比べて、断然冷めにくい印象です。
 レビューを読むと、夏は冷たい飲み物を入れても、結露せず、テーブルが濡れないそうなので、一年中つかえそうです。 

<2015-3-4>
 突然「ビニール」という単語がゲシュタルト崩壊して、今、「ビニール」がビニールを表す単語なのだということに、ものすごい違和感を覚えています。

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<2015-2-25>
 久しぶりに何か書こうと思って、気がついたらパソコンの前で1時間も経っていました。
 その間、アメリカ人の皮肉について考え、海外ドラマに不必要に出てくるカーチェイスについて考え、茶トラの性格について考え、「風の歌を聴け」に出てくるジェイについて考えましたが、何ひとつ、まとまった文章になりませんでした。
 吉瀬美智子の魅力についてならば書けそうな気がしたけれど、大勢に向かって語る内容でもないので、今日はこのまま寝ることにします。(^^;;
 おやすみなさい。

<2015-2-18>
 「3大甘くて温かい飲み物」は、「カプチーノ」、「ココア」、「ロイヤルミルクティー」ですが、本気を出した「ロイヤルミルクティー」には、何もかないません。

<2015-2-17>
 人に意見をすると、75%の確率で、相手に嫌な気持ちを抱かせます。

 あなたの友人が、ある選択について、Aにしようか、Bにしようか、散々悩み、検討した結果、Aを選んだとしましょう。
 Aを選び、結局それが正解だった場合、友人は「Aを選んでよかった」と思います。
 反対に、不正解だった場合、「やっぱりBを選ぶべきだった」と後悔します。
 この時点では、友人がこの選択から嫌な気持ちを抱く確率は50%です。

 さて、友人が「Aを選ぶことにしたよ」と何気なくあなたに話したとき、あなたは直感的に、「Bの方がいいのに」と思い、「AじゃなくてBにしなよ」と友人に意見しました。

 ここで、友人はあなたの意見に耳を傾けず、やはりAを選んだとします。
 しかし、すでに友人は、自分ひとりで決めたときに感じるはずだった、単純な安堵や、単純な後悔を感じることはできなくなっています。

 Aを選んで正解だった場合、友人は、「Aを選んでよかった」ではなく、「あなたの意見を聞かなくてよかった」と思います。これは決してポジティブな感情ではありません。「あなたに失敗させられるところだった」と感じるかもしれませんし、あなたの考えはあてにならないという印象を持つかもしれません。
 また、その結果で満足だったはずなのに、「Bを選んでいたら、もっと良い結果を得られたのではないか?」と、結果を純粋に喜べなくなってしまうかもしれません。

 Aを選んで不正解だった場合も同様です。「やっぱりBを選ぶべきだった」ではなく、「あなたの意見を聞くべきだった」と友人は思います。単純な後悔ではなく、あなたの意見に耳を傾けなかったことに対する後悔、そしてあなたに対して、申し訳ない気持ちを抱くかもしれません。
 あるいは、自分を説得できなかったあなたに対して、「もっと強く言って欲しかった」と、理不尽な怒りを感じるかもしれません。

 それでは、あなたの意見に耳を傾けて、友人がBを選んだとしたらどうでしょうか?

 Bを選んで正解だった場合、「あなたの意見を聞いてよかった」と友人は思います。これはポジティブな感情です。(ただ、人によっては、正解だったにもかかわらず、自分が間違っていたことが立証されて、プライドが傷ついてしまうかもしれません)

 Bを選んで不正解だった場合は最悪です。自分は正解を選んでいたのに、あなたの意見に耳を傾けたせいで、不正解になってしまったのですから。

 つまり、あなたが意見したことで、友人の辿るパターンは2から4に増え、そのうち3つは好ましくない結果ですから、75%の確率で、感じる必要のない、あなたに対するネガティブな感情を、友人は抱くことになるのです。

 もちろん、友人があなたの意見を却下することに、何の躊躇いも感じない場合は、このような心配をする必要はないかもしれません。

 また、友人の方から意見を求めてきた場合や、その友人の選択によって、自分にも何らかの影響がある場合、また、推測ではなく、客観的事実として、その選択で友人が、100%不利益を被ることをあなたが知っている場合は、遠慮なく意見するべきです。

 しかしそうでない場合は、やみくもに人の決断に意見をするのは危険です。
 友人はあんたよりも、何倍も悩み、調べた結果、そう結論を出しているかもしれないのです。
 例えそれで失敗してしまっても、それはその人の問題です。

 他人から指摘されて失敗を回避できても、人は何も学びません。
 痛みを感じて、初めて学ぶことができます。
 75%の確率で相手に嫌な思いをさせてまで、失敗から学ぶ機会を、奪うべきではないのです。

<2015-2-15>
 人生の意味を考え始めるということは、人生の意味を失い始めた兆候なのかもしれません。

<2015-2-14>
 ポスト「バレンタイン・キッス」は、Perfume の「チョコレイト・ディスコ」なのだろうか。
 個人的には、こっちが好き。
 マダ!マダ!マダ!マダ! NEVER ! NEVER ! NEVER !

<2015-2-8>
 「夜ノヤッターマン」を観ていて、やっぱりドロンジョの声は、旧のび太の声優さんじゃないとなぁって思い、小原乃梨子さんのwikipediaを読んでいたら、台風のフー子のエピソードが出てきて、台風のフー子のストーリーを思い出し、ひとしきり泣いてしまいました。
 何やってんだろう、俺。。。。

<2015-2-2>
 「よしんば」とか、「いみじくも」とか、「すべからく」という単語が会話の中で出てくると、心の中で「おお!!」って思います。
 何十年ぶりの相撲の決まり手みたいな、有り難さを感じるからだと思います。
 おそらく、これらの単語を自然に使える世代は絶滅していて(ほんとか?笑)、口語で使っている人たちは、どこか意識的なのではないかと勝手に思っているのですが、格好つけてでも、奇をてらってでも、背伸びしてでもいいから、すべからく使い続けて欲しい。
 よしんば誰も使わなくなったとしても、僕一人でも使っていきたい。
 いみじくも使えるかどうかは、判らないけれど。

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<2015-1-25>
 最近のマイブームは、お湯を注ぐだけで簡単に作れる、森永の「おしるこ」です。
 おしるこなんて、もう何年も食べていなかったのですが、頂き物で食べてから、はまってしまいました。
 今まで、正直、おしるこは、あれば食べるけれど、自分から「食べたい!」と思ったことなど一度もありませんでした。
 インスタントのおしるこが売られているのをみて、「こんなの、買う人いるのかな?」とさえ思っていました。
 でも、久しぶりに食べたおしるこは、甘くて、温かくて、とっても幸せな味がしました。
 僕は結構、食べ物に対しては保守的な人間で、あまり新しいものにチャレンジしないので、こうやって人からもらわなければ、自分から、おしるこを買うことは、一生なかったと思います。
 きっと、知らないだけで、知ったら大好きになるはずの物の前を、僕はスーパーで、何度も通り過ぎているのだろうなぁって、おしるこを食べながら思いました。
 ちゃんと、大好きになるはずのものを、大好きになれる人生を送りたいです。

<2015-1-24>

 この、豊本の「馬鹿なんじゃないかな」の言い方。(笑)

<2015-1-21>
 小学生のころ、中学生の姉が、「ストーブ係だから」という理由で、いつもより早く家を出るのが、とても不思議でした。
 ストーブ係は、他の生徒よりも早く学校に行って、ストーブをつけるのが仕事です。
 そうすることで、他の生徒が、暖かい教室で授業を受けることができるわけです。
 その理屈は解るのですが、「じゃあ、誰がストーブ係のために、教室を暖めておくのか?」というのが、僕の疑問でした。
 当然、「ストーブ係のためのストーブ係」などいませんから、ストーブ係は、寒い教室で、ひとり、凍えながら教室が暖まるのを待つことになります。
 でも、それができるなら、そもそもストーブ係なんていらないのではないか。
 ストーブ係は凍えながら、教室が暖まるのを待てるのだから、他の生徒だって、教室が暖まるまでの間、我慢できるはずです。
 逆に、教室が暖まるまで生徒を我慢させるのがかわいそうだというのなら、ストーブ係だけ我慢させるのも、同じようにかわいそうです。
 もしかしたら、僕が「世界は思っているほど公平ではないのだ」って、しぶしぶ認め始めたのは、ストーブ係がきっかけだったのかもしれません。

<2015-1-14>
 今日は、TOHOシネマズの日だったので、劇場版サイコパスを観てきました。
 映画館で映画を観るのは、1年ぶりでしたが、普段はあまりレジャー施設(?)に行かないので、入場前からワクワクしてしまいました。
 映画もとっても良かったです。

<2015-1-13>
 物事が上手く行かないなぁって感じたときに、もしかしたら僕は、悪の秘密結社によって作られた人造人間なのかもしれないって思うことにしています。
 何かひとつの目的を達成するためだけに、人間世界に送り込まれた人造人間。
 だから、その目的以外の部分が上手くできるようには、初めから作られていないのかもしれない。
 そう考えると、まぁ、仕方ないかなって、思わないでもありません。
 だって、僕は周りの人とは違って、人間ではないのだから。
 人造人間なのだから。
 問題は、その「目的」は何なのか?、良く解らないということです。
 でも、それも考えるには及ばないのかもしれません。
 末端の人造人間は何も知らなくても、悪の親玉には、何か理由があるはず。
 ……と書いていたら、マロン(我が家のオス猫)が隣にやってきて、「水よこせ〜」と、大きな声でニャーニャー鳴き始めました。
 もしや、猫族に仕えるのが目的??
 ちょっと、水をあげてきます。 

<2015-1-11>

 僕は子供のころから、年末の空気が大好きだったせいか、お正月が終わったあとの、普通の1月が、とても寂しく感じて、あまり好きではありませんでした。
 だけど、中学のときにこの曲に出会って、普通の1月の空気も悪くないなって思うようになりました。
 エレピの音と、途中から前面に出てくるベースの音が、とっても心地よく、1月のピリッとした肌寒さと、ふたりでいる温かさを同時に感じられる曲。
 それにしても、大江千里、歌、下手ですね。(^^;;
 味があって、それがいいんだけどね。 

<2015-1-7>
 「適当」という単語には、「ふさわしい」「ほどよい」という意味と、「いいかげん」という意味があります。
 同音異義語ならともかく、同じ言葉で、こうも正反対の意味を持つ単語って、あんまりないように思います。
 大抵はニュアンスで、どちらの意味か解りますが、個人的には、「適当」という漢字からは、肯定的な雰囲気を感じますので、「いいかげん」な方は、漢字ではなく、「テキトー」って書きたいです。
 調味料は適当に加えるべきで、テキトーに加えてはいけません。
 人から適当に扱われるとすごく嬉しいですが、テキトーに扱われると、やっぱり悲しいです。
 「適当」って、不思議な言葉です。

<2015-1-5>
 何に対しても、迷わず「YES!」って答えていたら、すごく損をすることがあるのと同じだけ、得がたいものを得られる気がします。
 変化は無条件に怖いので、どうしても慎重になってしまいますが、その慎重さが、せっかくのチャンスを逃すことにもなっているのでしょう。
 来るもの拒まず、去るもの追わず……。
 今年はそんな1年にしてみようか、と考えながら、そんな思いつきに、全力で「No」を言いたい自分がいます。(^^;;

<2015-1-3>
 このお正月は、おせちは食べましたが、お餅は食べませんでした。
 いや、まだ3日なのだから、これから買ってくればいいのだけれど、一袋買っても、消費する自信がないし、年末に、「テレビを見ながら食べようかなぁ」と思って買ったお菓子も、ほとんど手付かずに残っているので、食べたい気持ちより、何倍も大きな自制心が勝っています。
 お餅って、お正月以外に食べても全然構わないし、いつでも普通に売っているし、お正月以外にお餅に出会うと、軽くテンションがあがりさえするのだから、もっとみんな、普段から食べていいはずなのに、どうして食べないんだろう?
 それとも、僕が知らないだけで、みんな、ラーメンを食べたり、お好み焼きを食べたりする感覚で、日常的にお餅を食べているのだろうか。
 子供の頃、「一年中、普通にお餅を食べる大人になりたい」というのが、僕の182番目くらいの目標だったのですが、未だにそんな大人にはなれていません。(おそらく、これからもなれないでしょう)
 チーズと一緒に焼いたお餅を、海苔に包んで、砂糖醤油をつけて食べるのが、僕は大好きです。
 あぁ、やっぱり食べたくなってきた……。

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